「六マリア」と「霊的億マリア」の蕩減復帰摂理の尊さと偉大さが理解できるようになるでしょう! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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先回記事末部より

 

第二章 第一節復帰摂理の表示となったイエスの先祖の血統より

イスカリオテのユダの信仰によるエバの位置復帰を記した部分

 

 イエスが愛する弟子の中にイスカリオテのユダがいた。イエスは、このユダを愛し、天のみ旨成就に協助できる一人の相対存在として立て、神の根本のみ旨を造成することを目標として工作されたのである。すなわち、そのときイエスは、ユダを一人の対象者としながら、堕落の根本自体である一人のエバ格となる存在を選び立てようとされた。それゆえ、ユダの夫人を一人のエバ存在として選び、み旨の本意を立てようとされたのである。
 そのときマグダラのマリヤは、イエスのみ旨に対する絶対従順者であると同時に、イスカリオテのユダにとって一人の愛人(妾)格の女性として存在していた。それでイエスは、ユダの夫人をエバ(正妻)格とし、サタンがエバをアダムから奪い取ったかたちでユダの夫人をユダから取り返して原理を満たし、み旨を成就しようとされた。(注十三)そして、イスカリオテのユダには代わりにマグダラのマリヤを与えようとされたのである。このようにしてイエスは、一人のエバとしてユダの夫人を選んで摂理を始めた。
 そのような基本問題が提起されるとサタンが完全に発動し、パリサイ人と書記官(律法子者)たちを激しく怒らせてイエスと敵対するようにしたのである。しかし、ユダさえ全的に「信」と「順」と「侍」でイエスに仕えていたならば、み旨成就の基本を満たすことができるはずであった。
 ところがイスカリオテのユダは、やはりイエスのみ旨に対して不満を抱いて行動し始めたため、自らの師を銀貨三十枚で売るという、歴史上にない根本問題がここから始まった
のである。(マタイ福音書26章14~16節)

 

イスカリオテのユダがイエス様を30枚の銀貨で売ってしまった背景には、イエス様の妻となり、神様の妻となる女性を巡る蕩減復帰摂理があったのです。

 

次回記事にて説明していきます。

 

  *****

 

アダムとエバは堕落することにより、人類始祖から産み増える人類は、男性も女性も生まれながらに原罪を持ち堕落性本性によって生きるようになりました。男性も女性もサタンと相対するようになったので、本来は神の至聖所である生殖器もサタンの主管下に入ってしまい、サタンの血統として人類は生み増えてきました。

 

この堕落した人類を救うためには、再び原罪を持たないメシヤが誕生しなければなりませんでした。アダムに入ったサタンを分立するために、息子のアベルとカインを通してサタン分立の摂理が展開してきたのです。アベルとカインの一体化による長子権復帰は、エバの蕩減復帰を願われた女性の胎内で転換され、神の位置に立ったアベルが長子の位置に立ってこそ、その胎が聖別され神の血統に生まれるメシヤを孕むことのできる胎となるのです。

 

その胎中転換の摂理を、信仰によって勝利した女性がタマルでした。そのタマルの信仰を相続し、胎を聖別する復帰摂理の願いをかけれらた女性こそがマリアでした。

 

エバは約婚期間に堕落し胎までもサタンに侵入されたので、マリアは神様への信仰によって、神の位置に立たされたザカリアと結ばれて子女を生まなければなりませんでした。天使長の位置に立つマリヤの夫となるヨセフは、神様への信仰により、マリアが産んだ子女を自分の子供として守らなければなりませんでした。

イエス様が誕生した後に、ヨセフはマリアと子供を作らずに、イエスの為に生きなければなりませんでしたが、マリアと共にそのことを守ることが出来ずに子供を作ってしまいました。それ以降、二人は人間的な判断しか出来ずに、信仰から外れるようになって行きました。

 

6月20日の記事で引用した「1996年4月16日『救援摂理史の原理観』」において、真のお父様が語られたイエス家庭、及びザカリア家庭に起きた事象を見れば、マリアもヨセフもザカリアもエリサベツも、キリストとして生まれたイエス様を守ることが出来ませんでした。

 

本来ならばイエス様とは腹違いの妹であるヨハネの妹が、アダムの妹として生まれ約婚時代に堕落したエバの位置を、復帰するべき女性でした。しかし、マリア家庭とエリサベツ家庭の不信仰ゆえに、この位置もサタンに奪われることになりました。

 

イエスの兄であり、キリストの道を直くする使命を持つ洗礼ヨハネも、結局はイエス様をキリストとして信じられずに、第一次の路程は崩れ去りました。

 

洗礼ヨハネがアベルとして拡大展開するべき、「イスラエル民族のメシヤの為の基台」を失ってしまったのです。キリストとして立つ基台が失われ、同時にキリストの妻を迎えることも出来なくなったのです。

キリストとして立つ為の第一次路程が崩れ去り、イエス様はサタンからの「三大試練」にさらされました。イエス様はこれを勝利し、アベルの位置に立つことができて、十二弟子と七十門徒を立てました。洗礼ヨハネの不信仰により失った「メシヤの為の基台」を取り戻したのです。

 

イエス様はこの基台により「キリスト」として立てるようになりましたから、真の父母となる為に妻を得なければなりませんでした。第一次路程でイエス様の妻となるべき「ヨハネの妹」は、サタンに奪われましたから、天使長の位置に立つ人物の妻を、復帰しなければなりませんでした。その人物こそが、十二弟子の中で最も信仰もあつく能力もあるイスカリオテのユダであったのです。

 

実は、原理原本に書かれている内容は、「夜の神様昼の神様」の正しい解釈のもとに理解していくと、非常に深い真実真理が現れ理解できるようになります。メシヤの為の基台は「昼の神様の管理を受ける信徒圏」において立てられるものでした。

 

この「昼の神様の管理を受ける信徒圏」が第一次路程において、サタンの主管圏内に落ちてしまっていたのです。サタンからの「三大試練」に勝利し、アベルとして立ったイエス様は、十二弟子と七十門徒を立てることによって、サタンに奪われていた「昼の神様の管理を受ける信徒圏」を取り戻したのです。「メシヤの為の基台」と称するものですが、「昼の神様の管理を受ける信徒圏」と称しても正しいものであり、なぜ「ユダの夫人」が、サタンに奪われた「ヨハネの妹」を復帰する位置に立っているのかを理解するには、「信徒圏」と称したほうが腑に落ちるでしょう。

 

その「信徒圏」の中でマグダラのマリアは、イエス様に対して最も深く強い信仰を捧げている女性でした。またイスカリオテのユダも弟子の中でも最も厚い信仰を持つ人物でした。一度はサタンに奪われた「昼の神様の管理を受ける信徒圏」の信徒の中で、最も信仰の厚いユダは、サタンも最も愛する存在という位置になるのです。そこで、ユダが天使長の位置に立てられたのです。

 

しかし、ユダはこの神様の願いに答えられませんでした。イエス様の行いを人間的に捉え、30枚の銀貨で売ることになるのです。

 

イエス様の妻の位置に立つ人物は再びサタンに奪われ、「メシヤの為の基台」となるべき「昼の神様の管理を受ける信徒圏」も再びサタンに奪われました。

 

そして、第三次の蕩減復帰路程へと向かい、イエス様の十字架への道をサタンは整えるのです。同様の解説の仕方で、イエス様の十字架からの霊的復活の勝利の道を紐解いていくならば、二千年に渡って拡大展開して来た「世界的メシヤの為の基台」つまり「霊的億マリア」の基台の偉大さが、身に染みて理解できるようになるのです。

 

 

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