「お父様の聖霊」は本来あなたが生まれた時から心に臨在しているはずだったのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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先々回記事重要部分

 

第二章 第四節 「父なる神」にのみ侍る霊人(霊人体)は未完全な生 682p

  そして、堕落は少年時代にしたため、アダムとエバは未成熟期であった。その霊人体が未完成の立場で堕落したことから、神は罪を犯した人間から霊人体を引き取られた。これがエデンの園から追放されたということである。そうして人間は肉身から動物の生体と同じような状態となり、根本性から遠ざかるようになったのである。 

 

ここでは、アダムとエバのどちらからも、霊人体を引き取られたと記しています。それで、人類始祖が堕落するに当たって、神様が引き取られたという「霊人体」とは、なにを指しているものなのかという疑問が生じるはずです。

 

アダムから引き取られた「霊人体」とは、それが「夜の神様」であることは、二代王様の「夜の神様昼の神様」の解釈から理解できるはずです。

 

それではエバから引き取った「霊人体」は何なのかということになります。それこそが「エバの神」と真のお父様が原理原本執筆の段階で、称さざるを得なかった「聖霊」のことに他なりません。原理原本で真のお父様が用いられている「聖神」とは、「聖霊」のことで間違いありません。二代王様が「聖霊は女性ではない」と語られたみ言を、ヨナ様が図に書き記した時、そこに「聖神」とハングルで書かれています。

 

まとめると、アダムの生心には夜の神様が直接に臨在され、エバの生心には聖霊が臨在されるという事になります。聖霊とは「聖父・聖子・聖霊の三位一体」から発動されますから、「お父様の聖霊」という事になります。これはエバだけではなく、エバから産み増える人類全てに臨んでいるという事になるのです。つまり、お父様の聖霊は、人間が誕生した時から生心に臨在していたという事実を、真のお父様は原理原本に書き込んでいるのです。

 

人類始祖の堕落によって、アダムの生心に臨在していた夜の神様が離れざるを得なくなり、エバの生心に臨在していたお父様の聖霊も離れざるを得なくなったという事なのです。

 

ですからそのままで、生心に「お父様の聖霊」が臨在してくれるようにならなければ、動物の生体と同じようなものなのだという事になります。

 

先回記事末部より

 

真のお父様はキリストとして、三代王権の権威そのものです。だからこそ、神様は最大の全知全能の能力を発揮し、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相で、真の愛を権威づけるようにしたのです。

 

つまり、メシヤでさえ一人で権威を纏おうとせずに、夜の神様と真のお父様が、互いの真の愛に自然屈服し合う事から、天宙を主管する真の愛が発動されるようにしたのです。

 

ですから、一人の人間を組織の中心者として立てて、そこに権威と権力を集中させるようになると、誰も気づくことなく全体が、静かに静かにゆっくりゆっくり神様からずれていくのです。信徒は皆、勝利勝利と湧きかえりながら、最後にサタンに奪われた家庭連合だったのです。

 

だからこそ、私たちはカインアベル一体を勝利した二代王様と国進様に学び、三代王権の理想とする分散型で、お父様を中心に一体となる心情組織を実現しなければならないのです。一人一人の心に、お父様の聖霊が臨んで下さってこそ、それが可能になります。

 

  *****

 

本来の私たち・・・、つまり、人類始祖が堕落していなければ、全ての人間が神様の息子娘として生まれ、一人一人の心に聖霊が臨在し一体となる事によって、霊性が神性へと成長し、生心が形成されるようになっていたという事です。

 

アダムの場合は、生心に臨在していた夜の神様が離れざるを得なくなりました。ただの人間となってしまいましたが、これで「昼の神様に管理されるエバ」と同じ立場になりました。

 

原理原本682pによれば、「罪を犯した人間(エバ)からも霊人体を引き取られた」と記述されていますが、実際には聖霊は離れることはありません。人間が相対基準を完全に失ったので、人間の側から見れば離れたとまったく同じですから、原理原本では「引き取られた」と書かれています。アダムにおいても、聖霊は離れずに導き続けます。ただし、アダムもエバも、その後の堕落人間も相対基準を失っているので、まったく感知できません。

 

人間と聖霊との相対基準が無くなったので、人間自身においては、原理原本で書かれているように動物と同様の生体となったも同然です。

 

しかし、聖霊は神様の真の愛の働きですから、堕落した人間から離れずに、その人間の心と体に関する全ての情報を、夜の神様に送り続けます。人間のほうから感知できなければ、聖霊の本質的役割である四大心情圏の愛へと導くことも出来ません。ただ救いの為に、救いに預かるべき堕落人間の情報を、夜の神様に伝え続けます。その情報を受けて、夜の神様は情報源となった一人一人の人間を救うために、絶えず神霊と聖霊を発動させ、その人間が蕩減するべき環境圏を、万物と人間の出会いを通して造り上げていくのです。

 

ですから、蕩減復帰時代の人間同士の出会いは、全て、それぞれに背負った蕩減を、清算し合うための出会いとなっているのです。

 

その事こそが、人間は昼の神様に管理されるという事なのです。昼の神様を通して管理するという事であって、実際は夜の神様が、昼の神様の聖霊の働きによって伝えられてきた、天宙の全ての情報を主管します。その情報を真の愛で主管し、全人類一人一人の救いの為にふさわしい環境圏を、一人一人に対して造り上げるようになるのです。

 

その環境圏が、一人一人の生涯に蕩減復帰のための環境として現れるのです。人間の集合体においても、国においても、世界においても、夜の神様が作り出す蕩減復帰のための環境圏が、摂理的同時性として歴史に現れるようになるのです。

 

その環境圏においては、必ずアダムとエバの堕落を蕩減復帰する、「アベルカインによる一体化の摂理路程」として現れます。その蕩減条件を立てながら、人類は僕の僕まで落ちた立場から、旧約・新約・成約時代へと段階を経て来たのですが、今ようやく、三代王権においてはお父様による完全勝利によって、天一国の霊的基盤が整えられたところまで来ました。

 

悲しいかな、三代王権のもとにある聖殿食口においても、お父様の完全勝利が何なのかを理解できずに、蕩減復帰の時代圏の意識のままで、その聖殿食口達自身が蕩減を造り出しています。

 

二代王様の本質的指導・・・、とくに本質的み言である「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを受け入れ、理解し心に迎えるならば、恐ろしいほどの摂理展開が可能なるのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」から発動される「お父様の聖霊」は、本来は私たちが生まれた時から、心に臨在していたものなのです。今こそ、人類始祖堕落以来の時を超えて、私たち自身が取り戻すべき時なのです。

 

 

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