先回記事末部より
「エバの神」とは、エバを象徴とする人類全体、さらに女性格対象である被造世界に対しての神に相当する存在という事になります。ですから、それは夜の神様から発動される「神霊」であり、「聖霊」のことです。聖霊は「昼の神様」として働く愛の作用ですから、「エバの神」とは「昼の神様」の事という事になります。
「昼の神様」は、創造原理プログラムが組み込まれた形状のエネルギーです。ですから、エネルギー自体には、意志も心情もありません。そこで、女性神という存在などどこにも無いし、「エバの神」とは象徴的にエバと称したのであり、実際には女性格対象の被造世界を存在させている「昼の神様」のことです。
「原理原本」は蕩減復帰の出発点で、究極の真理をサタンに奪われたその時点で、天の知恵をもって書かれた天一国への道標としての著作だったのです。
それが、二代王様と国進様のカインアベル一体の勝利により、完全なる究極の本体論として、解釈できる時代が来たのです。
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先回記事で引用した原理原本288pの、「エバの神」と記述してある部分を再度引用します。
(四)イエスが昇天後も摂理に責任をもつ根本意義
イエスが昇天すると、まず天にいる聖徒がイエスを中心に生命体級に引き上げられた。イエスは、天でも生命体級まで訪ねて完成できるようにされると同時に、地上にいるすべての人間も生命体級まで移しておいてこそ、アダムが堕落した部分を充当できるのである。イエスがこの部分まで満たそうとする役事に聖神、すなわちエバの神が協助し、それがキリスト教の歴史を発展させてきた原因である。
ここに書かれている「エバの神」について、次のように解説していました。
「エバの神」とは、エバを象徴とする人類全体、さらに女性格対象である被造世界に対しての神に相当する存在という事になります。ですから、それは夜の神様から発動される「神霊」であり、「聖霊」のことです。聖霊は「昼の神様」として働く愛の作用ですから、「エバの神」とは「昼の神様」の事という事になります。
夜の神様は、被造世界を創造するにあたって構築した創造原理プログラムを、自らを存在させていた自存エネルギーに組み込みました。それで、構想を立てる前までは絶対的虚無として稼働していた形状のエネルギーが、夜の神様の意志から独立し、独自に創造の御業を展開し始め、三次元世界を造り出し始めたのです。
その自律し創造を展開するエネルギー(万有原力)において、人間の生心に働きかける愛の作用が「聖霊」と呼ばれる存在となるのです。
つまり、「エバの神」とは、この聖霊を称していることになるのです。それに対して「アダムの神」と称するとするならば、それはアダムの生心に臨在される夜の神様そのもののことです。
真のお父様は、そのことを意識して、原理原本にしっかりと書き込んでいるのです。
まず、「アダムの神」と称した場合の夜の神様について書かれた部分を確認します。
原理原本 第一章 第四節 創造原理と堕落原理(三)堕落の始まりを調べてみよう 89p
アダムとエバが罪を犯すと、本来、アダムとエバに注入して授けた神の根本の基となる生心を中心に成長し、神が臨在できる基そのものであったアダムの霊人体は、悪に犯された自らの体にいることができないため、神が引き取られたのである。そして、罪を犯す前の霊が神の右側に座し、第二アダム格として送られたのである。その方が正にひとり子イエスであった。
「ひとり子」という名詞の意味もここで明白になる。つまり、罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて再び来られたということである。それゆえイエスが罪を犯す前のアダムが完全成熟した存在として現れ、福音を伝え始められた目的は何かというと、失ってしまった子女たちを再び取り戻し、堕落前の神の子女に移すことが根本目的である。
この中で、「アダムとエバに注入した神の根本の基となる生心を中心に成長し」と示され、二人ともに生心を注入したとあります。しかし、神が臨在できる基そのものはアダムの霊人体と書き記し、その霊人体を引き取られたとしています。つまり、アダムとエバのどちらにも、神の根本の基となる生心を備えているが、神様が臨在できる基となるのは、アダムの生心のみであるということです。
しかし、原理原本682pには、次のように書かれています。
第二章 第四節 「父なる神」にのみ侍る霊人(霊人体)は未完全な生
そして、堕落は少年時代にしたため、アダムとエバは未成熟期であった。その霊人体が未完成の立場で堕落したことから、神は罪を犯した人間から霊人体を引き取られた。これがエデンの園から追放されたということである。そうして人間は肉身から動物の生体と同じような状態となり、根本性から遠ざかるようになったのである。
ここでは、アダムとエバのどちらからも、霊人体を引き取られたと記しています。それで、人類始祖が堕落するに当たって、神様が引き取られたという「霊人体」とは、なにを指しているものなのかという疑問が生じるはずです。
アダムから引き取られた「霊人体」とは、それが「夜の神様」であることは、二代王様の「夜の神様昼の神様」の解釈から理解できるはずです。
それではエバから引き取った「霊人体」は何なのかということになります。それこそが「エバの神」と真のお父様が原理原本執筆の段階で、称さざるを得なかった「聖霊」のことに他なりません。原理原本で真のお父様が用いられている「聖神」とは、「聖霊」のことで間違いありません。二代王様が「聖霊は女性ではない」と語られたみ言を、ヨナ様が図に書き記した時、そこに「聖神」とハングルで書かれています。
まとめると、アダムの生心には夜の神様が直接に臨在され、エバの生心には聖霊が臨在されるという事になります。聖霊とは「聖父・聖子・聖霊の三位一体」から発動されますから、「お父様の聖霊」という事になります。これはエバだけではなく、エバから産み増える人類全てに臨んでいるという事になるのです。つまり、お父様の聖霊は、人間が誕生した時から生心に臨在していたという事実を、真のお父様は原理原本に書き込んでいるのです。
人類始祖の堕落によって、アダムの生心に臨在していた夜の神様が離れざるを得なくなり、エバの生心に臨在していたお父様の聖霊も離れざるを得なくなったという事なのです。
ですからそのままで、生心に「お父様の聖霊」が臨在してくれるようにならなければ、動物の生体と同じようなものなのだという事になります。
キリスト教が真のお父様を再臨主として受け入れなかったがゆえに、世界的メシヤ(キリスト)の為の基台を失いました。真のお父様は自らを神様と一体となっている「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストと明かしたり、記したりできない中で原理原本を執筆されました。
究極の真理の根本となる、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの真相を書き記すことの出来ない時代に、真のお父様は原理原本を執筆されました。その原理原本に、比喩と象徴の詩的文体で、天一国建国の為の基点となる、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を密かに書き入れたのです。祝福家庭がアベルカイン一体に勝利し、サタン分立が出来た時に悟れるように・・・。
日本サンクチュアリ協会は現在、真のお父様の聖和は十字架だったと掲げ、聖神はエバの神性であり女性神の事だと主張している状態です。
つまり、真のお父様の勝利によって闘うと掲げている二代王様とは、真逆の神観、キリスト観で摂理に臨んでいるのです。
三代王権の真の勝利を願うならば、全ての摂理的活動に優先して、二代王様との神観・キリスト観の一致を目指すことが最も重要なのではないでしょうか。
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