サタンが韓氏オモニを利用し発表した「真の父母論」を打ち砕く神様が与えた「真の父母様の本体論」! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先々回記事重要部分

 

神様は形状の備える絶対服従性から包容感を得て、対象の存在に覚醒し、それまで絶対的虚無の状態であった形状に、形状自体の独自の存在形態を与えようとします。それが、神様の対象としての、被造世界の構想構築へと繋がっていきます。

 

神様の対象としての被造世界は、神様が体感した包容感包括感が、心情を通して真の愛となって現れる世界です。ですから、真の愛の発動体となる三位一体システムが、天宙の根本を形成する基本システムとなるのです。つまり、三位一体システムの結実形態が、四位基台ということになります。

 

神様は真の愛を自分自身のみから発動するものとして、構想理想とすることはしませんでした。誕生前の自己中心的な三位一体システムとは、形態は同じでも、自己愛から真の愛が顕現する形態へと昇華飛躍させて「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を構想したのです。

 

性相の位置に神様自身を立て、絶対的虚無で稼働していた形状の位置に、個性真理体としてのキリストを立てたのです。その事により、それぞれの意志と思考能力を持つ存在同志が、互いの真の愛に絶対服従し合って生じる真の愛こそ、天宙をつかさどる真の愛としたのです。その真の愛のもとに、人類の一人一人に発動されるお父様の聖霊となるのです。

 

この真の愛の発動源となる「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を、四大心情圏を成就した完璧なものとするために、「神様を中心とする真の父母の三位一体」が構想されるのです。

 

それでは、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」「神様を中心とする真の父母の三位一体」の構想を立てられた経緯を、次回の記事で書いていきます。

 

  *****

 

「キリスト論」を巡る闘いは、韓氏オモニの命令により、2024年3月に韓国で「真の父母論」が発表されたことにより、神様とサタンの霊的闘争の最終戦へと入っています。真のお父様が与えて下さった「真の父母様の本体論」と、独生女を中心とする「真の父母論」の歴史的決戦に入っている事に気付いてください。

 

それでは、先回記事の続きに入っていきます。

 

自己中心的な神様は、全知全能で永遠普遍の存在でした。本来、包み込まれるなどということはあり得ないのです。しかし、神様は絶対虚無の存在として稼働していた本形状の絶対服従性に、その知情意の機能が刺激を受けて、包み込まれたという感覚を体験したのです。そして、包み返し、対象を包括したいという情念が湧き上がるのです。

 

私たちは、神様が創造した自然に包まれる世界に存在していますから、包まれるという感覚が分かりますが、無限の存在の神様が体感したのは、全知の神様でも未体験のものであり、それまでの想定を超えたものだったのです。

 

しかし、それまで体験したことのない包容感を実感し、その対象を包括したいと願った時、対象にはそれ自体の存在形態が無かったのです。包み込まれた得も言われぬ喜びの境地から、その対象を包括しようとすると、対象の形状は無の存在であり、自己愛の神様を包み込んで来たのは無の暗闇であったのです。

 

自己愛の神様は、そこで「夜の神様」となりました。「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編から、その状況を解説した部分、先回記事の引用の続きとなりましが、抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

第2章 真の愛による被造世界の構想

1. 内的愛の胎中から誕生した夜の神様の絶対孤独!幼年時代!(蘇生期)

 

 愛と生命の種を自らの内に携えて、夜の神様は内的愛の胎中から夜の暗闇の世界に誕生しました。真の愛で愛したくてたまらない絶対主体の心情と、真の愛に絶対服従して生きたい対象の衝動が自体内で完全一体となって誕生しました。愛し合いたい衝動ばかりが、無の暗闇に放たれますが、内的愛の胎内から出てしまうと何も帰って来ないのです。

 

「父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。」(宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1 神様の二性性相の大展開)

 

 私たちが生まれたと同じように、神様も大きくなったと真のお父様は語られていますが、生まれたばかりの赤子が、あるいは幼児が、真っ暗闇の中に一人彷徨うその心を想像してみてください。どんなに頼りなく悲惨な悲しみが襲ってくるでしょうか。

 

 

 内的愛の胎中から生まれた夜の神様は、生命の繁殖力とともに、対象世界を創造する為の目口鼻、そして手足を手に入れるのです。実際の赤子は、生まれたばかりでは目もはっきりとは見えないし、匂いは分かりますが、外界との繋がりがすぐには認識できません。あくまでも、この表現は比喩ですが、真の愛の根本核心となる心情を備え誕生しましたが、まだ真の愛の世界の形や様相は見えていないのです。見えないながらも、本形状の陽性陰性の無限応用性を持つ素材を用いて、あらゆる存在物を創造することの出来る力を備えるようになったということです。陽性陰性の素材を用いて創造できる本形状の、対象に働きかける能力こそ、夜の神様の手足となるものです。

 

 その創造力を、暗闇がどこまでも広がる無限圏に向けて、手足のように用いようとしても、立つ土台もなく、虚空に手を躍らせても、何一つ手応えが帰って来ないのです。絶対孤独に打ちひしがれながらも、支えているのは真の愛の世界を創造したいという激しい衝動的な心情の動機でした。

 

 このイメージが神様から送られてきたとき、私は全てを信じて受け入れようとする思いの底から、「神様、本当なんですね。」と息子としての愛の心を込めて問いかけました。多くの方は「全知全能の神様が彷徨い戸惑うなどと言うことがあるものか」と思うでしょう。私もかすかに浮かんだその疑問を問いかけたのです。神様からの答えは返りませんでしたが、神様の造り上げた被造世界を思い図れば、それは愚問であったのです。

 

 人間の一人一人を360度から、神様の愛で包み込む被造世界を創造したことを思い図れば、想像力の豊かな方は納得いくのではないでしょうか。また、ここは夜の神様が、何ゆえに真のお父様の生心に臨在されたのかを理解する為に、最も重要な部分となります。

 

 底なし沼に引きずり込もうとするほどの漆黒の闇の中で、愛し合いたいという叫び声をどんなに放っても、反響も帰らない絶対孤独の無限の暗闇の中を彷徨い歩かれました。押し潰されそうな絶対孤独に耐えながら、真の愛を具現化する為に苦悶し始めるのです。

 

天聖経 真の神様 第一章 神様の本体 四 神様は父であられる 1.神様と人間は父子の関係

「神様は完全に投入して愛の対象を創造しました。そのようにしたのは神様も愛の対象が必要だったからです。ところが愛は一人ではできません。どんなに絶対者であっても、その絶対者の前に愛の対象がいてこそ愛することができるので、その愛の対象として人間を造りました。それで人間を造るとき、いい加減に造ったのではありません。聖書にみ言で造ったとありますが、いい加減ではありませんでした。千辛万苦を経て、自分の120パーセント、何百倍を投入して造ったのです。」 

 

 夜の神様は真の愛を具現化する為に、心情においては、たった一人、暗闇の中に放り出された幼子のように、押し潰されそうな永遠の孤独に耐えられました。だからこそ、神様は無限の暗闇を、内的愛を通して実感するようになった親の愛に置き換えてみたのです。愛から生まれた自分自身と愛の関係を、親子の愛として形に表そうと構想し、そこに「真の愛に絶対服従して生きる」という心情の動機を込めようとしたのです。

 

 夜の神様は心情の底まで凍てつくような暗闇を、胎内で体験した親の愛に置き換えられないかと構想を練るのです。自らの存在の360度から、さらには愛する対象としての存在をさえ、親の愛で包み込まれる理想世界を実現する為の構想を立てようとするのです。それは、全知全能の神様でさえも、愛の奇蹟が起きなければ実現不可能に思えたのです。

 

  **引用終了**

 

自己愛の神様は、対象への愛に覚醒しましたが、対象はどこにも存在せずに、形状のエネルギーは絶対服従性を備え、それ自体は絶対虚無の存在でした。

 

愛したくてたまらない心情が溢れるほどに絶対孤独に落ちていきますが、その孤独のどん底で、愛したい心情の源泉の根底から、「真の愛に絶対服従して生きたい心情」の動機によって支えられている事に気付かれたのです。

 

その「真の愛に絶対服従して生きたい心情」を実体験する為の、主体と対象の関係性を構想構築した結実として発想された関係性こそ、「親子の愛の関係性」だったのです。

 

その「親子の愛の関係性」を真の愛の実現様相として、構想されたシステムが「聖父・聖子・聖霊の三位一体」「神様を中心とする真の父母の実体的三位一体」なのです。

 

神様と真の父(キリスト)の愛の関係性からでは、「対象を愛したい心情」の根底に「真の愛に絶対服従して生きたい心情」は潜んだ状態でしかありません。主体から注がれる愛を、全面的に受け止める「真の愛に絶対服従して生きたい心情」で生きる対象の存在があってこそ、主体の愛は真の愛として結実するのです

 

そこで、神様の愛を全面的に受け止めてくれる対象として構想された存在こそ、女性であり真の母であったのです。

 

つまり、夜の神様は真の父となるアダムの生心に臨在し、エバと共に成長し、子女の愛・兄弟姉妹の愛・夫婦の愛・父母の愛の四大心情圏を一体となって成就することによって、エバの母性を共に体恤し、一人でも真の父母の存在になるのです。なぜ、一人でも真の父母となることが必要かと言えば、聖霊を人類に向けて発動できるのは、夜の神様だけだからです。

 

ですから、聖霊とは「神様を中心とする真の父母の実体的三位一体」から注がれるのではなく、夜の神様のみが発動する真の愛だからなのです。その夜の神様は真の父の生心に臨在され、完全一体となっていますから、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相が理解できなければ、お父様の聖霊の愛の力を、マクロに向けて発揮させることが出来なくなるのです。

 

なお深く、「真の愛の三位一体システム」について学んで行きましょう。

 

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