統一教会・家庭連合・サンクチュアリと食口においては今も続いている矛盾した信仰! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事重要部分

 

江利川会長は「日本における責任者として、天一国国民の永遠の生命に責任を持って歩ませていただこうと覚悟をしております」と受け止めておられます。

 

二代王様は「信仰者をまとめて、お父様に戻る信仰運動を起こしていくことを意味する」と、『総会長兼協会長』の肩書について、特定しています。ですから、私が思うところは先回記事でも記述した通り、二代王様が最も強く訴え指導してくださっている次のみ言に尽きると思っています。

 

「お父様がその心情の玉座の上に座られる事が出来る様に心が開かれる事」

 

これこそが、キリストと共に生きる王王妃が、第一に体恤するものだと確信します。このために尽力していただくことこそ、『総会長兼協会長』として果たすことだと、私は思っています。

  ***

アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドには組織は無く、アメリカにおいてはパンザー総会長が一週間に一度、ズーム会議をして連結しているということです。つまり、三代王権の初めから、王王妃の一人一人がリーダー(独立聖殿)として認められ、神様から与えられた自由と責任に委ねられているのです。

 

また、アフリカでは教会長や大陸会長が仕事をしていないと表現されていますが、食口たちが任命された方々の不足な状況に気付いたのでしょう。食口たちが組織を改編し、新しい組織を作ったと語られています。食口たち自身で、新しい天一国時代のリーダーの道を切り開いたのです。

 

私たち日本の聖殿食口、王王妃は、いつ霊的覚醒を迎え、真のお父様が聖和前に勝利された天一国霊的基盤に繋がれるのでしょうか。

 

  *****

 

読者の数名の方より、三位一体に関して、それぞれ信仰の上で気付いた内容が伝えられてきました。それぞれの質問や感想を紹介します。

 

  **読者の方より**

 

Aさん

お食事の前にどのように聖別されているのでしょうか?

もう私は40年ぐらい前に当時のアベルから教えてもらった内容を呪文のように唱えていました。

「父と子と聖霊と私(名前)の名によって聖別いたします」その後、3回息を吹きかけています。

間違えていましたら、ご教示いただきたく思います。

 

Bさん

サンクチュアリに来てから、父と子と聖霊と三代王権と祝福中心家庭◯◯の名によって聖別します、と唱えると教えられて、そうしていますが、本当に正しいのか自信がないです。でも、神様もお父様も祈る私たちが、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を理解していれば問題ないのでしょうね。

 

Cさん

今になって気づいたのですが、原理講論の三位一体論についての記述を見ると、キリスト教の三位一体論は間違いであると言っているかのような記述がありますが、(このため、キリスト教の三位一体論は間違いであると思い込んでいる人もいる)

我々はずっと前から、聖塩を増やしたり、聖別する時など、父と子と聖霊の三位一体の内容を唱え続けていたんですね。

何ともはや、今さらながら、自分の馬鹿さ加減がイヤになります。

 

  **引用終了**

 

1987年7月1日に、統一教会の伝統編纂委員会によって初版発行されている「伝統」には、聖別する時の祈りに「父と子とみ霊と真の父母様と私の名により・・・」と記述されています。

 

「父と子とみ霊と真の父母様と私の名によりこの塩が聖別され、聖塩となるようお祈りします。神と真の父母様の霊が宿りますように。天の父の聖なる力により聖塩とならしめてください。」

 

「聖塩で何かを聖別するときの基本的な祈りがあります。これを聖別し神のものとするため「父と子とみ霊と真の父母様と私の名」によりお祈りします。」

 

原理講論は統一原理そのものではありません。あくまでも原理講論は、劉孝元氏が執筆当時の、蕩減復帰摂理の復帰状況の圏内で書き表した内容です。

 

真のお父様は「原理講論」には、間違いがあると語られてきましたが、どこが間違っているのかは明確にされませんでした。

 

その間違いについて、二代王様は2021年3月23日のキングスリポートにおいて明らかにされたのです。

 

原理講論のキリスト論に記述された「人間メシヤ」という解説は間違いであり、100%神様100%人間の存在であることを、あらためて明言されたのです。

 

  **2021年3月23日キングスリポートより抜粋引用**

 

 原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちはすごくレベルの低い神学内容を知ることになったのです。

 しかし、キリスト教では、キリスト論の内容があり、イエスを神として扱っています。非常にレベルの高いキリスト論です。

 人であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。

 それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。

 三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答しているわけです。

 それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。

 ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低いキリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。

 お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。

 「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。

 つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。

 

  -(略)-

 

 聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?

 カインとアベルも、カインがアベルの対象の立場にいるのです。カインはアベルの妻ではありません。理解できますか?

 主体と対象の関係は結婚しない関係にもあります。多くの人が、これを勘違いしていますが。もう一度、聖霊は女ではなく、イエスの妻でもありません。しかし、神がイエスの霊人体の対象の立場として聖霊を送られたのです。ここでもイエスの霊人体と聖霊には違いがあります。同一のものではありません。

 またイエスの霊体の中にも霊的な体と心(霊体と生心)があり、イエスの生心が神と一つになっているということです。

神が聖霊を送られたので、その聖霊は聖父(father)からきました。この部分はギリシャ正教会の視点に近いといえるでしょう。

 

  **引用終了**

 

この二代王様のみ言にこそ、江利川総会長に託した信仰運動の真髄があるのです。天一国の本然基準の信仰は、このみ言が語られた時から、具体的な教育、そして運動とならなければいけなかったのです。

 

ところが、当時の日本本部の方々の受け止め方は、実体の真の父母様が立っているので、イエス様の「父と子と聖霊の三位一体」などもはや必要ないものだと主張したのです。

 

さらに、二代王様は「聖霊は女性ではない」と明言されたにもかかわらず、韓国語の原理講論に聖霊と聖神の二つの呼び方になっている事を根拠に、聖神がエバの神性であり女性神のことだと主張しているのです。

 

聖霊は厳然とした男性格の存在であり、神様から発動される「お父様の聖霊」です。ここが理解できないと「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相が明確になりません。

 

二代王様が、江利川総会長に最も強く託された信仰運動の真髄を受け入れることを、日本本部の中心スタッフは拒否し、日本本部独自の信仰観を形成しているのです。

 

一人でも多くの王王妃の霊性が覚醒され、その間違った信仰観を見抜けるようになることを、私は願っています。

 

 

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