清平の「ふくろう神」のように祀られた世界平和統一聖殿日本本部が掲げる「お父様の聖和は十字架」! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

真のお父様が亨進様と国進様がカインアベル一体に勝利したと公認された2012年6月5日には、すでに完全勝利を成されていたのです。地上で果たすべき蕩減復帰と、天一国建国の基台を完璧に整えたので、あとは霊界において天宙の中心に立つだけになっていたのです。「聖父・聖子・聖霊の三位一体のキリスト」として・・・。

 

だからこそ、カインアベル一体が勝利したその時に、聖和の日時を決められ、その日時を崩そうとするサタンの抵抗に、亨進様と国進様は屈せずに闘い、聖和の日を守られたのです。

 

私たちは今、自分の力で闘うのではなく、「聖父・聖子・聖霊の三位一体のキリスト」であるお父様が働けるようにする術を知らなければならないのです。

 

見えなくなった真のお父様・・・、聞くことの出来なくなった真のお父様を・・・、「人間メシヤ」と信じて侍ってきた時代以上に、慕わしく侍り心に抱き、生心で実感できるようになってこそ、勝利の道は開かれるのです。

 

世界平和統一聖殿日本本部が掲げている「お父様の聖和は十字架だった!」という主張を払拭しなければ、二代王様に相対することが出来ません。

 

  *****

 

二代王様は2015年1月18日に「沈黙を破って」のみ言を、世界に向けて発信して以来、「お父様の勝利によって戦う」と訴え続けて来られました。

 

二代王様は家庭連合世界会長の時の2012年1月29日に、「夜の神様、昼の神様」の解釈を語られていました。そのみ言の中から、聖和後の真のお父様の就かれる天宙の王の王としての位置が、どれほどのものかが理解できるようになる部分を抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、​夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。

 

天福祝祭を始める前に、真の父母様は私たちに驚くべき歴史の転換点をくださったのですが、それは去る1月8日から15日にかけて行われた「天地人真の父母国民支持世界大会」でした。行事の最終日、お父様は私たちに、ご自身と私たちの違いについて問われ、「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」と説明してくださいました。お父様は存在論的に、キリストと私たちの違いを非常に明確に決定し、発表されるフィナーレをしてくださったのです。

 

  **引用終了**

 

夜の神様の管理を受ける真のお父様が霊界に入るという事は、地上におられる時以上に、霊界の情報が真のお父様のもとに集まってくるようになるのです。私たち人類が、昼の神様に管理されるという事は、聖霊の働きによるものです。真のお父様が地上で昼の神様について語られていた時は、アダムとエバを昼の神様としていました。しかし、それは昼の神様の実体として顕現したという意味を持つものです。

 

昼の神様とは、二代王様が「動きの神様、摂理の神様」と表現されたように、創造原理プログラムが組み込まれたエネルギーそのものの事です。そのエネルギーが万有原力です。天宙創造の95%をこの万有原力が、エネルギー自体に組み込まれた創造原理により、自動的に創造し発展させています。あとの、人間の責任分担5%を導く存在が天使でしたが、人間の心の内から働きかけ、成長を促すのが聖霊の役割でした。

 

一人一人の人間が誕生した時から、聖霊は四大心情圏の成就の為に働きかけてきますが、成長し完成段階に入るほどに、天使を愛し導くようになっていました。

 

昼の神様の働きとしての聖霊は、人間が愛を完成させてからも授受作用を続け、聖霊の発動源である夜の神様に一人一人の情報を送り返します。

 

その夜の神様と真のお父様が霊界で一体となって存在するという事は、夜の神様から発動されるお父様の聖霊によって、天宙全体の人類と天使たちを愛によって主管できるようになるという事です。

 

ですから、堕落天使であろうが悪霊人であろうが、全ての個性真理体がお父様の聖霊によって、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストによって管理されることになるのです。それが天一国の天宙世界なのです。

 

ただ、真の愛による主管ですから、自由と責任のもとに、それぞれの個性真理体の5%があります。その5%の中で闘われているのが、今年の「サタンシステム」「王家のシステム」との歴史的決戦なのです。

 

ですから、真のお父様が天宙天地人真の御父母様として、天宙天一国の王の王としての位置に就くことが、どれほど偉大な事なのかということなのです。

 

真のお父様が、この尊い位置である天宙天一国の真の愛のコントロールタワー、または管制塔というべき王の座に就いたほうが、天一国創建の確実な道だと判断された時が何時なのか?それが、2012年6月5日のカインアベル一体の勝利宣言の時なのだという事です。

 

誰かの不信仰によって、聖和を決定されたわけではないのです。

 

天一国を実現できる霊的基盤は、2004年5月5日の双合十勝日の時点で完成されていました。その上で、亨進様と国進様のカインアベル一体の勝利によって、真のお父様がキリストとして立てる条件が立ったので、具体的に完成・完結・完了している霊的基盤から、地上の基盤へと移すことが出来るようになったのです。

 

ですから、真のお父様が霊界に入り、夜の神様そのものとなって、天宙の真の愛の中心に立つという事が、どれほど尊い事であるのか。だからこそ、カインアベル一体の勝利が偉大で歴史的なものなのです。その時に、真のお父様は聖和の日を決められ、天宙の王座に就く日を決められたのです。

 

そのことが腑に落ちれば、天宙平和統一聖殿日本本部において、信徒の教育と家庭連合伝道の為に、一年がかりで発刊に至った「成約時代の摂理的同時性」に書き込まれた欺瞞が明らかになるのです。

 

「成約時代の摂理的同時性」の副題として「韓鶴子オモニと祝福家庭の不信が再臨主の十字架(聖和)を招いた!」となっています。

 

その著書のなかで、その不信が何なのかを、具体的に記しています。その部分を抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

第四章:第六節 文鮮明先生の聖和と摂理的同時性への影響(一)文鮮明師の聖和とイエス様の十字架の死

4)真の母と祝福家庭の不信

 

  文鮮明先生は、1989年1月3日に「氏族的メシヤ」を宣布され、すべての祝福家庭を「氏族的メシヤ」として立てて環故郷の摂理をされました。さらに、1992年4月10日、韓鶴子女史を総裁として「世界平和女性連合」を創設されました。そのときから20年以上の期間が経過してもその使命が果たされなかった結果、2012年5月から7月、「基元節と祖国光復のための新氏族的メシヤ3600名30日特別教育」が行われ、祝福家庭たちがもう一度、「氏族的メシヤ」の立場に立てられました。

 

 しかし、一度失敗した人物を再び中心人物として立てることはできないのが原理ですから、サタンはそれを讒訴するようになりました。

 

 さらに、2012年7月16日には「アベル女性UN」が創設されますが、この「アベル女性」とはどういう意味でしょうか?朝鮮半島の統一と女性宣教師を中心とする世界宣教がその創設趣旨だった「世界平和女性連合」は、その責任を果たせずにサタンに侵入され、そのサタンを分立するためにアベル女性とカイン女性に分立されたことから、「アベル女性」と命名されたと考えることができます。これは「世界平和女性連合」の中心である韓鶴子女史にもサタンが侵入し、新婦と真の母の位置をサタンに奪われたことを意味します。したがって、イエス様のときと同じように、真の母と祝福家庭が責任を果たせず、新婦を失われた文鮮明先生は、その蕩減復帰の代価として、ご自身の肉身を捧げられたということになります。

 

 以上のように、文鮮明先生の聖和は現代の十字架であり、真の母と祝福家庭たちの不信によって生じたことだったのです。 

 

  **引用終了**

 

「一度失敗した人物を再び中心人物として立てることはできないのが原理です」と断定していますが、原理講論の「第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理」には、次のように解説されています。

 

【アブラハムが「象徴献祭」に失敗したのち、再び神はアブラハムにイサクを燔祭としてささげよと命令された(創二二・2)。それによって、「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する新たな摂理をされたのである。予定論によれば、神はある摂理のために予定された人物が、彼の責任分担を果たさなかったときには、その張本人を再び立てて、摂理なさることはできない。そればかりでなく、アブラハムが「象徴献祭」に失敗したので、その献祭で立てるべきすべての目的は達成できなくなっているのに、どうして神は、アブラハムを再び立て、イサク献祭によって、彼の「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する摂理をなさることができたのだろうか。

 

この解説の後に、再び中心人物に立てることが出来る理由が記されています。一度失敗した人物を再び中心人物に立てることは出来ないということは、あくまでも原則であって、再び立てる為の対処法はあるということです。

 

アブラハムの例は、実際にはイサク献祭により、イサクが代わって中心人物となりましたが、サタン側のエバ国家から神側のエバ国家となった日本を見るならば、何度も失敗してきたにも関わらず、最後までエバ国家として繋ぎ止められてきました。

 

そこには、真のお父様や真の子女様たちが、どれほどの犠牲としての供え物をしてきたのか、計り知れないものがあります。韓国の2007年12月の大統領選挙においても、失敗したにも関わらず代わらずに、失敗した本人さえ、そのまま重要な役職についていました。

 

その事も考慮せずに、氏族メシヤの摂理を成就できないまま「3600名30日特別教育」を通して、再び氏族メシヤとして立てたからサタンに讒訴されたとは、なにを根拠にして言える事なのでしょうか。

 

それを決定した真のお父様が、どれほどの条件を立てたのかも考慮せずに、讒訴されたと決定づけることは、お父様が原理を理解せずに決行されたと言っていることになります。これこそ、祝福家庭の不信ではなく、この理由付けを決定した「成約時代の摂理的同時性」研究会の面々の、真のお父様への不信を証明してしまっていることになります。

 

これだけの説明で、だいぶ長くなってしまいました。

 

「アベル女性UN」の創設が、新婦と真の母の位置を、サタンに奪われたことを意味すると結論付ける理由付けが、どれほど滑稽なものであるのかの解説は、次回の記事にします。

 

 

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