このブログの主張に反対する方々でさえブログが真実真理であることの最大級の証人とする神様の業! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

2021年10月14日天一國 生命の書 入籍祝福式・二代王様祈祷文より

お父様!お父様に侍り、謙遜に敬礼を捧げたい心のない人は、永遠のあの世界でお父様と因縁を結ぶこ とはできない、ということを知るべきなのでございます。今、私たちが、心の門を開いてお父様の心情を感じさせてくださいまして、今日、我々の心から聞こえてくるあなたの音声を聞き、 失った自分の体を探すことができ、お父様が私一人を探すために、私の背後において艱難と苦労の歴史過程を経てきたことを感じて、自ら頭を下げ得る私たちになるようにお許しください。

 

先回記事では、二代王様の祈祷文の「我々の心から聞こえてくるあなたの音声を聞き」という部分を強調しました。それと等しく重要な部分が「お父様が私一人を探すために、私の背後において艱難と苦労の歴史過程を経てきた」という部分です。このみ言の真の意味と真の愛の深さを実感するには、「霊界システム」の働きを知らなければならないのです。

 

このブログの発信する内容を妨げようとして、何人もの方々が批判してきます。しかし、そのような方々ほど、このブログの主張が真実真理であることを証してくれるお父様のみ言を持ってきてくれると、かねてから書いていました。

 

先回記事ではkazuko岩崎さんが、松本教会長が、その前日にLINEで信徒に流した次のみ言を持ってきてくれました。

 

二性性相の中和的主体であると同時に愛の根本である方が神様です。「原理講論」に“真の愛の起源”という言葉を入れなければなりません。入れなかったのは、その時になっていなかったからです。(中略)「原理講論」を修正できる主人公は私しかいないのです。(1991.11.24)

 

今日はブログ「原理講論を読む」の10月13日の記事を紹介します。私の事を心配し、「今ならまだ戻れる」と助言してくれています。実際に記事は、私のブログ以上に長いので、読むには骨が折れると思います。私に関する記述だけ、抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

わたしは内容を全く知りませんが、クルトさんのブログを最近いくらか見て感じるのは、クルトさんは「夜の神様」や「昼の神様」の御言葉をあまり読んでいないか、余り知らないのではないかという心配です。

また、「原理本体論」についても同様で、同じ御言葉をよく引用しているような印象を持ちました。

先ず、お父様が語られた御言葉をしっかり受け止めてみられてはいかがでしょうか?

 

「夜の神様」や「昼の神様」の理解が違えば、「天地人真の父母様」の理解も違ってきます。

「原理本体論」もお父様の語られた御言葉を生命視しなければ、お父様の理解とは違ったものとなるでしょう。

  (略)

 

今なら戻れます。大失敗する前に。

 

  **引用終了**

 

私が解説主張している「内容を全く知りません」と書いておきながら、「夜の神様」や「昼の神様」の御言葉をあまり読んでいないか、余り知らないのではと心配だという事です。心配するくらいなら、私が解説している内容をよく読んでみてはいかがでしょうか。

 

ブログ「原理講論を読む」の記事の内容はともかく、このブログの管理者が提示してくれたお父様の御言から、新たな真実が見えてきました。

 

取り分け新たな意義を見出したのが、2008年10月と2012年4月の劉会長の本体論に関する、次のお父様の二つのみ言です。

 

「私が、劉正玉が講義したものを全て聞いた。修正するところがない。他の人が手を入れると天理が変更されてしまう。孝律わかったか?(はい)」(2008年10月27日 天正宮)

 

「劉正玉!(はい!)本体論教育は劉正玉!(はい)本体論教育は劉正玉が責任をもったでしょう?(はい) - 中略 -今回の話の中で本になかったこと、あなたが言いたい事、先生が話さないようにとしたものまでも全てしてしまいなさいというのです。先生のみ言葉の中で教えなかったことはありません。すべて話しました。」(2012年4月25日 天正宮)

 

2008年の講義案を見ると、2012年7月に発刊された原理本体論で解説されている内容とは違うものになっています。

 

2012年7月発刊の本体論では、79ページで「陽性と陰性は、一つの性(生殖器)を意味します。」と解説し、82ページでは「本陽性と本陰性とは、神様の『絶対性』(生殖器官)に属する二つの要素をいいます。」と結論付けています。『絶対性』が生殖器官という外的形状的な面を際立たせてしまっています。

 

 

 

2008年の講義案では、『絶対性』は(絶対純潔)とされており、(生殖器官)と結論付けることはしていません。

 

 

つまり、2008年に劉会長が講義している内容と、2012年7月に発刊された「原理本体論」の「絶対性」に関する解説が違うものになっているという事です。

 

本来、2012年1月29日に亨進様が、「夜の神様・昼の神様」について解説されました。この「夜の神様・昼の神様」の解説から、「絶対性」はより具体的に詳細に説明できる状況になりました。

 

そこで、お父様の次のみ言が語られるのです。

 

「劉正玉!(はい!)本体論教育は劉正玉!(はい)本体論教育は劉正玉が責任をもったでしょう?(はい) - 中略 -今回の話の中で本になかったこと、あなたが言いたい事、先生が話さないようにとしたものまでも全てしてしまいなさいというのです。先生のみ言葉の中で教えなかったことはありません。すべて話しました。(2012年4月25日 天正宮)

 

真のお父様は「霊界システム」についても語っていますし、「生素」についても語っています。当然、これらの内容が、本体論に含まれなければなりませんでした。しかし、2012年7月に発刊された原理本体論には、「生素」の解説も「霊界システム」の解説もありません。この二つの内容は、天一国を創建するにあたり、絶対的に必要なものでありました。

 

また、「絶対性」とは生殖器そのものではなく、そこを通して結実するのですが、生殖器の感覚を通して実感するのは、神様が包み込まれた真の愛のこと、つまり四大心情圏であり、その原点は真の愛に至る心情の動機にあります。

 

 

2008年の時点では、「神様は真の愛、真の生命、真の血統の絶対性の本体」とまでの解説でした。

真のお父様の期待に応えて、2017年7月発刊の本体論では、より詳細に解説を加えようとしたのでしょう。

 

kazuko岩崎さんが持ち込んでくれた、次のお父様の御言が、「真の父母様の本体論」において、基元節前には成就しなければなりませんでした。

 

「二性性相の中和的主体であると同時に愛の根本である方が神様です。『原理講論』に“真の愛の起源”という言葉を入れなければなりません。入れなかったのは、その時になっていなかったからです。(中略)「原理講論」を修正できる主人公は私しかいないのです。」(1991.11.24)

 

旧原理本体論では、2012年7月に著作にする時に、このみ言によるお父様の願いを成就しなければなりませんでした。

 

ブログ「原理講論を読む」で提示しているお父様の御言から、もう二つ引用します。

 

「今、統一教を教育する最後の責任を持って教育するのは劉正玉しかない。私がそのように育てて来た。誰も知らない中で。」(2009年8月20日 天正宮)

 

「実体論。本体論教育ができる人がいるということがどれほど尊いことか。一人しかいない。劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。」(2010年7月19日 イーストガーデン)

 

「凹凸の実体を暴いて教育する。」と語られていますが、それは生殖器の起源のことであり、夜の神様自身が愛から生まれたことによって、「真の愛の種」と「真の生命の種」を獲得したのです。ですから、真のお父様が願われた真実真理は、「神様の誕生」について明らかにすることだったのです。

 

2012年7月25日に発刊された「原理本体論」には、「神様の誕生」も「生素」や「霊界システム」の解説もありませんでした。これらすべての解説こそ、絶対性教育において必要なものなのです。

 

日本食口が7月31日に3600名の40日間原理本体論教育を終えて、当時の日本教会総会長が報告に行きましたが、その時お父様の体調は良くなかったと伝えられています。

 

そして、その二日後、「原理本体論」が発刊されてから七日後、8月2日の五山学校でのみ言になるのです。

 

定着が何だと思うか?

空中に浮かんでいます。

(※天一国が定着できずに、宙に浮かんだままということでしょう。)

神様も、夜の神様、昼の神様、夜昼の神様が戦っています。二人の、夜の神様も昼の神様も相談して一緒に働いたら終わるのに。考えが違います。お前たちも兄弟でもみな(考えが)違うだろう?みな同じなんだね。

 (略)

皆知りません。詐欺師たちだ。皆。

 

「二人の、夜の神様も昼の神様も相談して一緒に動いたら終わるのに。考えが違います。」この部分を真のお父様と韓氏オモニのことだと捉えたいでしょう。しかし、「詐欺師達だ。皆。」と締めくくっています。

 

 

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