偶然聞いていたyoutubeで

ギフテッドについて語られていました。

 

「ギフテッド」という言葉は聞いたことがある程度

「天才」「何かに秀でた人」という程度の認識でした。

 

でも聞いていると「え!?」と驚き、

調べてみたら、当てはまることばかり。

そうか…私はギフテッドだったが故の生きづらさを抱えていたのかも

しれないと、40代半ばになって知りました。

 

HSP、アダルトチルドレンではあるんだろうな。

発達障害も疑って検査はしたけど、全く違っていた。

摂食障害、鬱、自殺未遂は何度もしてきたほど、とても生きづらく

苦しい人生を歩んできたのは、毒親に育てられたが故の

自己肯定感の限りない低さが原因とばかり思っていたけど。

 

ギフテッドだとわかっても、何の治療もできないし、楽になる訳でもないけど。

 

ただ、遺伝的要素があると知って、悩んでいる発達障害の長男についても

気になりました。

 

調べてみると、うーん当てはまる(笑)

彼もギフテッドなのかもしれない。

ギフテッドについて勉強して、彼の才能を伸ばしたり、

彼が生きづらさを感じないようにできたらいいな…と気づけたのは大収穫です。

 

私がギフテッドだったかもしれないと思う理由を書きます。

 

勉強は大嫌いだったんです。

授業で座っているのが地獄の苦しみ。

時計ばかり見て、まだ10秒しか経ってない…

あぁ…まだこんなに時間がある…と、ずっと苦しむ時間でした。

今でも夢に見て脂汗をかいて飛び起きるくらい本当に苦痛でしかなかった。

 

嫌いだけどできるんです。

例えば、国語の授業の時、教科書を順番に読んでいったりしますよね。

他の子が、ゆっくり、時につっかえながら読んでいる間に、最後まで

読み終わっている。

そして、一度読めば内容もすべて頭に入っている。

なのに、今日は第1章のこの部分を考えていきます…

この主人公はなぜこう思ったのか…と授業は進んでいきます。

 

「書いてあるじゃん」

「何なのこの無駄な時間」

としか思わない。

毎日、毎日その繰り返し。

一度読んで全部理解したのに、何時間も何週間もその物語について

座っていなければいけないし、宿題もやってこないといけないし

知っている感じを何十回ずつ書かないといけない。

発狂しそうなほど苦痛でした。

 

数学にしても、授業なんて聞かなくても家で教科書見たら終わるのに。

5分で終わる内容をなぜ何百分も我慢しなければいけない?

できた人から終わっていいと言われても、みんな終わるまで

本を読んで待っててとか。

 

先生が教科書を読むにしても、

「あ~、えーと…何ページだったかな…えー、このー…あーこれだ。このね、」

って言う時間が無駄!!!と思って、この時間をずっと秒単位で計算していたんです。

そしたら、50分授業は17分で終わると判明。

33分返して!!

 

そもそも何でみんなで授業受けないといけないの?

自分のペースでやれば5分で終わることを何でじっと座って耐えて

何十、何百時間待たなければいけないんだーーーーー!!!って発狂しそうだったんですえーん

 

自慢でも何でもなく、なぜみんなは大人しく座っていられるのか

私は人と違うのか、忍耐力の欠如した人なのか…と悩んだり。

 

運動能力も同じで、ずっとリレーの選手。

基本、学校1になるくらいで、習い事をすれば日本一。

体育は大好きだけど、危ないから7段まで等決められて、全然面白くない。

できない人を待ってばかり…

馬跳びをすれば、なぜ全体重を掛けてくる…なぜ膝で蹴飛ばされた…という

いつものことにイライラしたり。

 

でも勉強も運動も、誕生日が早いのと、体が大きいせいだと思っていました。

 

2000pcのパズルとかも、一瞬でどんどん入れてしまうから、楽しんでいた父親が

嫌になって止めてしまう。

 

絵画や書道も書けば学校の代表になる。

 

でも、毒親だったので、褒められることもなければ、けなされていたので

自分がすごいと思ったことはありませんでした。

 

98点を取れば、2点も間違う!100点取れる子もいるのに!!

学校1番になれば、学校いくつあると思ってんの!

日本1になれば、世界には…とか、スポーツだけで来たってダメなのよ!料理も作れない!とか

言われ続けるので、むしろ自分はだめな人間で、自分なんかより優れた人だらけなんだと思っていました。

 

そして、頭が良くても、いい学校に行っても、別に良いことはありません。

偏差値が70を超えた学校に入って、話が通じやすくなったけど、

相変わらず授業は苦痛で…

授業は全く聞かず、自分でやっただけで平均点以上取れるから

学校って要らなくない?と心のなかでは思っていたし。

何で聞いてないのにできるの?と不思議がられていましたが、なぜできるのか

なぜ他の人が理解できないのかがわからない。

 

先生に呼び出されて、学級委員や学校の代表、生徒会等はやって欲しいと

お願いされることは多かったんですが、放課後残らないといけなくなるのに

ただでさえ自分の時間が欲しくてたまらないのに、また私?何でいつも私?

絶対ヤダ!!!と思っていました。

 

スーパーで買い物していて、レジを打つ前に消費税までぴったり合計金額を出せたり、

常に硬貨の枚数を最小にする出し方で出したりしていたり。

レジの人に怪訝な顔をされ、でも金額を打ち込むとお釣りがきれいな数に

になって、拍手されたり。

記憶力が良いから、全く異なる分野のA,B,C,Dを覚えれば

AとDが繋がっているから応用して…とかわかるんです。

だから、母がICUに入ってお医者さんに説明を受けたときに

自分では普通に聞いていたつもりなのですが「医療関係者ですか?」

「なぜそんなに医療に詳しいのですか?」と聞かれ

「いえ、全く詳しくないです。授業で習った程度のことしか覚えていませんが…」

「どこの名門ですか?学校名を聞いてもいいですか?」

と夜中、母が生きるか死ぬかの深刻な状態で言われたこともありました。

 

ギフテッドかもしれないと思っただけでこんな事を思い出しましたが

別に良いことなんてない…

嫉妬されて、妬まれて、ひどいことを言われたりしたことも山程あります。

いじめにあったことも沢山あります。

人生の殆どの時間を無駄に感じることばかり。

こうすれば早いのになぜみんな無駄なことばかりする・・・

何故わかりきっているのに無駄な会議や集まりを何時間もする・・・

 

二人の息子の母親として生きていても、無駄だと思うことばかり。

習い事で教わっていても、それは昭和の考えでそれをしたら肩を壊す…

あ、それにはこうすれば良いのに…と思ってしまうし。

 

他の人達と会話をしていても「これってなんでだろう」「どうすればいいんだろう」という会話に

 

「何で知らないんだろう…」「それじゃ無理だよ…」といつも思います。

 

でも社会を渡っていくために、頭に浮かんだ声は幼少の頃から言いません。

「どうなんだろうね」と合わせて微笑む。

 

だから、家の中で自分の好きなことを思いっきりするのが大好きです。

編み物だってDIYで家具を作るのだって、好きなことを学ぶのだって

自分ひとりのペースで、誰にも嫉妬されず、謙遜する必要もなく

思い切りできる。

 

あー…生きづらさはこれだったのか。

だから一人が好きなのか。

 

 

本当に死にたいくらい暗黒の時間を沢山過ごしてきました。

今でこそ記憶力も運動神経もだいぶ落ちて、暮らしやすくなりましたが

小学生の頃に聞いた歌、踊った踊りは今でもはっきりくっきり覚えています。

何の役にも立たない(笑)

 

でも、辛かった理由がわかったこと

辛かった気持ちを吐き出せたこと

大好きな何かにこの集中力や記憶力を活かすことで、誰かの役に立てるように生きていこうと思えたこと

長男もギフテッドかもしれないから、良いところを伸ばすお手伝いをしようと思えたこと

ギフテッドによる生きづらさを止められるかもしれないと思えた。

 

そんなことが良かったと思えました。

 

もっと調べてみよう。

 

才能とか天才って聞くと、「羨ましい」「すごい」って言う人も多いかもしれないけど

それに付随して「苦悩」「苦痛」「生きづらさ」「試練」「葛藤」もとてつもなく訪れます。

いいことではないです。

普通が一番。

平凡が一番。

何も無いのが一番幸せ。

 

物事はやっぱり陰と陽、正と負、表と裏があるんだなと改めて思いました。

ただの独り言ですが、頭の整理ができました。

 

お付き合いいただいた方、どうもありがとうございました。

同じ苦しみを抱いている方、ギフテッドを理解できずに苦しい方がいらしたら

少しでも良い方向に、幸せが訪れるよう祈っています。