納涼床と幕末維新  (再掲) | 子どもへ伝える大切なもの

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更新が少ない中、覗きに来てくださる皆様には感謝です。

更新が少ない事を少しでも誤魔化す為に
過去の記事をUP致します(笑)

過去の記事を見ると、最近の僕はトゲトゲしい文章になっていたような気がします。
まあ、それが良いのか悪いのかは別にして感慨深いものです。


という事で
この8月は誤魔化していきますよ~(=⌒▽⌒=)


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納涼床と幕末維新             2010年7月22日



暑い日々が続いています。
まだ今年は暑くなりそうですから、少しぞっとしちゃいますよね。
みなさんも熱中症、熱射病には十分お気をつけ下さいませ。


けれど、夏は夏で楽しまないと損です。
もちろん麻の着物、絽や紗の着物で
逆に、夏の暑さを楽しむのも、四季のある日本の良さです。


                      貴船・川床
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京都では、納涼床(のうりょうどこ)があります。
鴨川沿いの床(ゆか)や
高尾や貴船の川床(かわどこ)が楽しめます。

鴨川沿いは現在、ちょっと暑いですが(笑)
貴船、高尾は山の中なので、涼しいです。
夏物の着物を着て、川床料理を頂くなんて、そりゃあ最高です(-^□^-)
僕ぐらいの庶民は、お昼のランチがオススメです。
価格もリーズナブルです。
しかし、この時期は予約は必至です。



納涼床の歴史は古く16世紀には、もう存在したといいます。
500年近く前の人も、鴨川沿いで涼を楽しんでいたのですね。

                      明治時代
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この鴨川沿に、「幾松」という料亭があります。
ご存知の方は多いかも知れませんが、
桂小五郎と妻の「幾松」のゆかりの建物です。
当時は長州藩の控え屋敷で現在は料亭になっています。

この幾松という女性は、すごい人です。
はじめは京都で芸妓をしていたそうです。
そしてその京都で桂小五郎と出会い恋に落ちます。

当時、桂小五郎は長州藩であり倒幕派です。
しかも、池田屋事件、禁門の変などで長州藩が朝敵とされ
幕府から追われる、どん底の身です。

乞食に身を扮して、生き延びる桂小五郎に
幾松は握り飯をよく持って行ったそうです。

そして、こんな逸話があります。
長州藩の控え屋敷で桂小五郎が潜んでいる時
突然、新撰組が押しかけてきます。

新撰組は、桂が屋敷にいる情報を掴んでいました。

万事休す、応戦しようとした桂を幾松はとどめ
部屋にあった長持(木の箱)に隠れるよう言います。

新撰組は片っ端から部屋を開けて、桂を探します。

桂がいる部屋は一番奥です。

どんどん新撰組はこちらの方へ近づいてきます。

そして、ついに一番奥の部屋のふすまが開け放たれます。


しかし、幾松が澄ました顔で三味線を弾いているだけで

桂の姿はどこにも見当たりません。


しかし、桂がもし滞在しているならこの部屋です。

その時、近藤勇が幾松の後ろにある長持(木の箱)に目をつけます。


「あやしい・・・」

そして、近藤勇が長持に手を伸ばします。

バチンッ!!

なんと、幾松が三味線のバチで近藤勇の手をはたきます。

そしてこう言います。

「近藤はん、もしこの長持の中に誰もいなかったら
責任をとってこの場で切腹してくれはりますか?
その覚悟がおありでしたら、どうぞ開けておくれやす。」

愛する桂をなんとか守りたい、幾松の命がけの大芝居です。



近藤勇は、「・・・・すまなかった」と言ってその場を去ります。



大ピンチの桂を幾松の気丈な振る舞いに助けられるという逸話です。

僕が思うには、近藤勇は長持の中に桂小五郎がいた事を
確信してたんじゃないかと思います。
幾松の命をかけた振る舞い。
それが、近藤勇の心を揺さぶったんじゃないかと思います。
「今日は、このへんにしておいてやるか」と。


歌舞伎の「歓進帳」でも、主人の義経を守るために必死に弁慶が隠そうとします。
その痛切な弁慶の姿に心を打たれ、関守の富樫は義経一行をわざと関所を通します。

とてもいい話ですよね。心を打たれます。
日本人はそういう情や義を美徳としてきたから
何年たって時代が変わっても人々に語りつがれるのだと思います。
何年たっても色あせないモノにこそ価値があるのではないでしょうか。



ここから僕の独り言ですが、
さてさて
幕末の志士は、なぜ明治維新を起こしたのでしょうか。

なぜ、農民じゃなくて、身分のある武士が幕府を終焉させたのでしょうか。

世界からミラクルピースと呼ばれ、200年も続いた平和な江戸時代を
なぜ、多くの命の犠牲をはらってまで終わらせないといけなかったのでしょうか。

アジアが欧米の植民地にされていく中
日本はどっちに進もうか。

他国のように植民地になるのか、独立を守るのか。

しかし、独立を維持するには、いばら道。
欧米にとって
有色人種の台頭は植民地政策に支障がでます。

欧米と日本が衝突する日が来るのは、必然じゃなかったでしょうか。
あの幕末の志士が立ちあがり、大政奉還が実現したあの日から
欧米との衝突は決まってた事なんじゃないでしょうか。


明治維新から日米開戦まで、必ず歴史は繋がっています。
歴史を断片的に切って考えるから、おかしな発想になります。
坂本龍馬はヒーローで
東郷平八郎はヒーローで
東條英機は超極悪人っておかしいですよ。
少なくとも悪人では無いはず。

開戦明け方、開戦回避を熱望していた昭和天皇の期待に応えることができず、
懺悔の念に耐えかねて官邸において、皇居に向かって号泣した東條英機氏。



衝突は避けてきたけど、最後はどうしようも無かったんです。。。

しかし、日本はボロボロになったけど
長引く東洋人の抵抗で、世界の価値観が変わりました。


タイ王国元首相ククリット・プラモード氏
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは
難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは
一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本という
お母さんがあった為である。
 
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を
賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが
病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」




誰だって平和が一番に決まってます

正しい歴史を取り戻すことは、正しい政治と正しい教育を取り戻せます

そこには、正しい未来がきっと訪れるでしょう







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