今年も、あっという間に半年が過ぎてしまいました。

後半も同じく、あっという間に過ぎるのでしょう。

かぎられた時間と体力を、できるだけ有効に使いたいと思います。

 

好きの優先順位も、自分の感覚を大切に。

つまり、より一層の My Way を歩いていくのでしょうね。

できるだけ、周囲にご迷惑をおかけしないために、社会的な義務と協調を欠かないように努めます。

 

さて、Yiboくんの『ボーン・トゥ・フライ』を観に行く前に、Zhan Zhan のことを書いておきたいと思い立ちました。

書くつもりがなかった「时尚先生 Esquire 2023年4月号」について。

 

この雑誌を入手してから、もう一年以上、経ちました。

あっという間の半年、2.5回分。

まさか、そんなに日が経っていたとは…。我ながら、びっくり。

 

なぜ、今さら? なのですが…。

映画『无名/無名』の程耳監督について、人物像やその言葉を知る度に、いつも Zhan Zhan が浮かんできたのです。

 

以前、このブログにアップした「抗う Zhan Zhan ☆ パリの肖战」で、YiboくんとZhan Zhan を「奏者と作曲家といったような違いを感じる」と書きました。

『無名』のインタビュー集をまとめた時、クリエーターとして程耳監督のことを、表現者としてトニーさんとYiboくんのことを書きました。

程耳監督のことは、知れば知るほど、「やはり、クリエーター」と、実感しました。

そして、「やっぱり、Zhan Zhan もクリエーター」と、毎回、思いが連鎖してゆきました。

 

この「パリの肖战」は、Zhan Zhan のパリの旅動画を見て書きました。

私は、“ドキュメンタリーな Zhan Zhan” が、“歌を歌う Zhan Zhan” の次に好きなのです。

 

俳優としての彼のことをお好きな方にはお叱りを受けるかもしれません。

また、Zhan Zhan 自身も、命を削って俳優の仕事をしているので、そのようなことを言うファンには失望するかもしれません。

でも、好きなのですもの。

 

ご不快な思いをされましたら、どうぞスルーで…。

ご寛恕いただける方だけご覧いただければ幸いです。

 

 

 

「时尚先生 Esquire 2023年4月号」は、この動画の Zhan Zhan の表情に惹かれて、購入しました。

 

 

Esquire Cover character: Xiao Zhan

 

 

 

早速、いつものように、辞書と日本語力という無理やりの力業で読みました。

読後の第一感想は、「パリの肖战」で書いた私の肖战像は、わりと合っていた、ということ。

 

やはり、彼は「抗う人」でした。

 

 

 

 

 

 

ですから、読後の感想を、あえて、再び、私が書くことはない、と。

そこにすべて書き尽くした、という気持でした。

 

けれど、理由はそれだけではなかった。

この特集記事から浮かびあがる Zhan Zhan が、とても切なかったから。

そっと、胸にしまっておきたいような気持になりました。

 

Yiboくんは、的確に目標を定め、最短距離のルートを見抜き、迂回せずに、そのハードな道のりを突き進もうとします。

そして、素人の私の目には、らくらくと見えるくらい最速の確かな歩みで、しっかりとその道を突破してしまう、という絶対の安定感があります。

 

私は、こうした人を他に知りません。

仕事柄、超がつく有能な人をたくさん見てきた自負がありますが、ものすごく稀有な存在と思います。

この安定感こそが “王一博” と言っても過言ではないと。

 

同じ表現者ではあるけれど、気質的にはクリエーターである Zhan Zhan は、まったく逆で「ゆらぎ」の人。

模索し、抗う人と、私には見受けられます。

 

「抗(あらが)う」と言うと、誤解を生むかもしれません。

「争う」「争いごと」という意味ではなく、自己を「貫く」、簡単に「妥協しない」といった意味です。

 

創作という行為が、自己の探求であるかぎり、抗うことはあたりまえのこと。

そして、こちらのタイプは、私の周囲にたくさんいます。

 

「时尚先生 Esquire 2023年4月号」に描き出された Zhan Zhan は、自己の探求という、その「ゆらぎ」の只中にいました。

 

この文章を読んでも、空港でパスポートを覗き見るほど彼を追いかけたり、撮影中の姿を、目隠しの衝立と地面の僅かな隙間から寝そべって覗いたりする人がたくさんいること、信じられません。

彼は心を持たない “物” ではないことは、これを読めば理解できるはずです。

 

私はこの赤裸々な告白を読み、せめてものお返しに、自分だけが読み飛ばす下書き程度の日本語ではなく、できるかぎりの整った日本語にしなければ、と思いました。

そう思わせる切なさでした。

 

赤裸々と言っても、衝撃的な事実が書かれているわけではありません。

そういうものは、一切ない。

真摯に自己と対峙する過程の「ゆらぎ」であり、「模索」であり、「抗い」です。

 

それに切なさをおぼえるのは、私自身もそうした道を辿り、周囲の多くもその道を辿ってきたからかもしれません。

 

不惑の歳になれば折り合いが見えてきて、天命を知る歳になれば達観ができると、幾度も活字に囁いていました。

そのためにも今は、壊れる寸前まで抗いなさい、と。

あなたはそれに堪えうる人なのだから、と。

 

今回、考えを変え、ブログに書き留めようと思ったのは、先日アップされた Zhan Zhan の重慶の動画を見たからです。

 

「ゴキブリ」を連発する、愛らしい邪気のある無邪気なところも、「猫は近寄りたいと思っていれば、猫のほうから人に近寄ってくるから、無理に触らないで」と言う少しイラチなところも、好ましいです。

そして、GUCCI の自分の写真の前で、写真におさまる姿も。

 

 

 

 

Xiao Zhan's "happy hometown"

 

 

 

この場面を見た時、重慶の GUCCI が、あの “解放碑” のすぐ傍にあることに気がつきました。

解放碑界隈は、Zhan Zhan には、さまざまな思い出の場所。

そこに、スターとしてのうつくしい彼と、故郷で充電している素顔の彼が共存している。

 

ふと、「时尚先生 Esquire 2023年4月号」の記事、そのタイトルを思い出しました。

 

 

 

「我是我想成为的那个人和別人把我塑造成的那个人之间的裂缝」

 〈 “私がなりたい自分” と “他人が型に嵌める自分” との裂縫 〉

 

 

 

そして、彼が何代も続く生粋の重慶人であることを思い出しました。

 

 

 

人々が抱く俺の印象は “物静か” だと思う

実際は根っからの重慶人で気性が激しい

重慶の悪口を耳にしたり 批判されたりした時は

すぐさま怒りをあらわにし 擁護するだろう

 『奇妙之城 - 重庆 - 』肖战

 

 

 

Zhan Zhan が愛する “重慶” を初めて知ったのは、『奇妙之城』という番組です。

それも、肖战カットの抜粋動画でした。

『陳情令』で彼らを知ったばかりの頃で、その頃の動画は自動翻訳の字幕もなく、何を話しているのか、まったくわかりませんでした。

でも、“旅する Zhan Zhan” は魅力的でした。

 

同じ頃、Zhan Zhan と Yiboくんが北京を紹介する短い動画も見ました。

Yiboくんはつねに言葉があっさりしていますし、いつもの Yiboくんでした。

それに、彼の場合は、『天天向上』で、もっと素を感じる姿を見る機会がありました。

 

その時にはまだ、『燃烧吧少年』も、その関連番組のことも知らなかったので、Zhan Zhan にはそうした機会がないことを残念に感じました。

世界遺産を訪ねるような番組をしてほしいと思ったことを、おぼえています。

 

私がドラマよりもドキュメンタリー番組のほうが好きなので、そう思ったのでしょう。

あるいは、『陳情令』の BTS で “ドキュメンタリーな彼ら” の魅力をたくさん見ていたからかもしれません。

 

その後、『奇妙之城』は YouTube に英語字幕付きでアップされ、日本では CS の衛星劇場で日本語字幕付きで放映されました。

 

重慶という街は、ほんとうにとても興味深い。

勾配のある土地柄と高層ビル群で、上にばかり目がいっていましたが、一見では知ることのできない地下迷宮のおもしろさ。

戦時中、市民の全員が避難できたほどの巨大な防空壕であったことには、とても驚きました。

 

「时尚先生 Esquire 2023年4月号」を読んだあと、この『奇妙之城』を見返しました。

同じ会話を聞いても、Zhan Zhan の思い出の街という知識が増えると、感じ方が変わりました。

 

* * *

 

この記事は、5つの章から成り立ちます。

Q&Aスタイルではなく、インタビュアー王琛氏が文章にまとめています。

 

 

1.山上的小屋

  こどもの頃、先祖代々の家を訪ねた思い出。

 

2.梦中的厂区

  育った重慶の工場エリアの思い出。いまだにそこを夢に見る Zhan Zhan。

 

3.山城

  重慶での暮らしや、デザイン会社で働いていた頃の思い出。

 

4.脸与戏

  容姿としての “顔” と演者としての “顔” のジレンマ。

 

5.我是我想成为的那个人和别人把我塑造成的那个人之间的裂缝

  タイトルそのままの彼の「ゆらぎ」「模索」「抗い」

 

 

中国語の「裂缝」は、「裂け目ができる」「ひび割れる」「割れ目」「クラック」などの意味です。

日本語では、「裂縫(れつぽう)」。意味は「縫い目のほつれ」。

 

単一のものではあるけれど、多面的な構造の “心” というもの。

その「綻び」と、私は読みました。

 

 

 

.山上的小屋 〈 山の上の家 〉

 

こどもの頃、肖战(肖戦)は、大晦日の前に、かならず山に登って先祖のお参りをした。
当時の彼は、「重慶はほんとうに広すぎる、山はとても遠い、山に登るには長い道のりを歩かなければならない」と、思っていた。

朝、目がさめたら、おとなが言うとおりに支度をして自宅を出る。
まず、バスターミナルに向かい、バスを幾つか乗り換えて、重慶の南部エリアから川を北側に渡り、山の麓に降り立った。

1990年代のことで、その山道はまだ未舗装路だった。
どれくらい前のことなのかはわからないが、村人たちが歩いて拓いた道だ。
道の脇は雑草が生い茂り、幅は1メートルにも満たない狭さで、車は乗り入れることができない。

肖战はおぼえている。
山道では、ある時は晴れ、ある時は霞み、ある時は雨に打たれた。
道はとても滑りやすかったが、こどもたちはいつも先を競って歩いた。


こどもたちが列の先頭にいるから、おとなたちは大声を出しながら追いかける。
「違う、違う、そっちじゃない、こっちだ!」
座標もナビもない時代、肖战と彼の家族たちは、山道沿いにある先祖代々の家を見つけるのに、記憶を頼りに歩くしかなかった。

茶色と黒色の家だった。
この家は築100年ほどで、肖战の祖母の父親か、祖母の祖父母が住んでいたものだ。
もちろん、今はとっくに亡くなっていて、誰も住んでいない。


肖战はおぼえている。
古い家の1階には寝室が二つ、2階には小さな寝室が一つ、1階から2階へ続く木製の階段があった。
そして、薪で燃やす古い炊事場。
家は木造で、小さな中庭があり、石榴
(ざくろ)の木らしきものがあった。

大家族には欠かせない旅だった。
山に着くと、肖战と年上のいとこたちは、野生の玉葱を掘り、大根を抜き、山菜を採り、火をおこして一緒に料理をしようとした。


遊び疲れると、肖战はしばらく一人でいた。
彼は大きな丘の後ろに小さな丘が続いているのを見つけた。
家族たちから離れ、彼はその丘に登った。
こどもの冒険を始めるために。

丘の裏手に着くと、周囲には誰もいなかった。
彼は独りでそこに留まり、緑におおわれた遠くの山並みを眺めた。
家族たちは一日じゅう山にいて、午後遅くまで降りないことが多かった。

「こどもは怖がらない」
今、彼は当時の自分を振り返る。
「怖がるのは、おとなだけ」

肖战はぼんやりと遠くの山々を眺めた。
そこまで、ほんとうに歩いていきたくなった。
……こどもに最も必要なのは勇気……。

当時、彼はこう考えていた。
どんなに険しい道でも、手と足を使って登ることができる、と。
だが、その後、彼は成長し、中学、高校、大学と進んだ。
山に戻ってきても、彼はこの時のように大胆で、気軽な山登りをしなくなった。

この山を最後に訪れたのは数年前だ。
今は新しい道路ができ、高速道路が麓まで通っている。
肖战と家族は山の麓まで車で行ったが、山はまだ二本の足で登らなければならなかった。
何年かぶりに彼らは、幾度も通った道を歩いた。

こどもの頃、肖战は、おとなは足が長くて歩くのが速いと思っていたが、重慶で過ごす時間が少なくなった今、彼は両親が年をとってあまり歩けなくなっていることに気づいた。
彼はいとこたちとの疲れ果てた長い旅を思い出しながら、一歩一歩荷物を運んだ。
……竹林や土墳墓地など、通過する場所がたくさんあり、道は続く……。
しかし、今回はそれが短縮されていたかのように、さほど歩かずにあの古い家に着いていた。

道すがら幾度も振り返った。
こどもの頃は広かった竹林も、今では僅かなものにしか見えない。
かつてはおびただしい数で恐ろしく感じた土墳も、2、3個しかないようだ。
こどもの頃は登るのに時間がかかっていた坂道も、足を上げれば一歩で登れるように感じた。
記憶にあった急勾配に至っては、勾配がすっかりなくなっているようだ。


土の道はなくなり、黒いアスファルトの山道が、太陽の光の中で細く光っている。
この山には、リゾート施設、農業施設、そして、小さな展望台も建設されていた。

かつて、山はとても遠く、とても高かった。
肖战は思った。
時の流れとともに、山はもはや遠くなく、それほど高くもなくなった。
当時、彼はごく普通の “重慶のこども” だったが、今では多くの人が “肖战” を知っている。

それでも、変わらないことがある。
この山にはいまだに名前がない。

 

 

長い引用になりました。

一篇の物語を読むように、幼い、ごく普通の “重慶のこども” だったZhan Zhan が浮かびます。

そして、彼のいま現在も垣間見られますね。

忙しい彼がスケジュールをやりくりして、ご両親とヨーロッパへ家族旅行に出かけた気持もわかりました。

 

 

 

.梦中的厂区 〈 夢の中の工場エリア 〉

 

肖战はこどもの頃に住んでいた場所、当時は「全世界」を意味していた工場エリアを、今も、まだ夢に見る。

或る自動車部品メーカーの工場地帯。
(略)工業団地はみな同じような 7、8階建て。
次から次へと建ち並び、彼の記憶の中ではどれも灰色だ。

工場エリアには同年代の遊び仲間がたくさんいた。
宿題を済ませると
(略)こどもたちは叫び声を上げながら階段を駆け下りる。
その声は響き渡った。
「〇〇、早く降りてこいよ!」
「〇〇、今、降りるよ!」

夜の 8、9時まで遊んでいると、母親たちが窓から頭を出し、遠くに向かって大声で叫んだ。
「〇〇、帰ってきなさい!」
「〇〇、もう寝なさい!」

ボールを蹴ったり、かくれんぼで干し草の山や隅っこの暗がりに隠れたりしていた。


工場エリアでいちばん怖かったのは廃下水道だった。
おとなの背丈ほどもある大きな洞で、中はまっ暗で何も見えない。
時折、蝙蝠が飛んできた。
大胆な子は、マッチに火をつけて中に入っていった。
肖战は洞窟の中に入ったことがなかった。

 

 

『奇妙之城』で、Zhan Zhan は、追い払うために蝙蝠に向かってマッチを投げた、と話していました。

洞窟の入り口でのことだったのでしょうか。

 

 

 

転ぶことは日常茶飯事で、こどもたちは走っては地面に転び、肖战も膝にかなりの傷を残した。(略)
肖战があまりに乱暴な遊びをするので、両親は心配し、時々、階下の遊び場に行かせなかったことを、今でもおぼえている。

彼は部屋に独り残り、窓から身を乗り出して下を眺めた。
彼はその時に見たものを、今でもおぼえている。

家のバルコニー、バルコニーに置かれた植木鉢、干してある洗濯物、階下の庭、庭の小道。

彼はすべてをはっきりとおぼえていた。

小学 3、4年生の時、紙飛行機を折り、5階から飛ばした。
飛行機は隣のビルのバルコニーに届くほど遠く、まっすぐに飛んでいった。
(略)

当時、肖战の家は 5階にあった。
階段を上がると、建物は老朽化が進み、多くの照明が点灯しなくなっている。
3階を歩く度に、暗闇への恐怖から深呼吸をしなければならなかった。
(略)
4階まで駆け上がる。4階には明かりがあった。

今でも時々、彼はあの暗い 3階の通路を夢に見ることがある。
夢でもまっ暗で何も見えず、隅に何があるのかもわからなかった。

別の夢では、3階の暗闇を抜けて 5階まで行ったが、そこにも明りがなかった。
見慣れた部屋のドアを前で、夢の中の自分が手を伸ばし、ドアを開けようともがいている。
ドアは開かず、拳を握ってドアを叩いた。
それでも、ドアは開かない。
夢の中で彼は、廊下に茫然と立ちすくんでいた。
(略)

当時、工場エリアが彼の全世界で、無辺で広大だった。
工場エリアから出るには、事前に親に報告しなければならず、まるで海外旅行に出かけるようだった。

その頃、肖战は 4冊セットの百科事典を読んでいた。
そのうちの 1冊は地球と宇宙についての巻で、地球の断面図が描かれていて、地表の下には何層もの地層があった。
彼は地球について考え、階下の庭にひときわ大きな岩があったことを思い出した。
彼は友だちを呼び、一緒に岩まで行って、それを動かそうと提案した。

今にして思えば、そのような思いつきは幼稚で、ばかばかしいものだ。
あの時、なぜ、自分が石や地球の本質にあれほど執着していたのか、いまだによくわからない。
何の変哲もない岩なのに、そのこどもは、岩の背後にある全宇宙を見ようとしていた。

 

 

「何の変哲もない岩なのに、そのこどもは、岩の背後にある全宇宙を見ようとしていた」

私はこういう一文に、ぐっときてしまいます。

クリエーターの片鱗が見えますね。

 

でも、こどもは本来、皆、こうした好奇心を持っているもの。

それをおとなになっても持ちつづけるか否か。

「幼稚で、ばかばかしいもの」と思っても、そうした思いを持ちつづけることはあります。

むしろ、そう思うからこそ、持ちつづけるのかもしれません。

 

彼のこども時代の話は、どれもとても生き生きとして、快活です。

ご両親にとても愛され、親戚や近隣の人びととも仲よく過ごし、こどもが育つには恵まれた環境であったことが窺えます。

 

平和な場所で、大切に育てられることは、愛を知っているということ。

家族を、血の結びつきではなく、愛の結びつきとして考えられるということです。

だからこそ、故郷が、彼の原風景でありつづけるのでしょう。

 

これはとても倖せなことで、救いでもあるのです。

 

* * *

 

文字数の関係で、この続きは「その2」に綴ります。