わが家のハイビスカス、今年、最初に咲いたのは、なんと、バスルーム。

昨年、切り花にして飾ったものを、花が終わったあと、挿し木にしようと、そのまま水差しに入れ、バスルームの窓辺におきました。

 

根が生えぬまま冬を越し、春になっても葉の数すら変わりませんでしたが、今月に入り、蕾がついていることに気づきました。

人の目には「けなげ」に映りますが、植物は、鉱物の次に逞しい存在かもしれません。

 

* * *

 

「智族 GQ_2022年10月号」の映画『无名/無名』特集や、程耳監督のインタビューなどから、書き留めておきたいこと。前回、程耳監督について記しました。

今回は、トニーさんと Yiboくんについて語られたものを。

さまざまな方から語られた言葉、そのほんの一部、というのは、今回も同じです。

 

補足として、インタビューを受けた方の中から、『無名』のキャストである黄磊さん、大鹏監督、王传君さんについて、少し記しておきます。

 

張先生役の黄磊(Huang Lei)さんは、程耳監督の二十年来の朋友。

 

程耳とは個人的にとても親しい友人。ご近所さんでもあり、多くの交流がある。芸術や人間に対する考え方も同じ。(略)

 

ある日、わが家で飲んだ時、彼が「黄さん、僕は映画を撮るつもりだから、数か月は会えないよ」と言った。

「それなら、上海に会いに行くよ。後ろ姿の通行人で友情出演するから。撮影は1時間以内でね」と返した。

 

昨年(2021年)の冬、彼は私に台本を送ってきて、「黄さん、来る準備はできてる?」と。

台詞の多さを見て、ただの通行人ではないことを知った。〈黄磊〉

 

 

唐部長役は、Yiboくん主演映画『热烈/熱烈』の大鹏(Da Peng)監督。

私は『熱烈』撮影のBTSや番宣でこの方を知りました。

役者さんでもある、ということは、『無名』で初めて知りました。

 

唐部長は、『熱烈』の大鹏監督のイメージと、まったく異なるキャラクターでした。

この印象は、私だけのものではなく、俳優としてのこれまでの出演作は、コメディ要素のある作品が多かったとのこと。

彼をよく知る人びとにも新鮮だったそうです。

 

この役に決まったのは、昨年(2021年)の映画撮影開始の3か月ほど前で、準備期間はかなりあった。

その時、私は自分の映画を撮っていた。

『無名』の脚本が届いて、程耳監督と電話で30分ほどストーリーとキャラクターについて話した。

 

彼の作品はすべて見ていた。『边境风云』『第三个人』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』。

さらに、彼の卒業制作の『犯罪分子』。昨年のバラエティ番組での『沙县小吃』も見た。

 

私は彼の作品世界が大好きで、映画の雰囲気というものは、作り手自身と切り離せないものだから、彼の映画づくりのプロセスをどうしても経験したかった。

だから、役柄の良し悪しや出番の量、キャラクターのカラーなどについては、まったく考えず、自分が関わることができれば、それだけでうれしかった。〈大鹏〉

 

 

最後は、Yiboくんとも絡みが多かった王队长役の王传君(Wang Chuanjun)さん。

彼は、程耳監督の前作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』にも出演しています。

 

去年(2021年)の夏、程耳監督からこの映画を撮りたいと言われました。

その時はまだ脚本を全部見ていなかったので、私の役名は何かと聞きました。

彼は半日ほど考えて、「王隊長と呼ばれるかもしれない」と教えてくれました。〈王传君〉

 

 

渡部役の森博之さんについては、日本語のロングインタビューが公開されていますので、省きます。

 

 

* * *

 

下記に引用する言葉は、ほとんどが2022年秋のものです。

演者たちは演じ終え、スタッフの多くも仕事を終え、監督周辺の数人が最終調整をしていた頃と思われます。

演者たちは自分の演技のどこが作品として採用されているのか知らない状態で、インタビューに答えています。監督のインタビューは、2023年1月の映画公開直後のものもあります。

 

* * *

 

程耳(Cheng Er)監督

トニー・レオン(Tony Leung)こと梁朝伟(Liang Cháo Wei)

そして、王一博(Wang Yibo)

 

この三者に、クルーの人びとが共通して感じていたことは、「礼儀正しさ」と「寡黙」。

 

私が今まで経験した中で最も静かなクルーだったと思う。〈大鹏〉

 

 

 

 

.トニー・レオン  ~ クルーの “支点” ~

 

映画の撮影では、カメラの位置を変えたり照明を調整したりするために、しばしば長い待ち時間が発生する。

そのような隙間時間に、トニー・レオンは大抵、監督のテントに行き、程耳と一緒にモニターの前にじっと座って休んでいた。

 

静かで、シリアスな雰囲気だ。

監督に会いに来た者たちはドアの前に立って、初めて気づく。モニターが真っ黒で、映像は何も映っていない。

 

程耳は口数の少ない男で、トニー・レオンも同様だ。

ふたりはただ黙って座り、信号のない同じモニターを眺めている。

来る日も来る日も、撮影が完成するまで。〈インタビュアー 梁静怡〉

 

 

程耳監督とトニーさんの共通点は、寡黙なことだけではないようです。

監督が「映画を撮るのは億劫」と感じるように、トニーさんも俳優の仕事を「休みたい」と。

 

 

実は仕事があまり好きではなくて、ほんとうに好きな仕事を見つけたら、することにしている。

そうでなければ、映画づくりはとても難しいことばかりだから。

長い間、苦難を我慢しなければならないなんて、好きになってからでないと、できないね。

撮影が終わってから1、2年休んで、まったく何もしないこともある。〈トニー・レオン〉

 

 

おふたりとも徹底的なプロ意識の持ち主。

始めたら最後、集中力をキープして、終わりまで全力でやり抜かなくてはならない。

そう考えるからですね。

 

 

2021年、程耳はトニー・レオンを『無名』に出演させようと考えていた。

ここ数年、トニー・レオンはほとんど映画を撮っていない。

トニー・レオンは言う。

「映画製作は大変な仕事だと感じることが多い。そのためには、自分自身をよく思わなければならない」

彼はそれまで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』を知らなかったが、この映画を見て、すごく気に入り、程耳のクルーを試してみたくなった。〈梁静怡〉

 

 

集中力をキープするには、トニーさんのような大スターでも、自身に魔法をかけなくてはいけないものなのかもしれません。

大スターだからこそ、目指すところも高いのでしょう。

 

 

「これが私の俳優としてのキャリアの最終段階だと思う」と、またしても、トニー・レオンは言った。

「演技には体力が必要だし、今はもう、たくさんの映画に出演するほどのエネルギーはないんだ」〈GQ編集者〉

 

 

私の年齢では、アクションシーンは間違いなく挑戦だ。

でも、私は普段から運動が好きで、基本的に毎日体を動かしているから、体力的にはまだ対応できるよ。〈トニー・レオン〉

 

 

(『無名』の何主任役を演じるために)近代史の本をたくさん読んだ。

その時代に何が起こったのか、当時の社会はどうだったのか、これらの歴史的な出来事が、この人物の人と成りに、どのような影響をあたえたのか、知るためにね。〈トニー・レオン〉

 

 

GQ編集者

「程耳監督は、あなたが刑務所で囚人を審判する長いシーンのことを何度も言っていました。

監督は当初、台詞やショットを入念に練る必要があると心づもりをしていたそうです。

ところが、わずか3テイクでそのシーンをパスした。あなたの効率に、監督はとても驚いていました。

長いセリフのあるシーンのために、事前にどのような準備をされたのですか?」

 

トニー・レオン

「私は準備万端で撮影現場に行くタイプの俳優で、どう演技するかを考えるために撮影現場に行くわけではない」

 

 

撮影がない時は、普通の生活を心がけている。

私は運動が大好きで、基本的に毎日何かしら、身体を動かしている。セーリング、マウンテンバイク、スキー、サーフィン、水上スキー。

そして、新聞を読むこと。

 

仕事がない時は、普通の人と同じように生活すべきだと思う。

なぜなら、映画に登場するものはすべて、人生から生まれているから。

 

人生は、あらゆるインスピレーションに満ちている。

ごく普通の日常生活を経験する必要がある。普通の人の生活がどんなものかを知ること。

人が、毎日大スターのように生きるのは、不可能だからね。〈トニー・レオン〉

 

 

私はほとんどすべてのシーンで、彼(トニー・レオン)と一緒に仕事をした。

私がいちばん感じたことは、日常生活の中での彼の控えめな感じと、ファンダムが思う彼の姿が一致していないということ。

 

彼の周りには、あまりスタッフがいない。彼はよくひとりで歩きまわっていた。撮影現場がどんな感じかを知るためにね。

撮影現場を心から愉しんでいるんだ。とても自由に。

 

スーパースターの威圧感はない。

私は多くの俳優たちと仕事をしてきたけれど、この現場は、私が今まで培ってきた環境とは少し違うから、なんとなく距離がある。

でも、彼はそうじゃなかった。普通にお喋りをした。〈大鹏〉

 

 

私たちが向かい合って対話をする場面は、台詞だけの長いシーンだ。

アクションシーンと違って動きがなく、観客は退屈するかもしれない。

観客の気持をいかに把握するか、それを支えるのは演技だ。

 

これまで私はトニー・レオンと仕事をしたことがなかった。

だが、私たちが登場人物になりきると、すぐに彼は “支点” になった。〈黄磊〉

 

 

多くのキャストがトニーさんを「支点」と形容しています。

『無名』のクルーにとって、トニーさんの存在がいかに大きかったのか。

 

もちろん、伺うまでもなく、作品を見ればじゅうぶんにわかりますが、それでも具体的なお話を耳にすると、演技という表現は、演じる者の人間性が表出するものなのだと、あらためて痛感します。

 

少なくとも程耳監督は、そういう本質的なものを演者やスタッフにもとめ、招集したのだと。

 

 

私は『無名』の撮影中、演技のクラスを受けていたような気がしています。

レオンさん、黄磊先生、おふたりには、すばらしい演技を見せていただきました。

監督は私たち(王传君と王一博)にも非常に大きな期待をかけ、彼らのようなレベルまで演技全体を引き上げることをもとめてきました。

 

私たちは、レオンさんを撮影した映像を見ては、自分たちがどうなのかを比較しました。

レオンさんの手と目を使ったボディテクニックは、無駄な動きがなく、正確にコントロールされているんです。

おそらく長年の演技経験の積み重ねの結果でしょうけれど、彼の読解力によるものでもあると思いました。

 

そして、私たちも、身体をコントロールするような表現を習得しようとしました。〈王传君〉

 

 

共演者ができるだけリラックスして、心地よく感じるようにするのが、私の役割。

なぜなら、私も新人だったことがあるからね。緊張して委縮する気持はよくわかる。(略)

 

映画は、チームプレーが不可欠なチームワーク。

私たちは皆、おたがいの欠点を補い合っている。

 

完璧な人間なんていないよね? 私だってNGを出すし、誰でもNGを出す。

私にも悪い日はある。それでも、カメラや照明まで、すべてが、私の気分を盛り上げてくれる。

 

だから、(後輩や新人が)やりたいようにやれるように、彼らにプレッシャーを感じないようにするのは、私の責任。

私は “大スター” という在り方ではなく、誰もが心地よく快適に感じられるようにしたい。

それが、私たちの仕事場の、本来の雰囲気であるべきだから。〈トニー・レオン〉

 

 

メイキング映像を見れば、このトニーさんの姿勢が言葉だけのものではないことがわかります。

Yiboくんにとって、トニーさんは、具体的な将来像のひとつとなったでしょう。

 

人は、見たことがないものを想像しにくいと言われます。

すばらしい先輩との出会いは、若者にとって、とてもめぐまれたもの。

また、そうした先輩のすばらしさを、きちんとキャッチできるか否かも、その人の力と思います。

 

 

 

 

.王一博  ~ 驚きの “玉(ぎょく)” ~

 

映画『無名』のキャスティングの際、程耳監督は2、3人の若手俳優の写真を前にして、すぐに、王一博に目を留めたという。

程耳は王一博を午後のお喋りに誘い、その会話のあと、王一博は『無名』の最初のキャストになった。

 

王一博はこの作品が初めてのスパイ映画で、撮影の数か月間、ほとんどこの役に没頭していた。

シーンがない時は、モニターのそばに静かに座り、他の俳優の演技やセリフの細部の伝え方、筋肉のコントロールの仕方などを学んだ。

 

この映画で王一博は上海語を話すため、毎日、夜明けにホテルに戻ってから練習を続けていた。

役柄の孤独感を味わうために、携帯電話の使用を控え、人と接しすぎないようにもしていた。

 

『無名』のスタッフは、王一博はとても誠実で努力家、そして演技力も高いと語っている。

「彼をうまく使いなさい、彼はほんとうに玉(ぎょく)なのだから」と。〈インタビュアー 王焕熔〉

 

 

Yiboくんは、程耳監督によって、叶秘书(秘書)・叶先生の役に選ばれました。

 

 

イーボーが、唯一の選択肢だった。〈程耳〉

 

 

なぜイーボーを選んだのかという質問がたくさんあった。(略)

オーディションはしていない。私は俳優を選ぶ時、彼らに演技を見せてもらうことはあまりない。(略)

芝居の流れと切り離された、部分的な場面を演じる姿を見るだけでは、私は適任かもしれない人を見逃しがちだから。(略)

 

私がしていることは、会って話す時間を設けること。(略)

(演者としての)技術的な面がクリアされていれば、あとは、私の気持。

 

イーボーを見ると、中華民国時代の人に扮した姿が思い浮かんだ。

戦時下、誰にも頼れず混乱する青年。彼はこの役に適している。それで、すぐに決断した。〈程耳〉

 

 

私は、彼(王一博)のショーやパフォーマンスを見ていなかった。

どんなものか、思い浮かべることができなかった。

たぶん、名前は知っていたはず。彼は有名だから。たしかに彼の名前は知っていた。

 

でも、彼の容姿や、どんな仕事をしてきたのかは、まったく知らなかった。

私はこれまで中年層とばかり仕事をしてきたからね。若い俳優とはほとんど仕事をしてこなかった。

私は若い俳優をあまりよく知らない。でも、今回は若い俳優が必要だった。(略)

 

 

 

 

この写真を見て、彼のイメージに好感を持った。

それで、試してみようかと。

 

だけど、私は彼のことを知らないし、私の周りにも彼のことを知っている人は誰もいなかった。

それで黄磊に電話をした。黄磊は「彼への連絡は任せておけ」と言ってくれた。

 

翌日、イーボーと私のオフィスで会った。

彼は多くを語らず、とても静かだった。(略)

私が想像していたイメージとは大きく違う。とてもしっかりした青年だった。

 

その上、たくさんの可能性を持っていた。

トレーニングと撮影によって、彼から多くの色を引き出し、役に乗せられると。

 

彼が自我と顕示欲を強く表していたら、彼を使うのは難しいと思っただろう。

私たちは彼に「あたえる」ことはできるが、「矯正する」ことはできないから。(略)

 

イーボーと会ったのは、ほんの2時間ほどだった。

私はこのプロジェクトに一緒に取り組むことを決めた。彼も同意した。〈程耳〉

 

 

Yiboくんのこの写真は演技の場のものではありません。

バイクレーサーでもある彼のノンフィクションです。

 

どのような経緯(いきさつ)でこの写真が監督に渡ったのか、とても興味があります。

私にとっては、なぜ、2回も書類選考で落ちたのに、藍湛役を射止めに、Yiboくんが自ら『陳情令』のオーディションに出向いたのか、そのことと同じくらいの興味ある謎です。

そして、おそらく、どちらも永遠に謎のままでしょうね。

“天の配剤”、ということにしておきましょう。

 

こうして、Yiboくんの映画俳優の道が始まりました。

トニー・レオンとW主演。めぐまれたスタートです。

 

 

王一博はクルーに加わってから長い間、何の報せも受けなかった。

彼はホテルの部屋に一人でいるように言われた。

ゲームや携帯電話を見ないこと。CM撮影のために撮影現場を離れないこと。家族や友人との日常的な接触さえも禁止された。

 

彼は当惑しながらホテルの部屋にいた。

当時の歴史、台本の登場人物、演技のビジョン、物語の焦点について、程耳が多くの時間をかけて話したのは、それから1週間後、彼が “釈放” されてからのことだった。

 

王一博はその時期を振り返る。

「リラックスすることはなく、つねにストレスと憂鬱に襲われていました」

 

今でも程耳は彼に、「たまには独りになるように」と、忠告している。

「彼の生活は、まだ騒々しいので、静かに一日中、独りで過ごすことを学ばなければならない」と。〈インタビュアー 梁静怡〉

 

 

ウォークスルー(立ち稽古・リハーサル)はせず、最初は役者に自主的に演じさせて、その後、監督がモニターの前で、このシーンはこう撮ったほうがいいとか、細かいところに気をつけたほうがいいとか、そういう話をしてくださり、少しずつ調整していきました。

 

監督からは、テイクを重ねるごとにプレイバックを見て、良いところと悪いところを教えていただきました。安定した動きをするように、よけいな動きをしないようにとも教わりました。

 

各シーンでやさしく声をかけてくださり、とてもわかりやすい指示で、すぐに理解することができました。

私は他の役者たちに比べて演技経験が少ないので、監督は他の役者には自由に演じさせて、私の指導により時間を割いてくださいました。〈王一博〉

 

 

何事も速学の Yiboくんなので、理解が早かったのだと思います。

程耳監督が目指すものは、なかなか難しそうですもの。

 

 

程耳は文学的な監督だ。演技を教えるのではなく、文学的な観点から演技を考え、修正し、俳優に必要なものを伝える。

俳優には、他に必要なものを指示するが、どう行動すべきかは指示しない。

だから、文学的な演出も役者次第なのだと思う。もし役者がこの文学的なことを理解しなければ、演技はできないのだから。〈黄磊〉

 

 

Yiboくん、程耳監督が描こうとした「文学(芸術)的なことを理解」したのですね。

 

叶先生は上海語と日本語を話す設定でした。

Yiboくんもふたつの外国語を使わなければなりませんでした。

中国は広いので、言葉も地域により大きく異なり、標準語や北京語以外は、外国語にカウントするくらい発音が違います。

 

 

毎日台本が届くと、传君哥(王传君)が私のセリフを上海語で録音して送ってくれました。

上海語や日本語は結構早くおぼえられたと思います。

それまでも外国語の歌をたくさん習っていましたし、そういう土台があったからかもしれません。

歌詞を暗記する感じでおぼえました。〈王一博〉

 

 

イーボーの語学力はかなり優れている。語学指導者も驚いていた。彼は上海語と日本語を学んだ。

 

私は何度も現場で台詞を変えた。上海語であろうと日本語であろうと、すべてその場で。

 

彼がメイクしているあいだに、私が台詞を書いて、それを私が彼に直接教えて、語学指導者がその場で言い方を教える。

そんな感じだったけれど、結果はかなりよかった。〈程耳〉

 

 

毎日の撮影の終わりに、私たち(王传君と王一博)は台詞の準備をしました。

映画の中で、王一博と私は上海語を話します。私は上海出身ですが、上海語を長い間話していなくて…。

 

とくに中華民国時代の言葉は、日常的でも現代的なものでもありません。

その上、程耳監督の台詞は、どれも文学的です。だから、台詞を方言(上海語)に訳して暗唱するのが大変でした。(略)

 

王一博は毎日、台本を手にしてから、私の上海語を真似するんです。

私は急いで彼のパートを上海語で録音して、彼に送りました。

彼は(撮影で)かなりハードに動いたあと、上海語をおぼえなくてはならない。1日に2、3時間しか寝ていなかったと思います。

 

でも、彼は語学の才能がずば抜けていて、これ以前でも韓国語を習得していますし、すぐにおぼえてしまう。

 

耳もよいのだと思います。

 監督が突然、その場で台詞を付け加えることもあって、そういう時はその場で、ひと通り台詞を言って聞かせると、彼は一発で、7、8割、言うことができました。〈王传君〉

 

 

日本語の発音については、森博之さんが、やはり同様のことを話していらっしゃいましたね。

 

次はアクションについて。

トニーさんとのアクションシーンは、作品をご覧になった方のほとんどが息をのみ、感動した名場面になったと思います。

 

 

事前に同じようなセットを作り、2、3日リハーサルをしてから、実際の撮影に臨みました。

あのシーンは、9日間かけて撮影しました。

レオンさんの相手役というプレッシャーもあり、最初は無理をする勇気がありませんでした。

 

監督からは、プレッシャーを感じないように、(力を)コントロールしないようにと言われて、それが本物らしさにつながりました。

何度も試しているうちに、だんだんスムーズになって、どんどん動きが速くなっていきました。

 

(回廊の)踊り場からの落下も、ワイヤーにぶら下がって幾度も撮影しました。

スタントマンを使うのではなく、自分で撮ったほうがいい。そう思いました。

 

手を伸ばせば、すぐにレオンさんの顔に触れることができるほど、レオンさんとの距離が近かった。

とても幸せな気分でした。〈王一博〉

 

 

彼ら(トニー・レオンと王一博)は実際に激しく殴り合うので、戦いのあとは、とても疲れていました。

アクション指導の先生たちも、ほんとうに彼の首を絞めたり、投げたりするので、かなりの疲労だったと思います。

 

(日本兵とのアクションシーンで)人が彼の上に倒れてきました。イーボーはその人を突き飛ばした。すばらしい動きでした。

 

そして、彼は自分の服を撫ぜました。

「すごい! イーボーはリアルに、この(殴る蹴るの)動きの中にいたんだ!」と、思いました。

その闘いに、彼は完璧に入り込んでいた。彼はすごいですよ。〈王传君〉

 

 

彼のアクションシーンは、とてもうれしかった。(略)

すべてのシーンがワンテイクで、つなげて撮った。(略)

 

(日本兵)殴打シーンで、彼のネクタイは丸まっていた。(略)

このテイクのあと、私は衣装担当を探し、「さっきネクタイをピンで留めてと言ったよね?」と聞いた。

すると、「イーボーがピンを外すように言った」と。

 

彼は最後の動きを創りあげたんだ。

ネクタイが丸まったあとの動き。彼はネクタイを元に戻した。

 

その時、とても幸せな気持になった。

なぜなら、イーボーは私たちスタッフと一緒に、数か月間撮影してきたから。

 

イーボーは映画の演技について、新たな理解を得た、と思った。

自分の役柄を理解し、役に適した動作を、イーボー自身で生み出した。

これはとても重要なこと。〈程耳〉

 

 

Yiboくんの演者としての成長を、「幸せな気持になった」と表現した程耳監督。

このような監督に出逢ったことは、Yiboくんにとっても倖せですね。

 

アイドル出身であるとか、大学で演劇分野の専門教育を受けていないとか、そうした色眼鏡で見ることもなく、購買数を持っているという打算的なもくろみもなく、同じ道を行く後輩として導く程耳監督。

 

彼のもとに集結したキャスト、スタッフも同じような志を持っているはずです。

そうでなければ、程耳監督の要求に応えることは難しいでしょう。

 

Yiboくんは、程耳監督の次作『人魚』の主演が決まっています。

この作品がどのようなものかは、まだ発表されていません。

「第三の道」を選んできた程耳監督が、この作品は「芸術映画」と語っているそうですから、そちら側に重きがおかれるのでしょうか。

 

程耳監督の小説に『人魚』という短編があり、水族館で人魚を演じて生計を立てている少女の物語なのだとか。

その物語の終わりは、「少女が再び浮上しないことを決意し、身体を落下させて沈んでゆく」というもので、「このあと、彼が書いたほんとうのエンディングが続く」と、「智族 GQ_2022年10号」には書かれていました。

 

映画『人魚』が、この短編をモチーフにしたものなのか、あるいは、そこから想像を遥かに飛躍させた新たな作品なのか…。

たのしみに待ちたいと思っております。

 

 

自分の映画のテーマは決して変わることはない。

大舞台のもとでの個人の運命。〈程耳〉

 

 

そして、Yiboくんは、どのような表現を見せてくれるのでしょうか。

 

 

 

* * *

 

 

彼はとても礼儀正しく、とても謙虚な人なので、(初めての対面でも)気持よく接することができた。(略)

 

(『無名』に出演したあと)彼に何か変化がおとずれると思う。

これは微妙なもの。

この変化が映画の撮影によるものなのか、それとも彼自身の成長の一部なのか、判断するのはとても難しい。

 

イーボーに初めて会った時、彼がとてもしっかりした人であることがわかった。(略)

彼は恥ずかしがり屋。

とても落ちついている。

とても丁寧。

とても控えめでもある。

 

今の彼がおかれている環境を考えると、これらはほんとうに貴重な “資質” だ。

だから、(彼とのやりとりは)とても心地よかった。(略)

 

イーボーは相手を快適にする人。

彼の特別な状況や経験は、どれも彼に悪影響を及ぼしていない。

彼はつねに素朴な(心がきれいで、世間ずれしていない)一面を持ちつづけている。

これはとても貴重なこと。

 

私にとって、そして映画『無名』にとって、これはよい “驚き” だった。〈程耳〉

 

 

その「驚き」は、ある人は「奇跡」と呼ぶかもしれない。

ある人は「天の配剤」と呼ぶかも…。

また、ある人は、緑の翡翠、「玉(ぎょく)」と…。