今月は、いま現在の Yiboくんの姿をたくさん見ることができそうですね。

それもファッショナブルな装いのものが多く、目をたのしませてくれます。

 

前半を賑わせたトップは、やはり、LACOSTE の全仏オープンと雑誌「ELLE」。

後半も、Weibo Night 2024、再び渡仏の LOEWE と、うつくしい Yiboくんを見ることができそうです。

 

と言っても、私がいちばん「すてき!」と思ったのは、レーシングスーツ姿。

 

EVISU のレーシングカーの練習のもの。プロテストを受ける? 受けた?

情報に疎いので、正しいことはわかりかねますが、なんとなく「お仕事」度を、いちばん少なく感じたからかもしれません。

 

さて、映画『无名/無名』、5月3日から公開された劇場での上映は、ほとんどが終了しました。

日本公開の中国映画としては、異例の大ヒットとなったとのこと。

とてもうれしいです。

 

思い起こせば、2021年秋、街舞(这!就是街舞/Street Dance of China)4の決勝戦、Yiboくんのファイナルステージパフォーマンス。

 

この時のパフォーマンスとビジュアルが … 街舞のあいだ、体重を落とさなければいけないと言っていましたし …「このあとは初めての主演映画」という期待につながって、早くその作品を見たいと思いました。

 

当時は「天天向上」で、毎週、Yiboくんを見ることができ、秋には数か月にわたって街舞を見ることができました。

作品の中の王一博だけではなく、等身大の彼の人間性を垣間見る機会がたくさんあったのです。

 

今思えば、その状況のほうが異例のこと。しかも、彼は異国で暮らし、活動する人。

そのことを忘れるくらいあまやかされていて、当然のように思っていました。

ですから、映画を見ることができるまで、これほど待つとはまったく考えていませんでした。

 

長いこと待った映画『無名』は、私の想像を遥かに超えた作品でした。

演者としての王一博だけでなく、監督、スタッフ、共演者の魅力を知ることができた大切な作品になりました。

 

そのメメント(mémento)として、「智族 GQ_2022年10月号」の特集や程耳監督のインタビューなどから、書き留めておきたいことをまとめました。

 

こういうことに興味を持つのはひと握りの人と承知しておりますので、監督とトニーさん、そして、Yiboくんに関してのみ、そのほんの一部をこちらに残します。

 

オリジナルは中文。

YouTube ぐらいでしたら、自動翻訳でじゅうぶんなのですが、署名記事や作品にこだわりを持つ人びとのインタビューとなると、自動翻訳ではとんでもない魔訳になります。

 

量もあり、長々と日本語魔訳を読んでいると気分が悪くなってしまうのです。

堪えられず、いつものように辞書と日本語力でどうにか訳すという力業で読みました。

 

それほど大きく間違ってはいないと思っておりますが、おそらく、おかしな訳もあるでしょう。

努力賞!と、笑っておゆるしいただければ幸いです。

 

うんうん唸りながら、辞書って、なんてすばらしいのかしら!と感謝、感動しながら、長い時間をかけてでも、自分の言葉として訳に取り組むことができたのは、そこに描かれているのが、“創作の現場” だったから。

それを知る愉しさは、学生時代が甦るようでした。

 

これまでも、演者としての Yiboくんのことを語る言葉はたくさん耳にしました。

その多くが賞賛で、ファンとしてはとてもうれしく思いました。

けれど、監督をはじめとするスタッフや共演者のことを知ってゆくと、そうした撮影秘話に対する自分の理解が薄っぺらだったことに気づきました。

 

この映画の密度の濃さは、作品内容だけではなかった。

それぞれのバックグランド、創作への想い、表現技術、プロ意識、資金、市場…etc.

そういうものがあって作品が生み出されることを思い出しました。

 

大学校舎のアトリエ、中庭からわたる初夏の風、同じ時代を共有していた仲間たち、日頃、ほとんど思い返すことのない過去を、リアルに思い出していたのです。

 

『無名』は、これから公開される劇場もあります。

私の友人も劇場に足を運ぶと連絡をくれました。

一人でも多くの方にご覧いただきたいと、心より願っております。

 

* * *

 

下記に引用する言葉は、ほとんどが2022年秋のものです。

演者たちは演じ終え、スタッフの多くも仕事を終え、監督周辺の数人が最終調整をしていた頃と思われます。

演者たちは自分の演技のどこが作品として採用されているのか知らない状態で、インタビューに答えています。

監督のインタビューは、2023年1月の映画公開直後のものもあります。

 

* * *

 

 

程耳(Cheng Er)監督

トニー・レオン(Tony Leung)こと梁朝伟(Liang Chao Wei)

そして、王一博(Wang Yibo)

 

この三者に、クルーの人びとが共通して感じていたことは、「礼儀正しさ」と「寡黙」。

 

私が今まで経験した中で最も静かなクルーだったと思う。〈大鹏〉

 

 

 

.映画『無名』のテーマ

 

程耳監督は、1999年に北京電影学院を卒業した後、長編映画を3本しか撮らず、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の公開後、6年間消息を絶っていた。

彼は新作『無名』を携えて劇場に戻り、観客と対峙しようとしている。

この作品も、前作と同じく中華民国時代の物語であり、サスペンスタッチのスパイ物語である。

そして、大きな時代の小さな人間の運命の浮き沈みを、同じように描きつづけている。〈インタビュアー 王焔熔〉

 

この映画に登場する人物は皆、時代に翻弄され、歴史の節目節目でさまざまな選択を迫られる。

彼らの選択と利害は複雑に絡み合って終盤を迎えるが、実際には彼ら全員が歴史の大きな流れの中で生きる小さな人間にすぎない。〈森博之〉

 

『無名』のテーマは、もともと宿命に近いものだと思う。

この時代の人びとは、自分の運命の行く末をコントロールすることはできないのだから。〈王传君〉

 

(この映画は)名も無き人々の史詩(叙事詩)であり、この時代へのエレジー(挽歌)だと思う。〈程耳〉

 

 

 

.程耳監督について

 

程耳は、商業的であると同時に芸術的でもある映画を撮る、数少ない中国人監督の一人である。

彼は寡作で、この20年間に長編作品を4本しか撮っていない。

 

前作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の公開から6年が経った。

この20年間で、中国映画界は激変した。彼がこの数年間何をしていたのか、私たちには謎だった。

 

作家としての意志を、すべてに貫く作家兼映画監督は、この大きな変化の時代にどのように自分の居場所を見つけていったのか。

そして、その見返りに何を得るのか。

 

それは程耳が選んだ道であり、ひとりの男が待ちつづけ、探求し、敗れた後も、自分自身に忠実であり続ける物語である。〈インタビュアー 梁静怡〉

 

 

 

[1]鮮烈なデビュー

 

1995年、程耳は北京電影学院の監督科に入学した。当時、監督科は2年ごとに学生を募集しており、1回に入学できるのはわずか8名だった。

 

まだ映画教育は数少ない選択肢であった時代だが(略)学院では「これまでに作られたほとんどすべての映画」を見ることができた。

 

程耳はブニュエルに夢中になっていた。

その頃、「世界电影(World Cinema)」という隔月刊誌があり、各号の巻末には洋画の脚本が掲載されていた。

彼はブニュエルの戯曲をすべて手に入れ、何度も何度も読み返していた。〈梁静怡〉

 

 

ルイス・ブニュエルの名前が出て、私はすごく納得しました。

 

思い起こした学生時代、「必ず見るべき」と先輩たちに言われた映画が、ブニュエルの『アンダルシアの犬』でした。

彼らは映像美術を専攻していたわけではないのですが、校内でも目立つ芸術家肌の人たちで、映像にかぎらずマニアックな作品をたくさん見ていました。

 

私はこの映画の紹介文を読んだだけで、とても見ることができないと思い、今に至るまで見ていません。

画家 ダリと共同で書かれた脚本のこの作品は、シュールレアリスム映画の代表作と言われています。

 

彼は大学卒業制作として『犯罪分子』を撮りました。

 

 

その後の程耳の個性的スタイル … 非線形性の物語の使用、サウンドトラックのクラシック音楽の多用、人間の苦境というテーマの探求など … が、この作品で初めて明らかになった。

 

この映画は電影学院の試写室で上映された。

映画学科の学生たちは、誰もが自分に自信があり、駄作と思えば、その場で口笛を吹き、ブーイングをする。

『犯罪分子』の上映が終わると、会場はしばらく静まり返り、やがて、拍手が沸き起こった。〈梁静怡〉

 

程耳の同級生は上映時を回想し、彼のデビューについて語った。「横空出世!」〈梁静怡〉

 

「横空出世」は山の高さを形容する成句。

「空を突き抜けて雲の上に出る」の意。転じて、「巨大なものが突如出現する」こと。

 

 

 

[2]第三の道への模索

 

『犯罪分子』以来、程耳のフィルモグラフィ(監督作品一覧)には大きな空白があった。(略)

当時、映画は儲からず、投資も難しく、監督を目指す学生は卒業と同時に失業するのが普通だった。

彼は状況が変わるのを待ちたかったのだろう。「待っているあいだ、台本を書くよ」と言っていた。〈梁静怡〉

 

 

程耳監督は『第三个人』『边境风云』を撮りますが、デビュー作のような評価を得ることはできませんでした。

 

 

しかし、程耳が映画を製作するたびに、観客はすぐに彼に気づく。「これは程耳の映画だ!」と。〈梁静怡〉

 

(程耳の親友)杨庆は混乱していた。誰もが彼に金を稼ぐように言った。ぼうっとしたままテレビシリーズのオファーを受け、脚本も見ずにサインした。(略)撮影されたにもかかわらず放送されなかったテレビドラマが何万話もあり、杨庆のこの作品もその一つだった。彼はまだ映画を撮りたいことに気づいた。〈梁静怡〉

 

 

やがて、中国にバブル好景気が訪れます。

映画産業にもビッグマネーが投入されるようになりました。

 

 

ますます興行収入が重要になり、仲間たちは誰もがポケットから携帯電話を取り出し、リアルタイムのデータを開き、映画の興行収入についてチャットしている。

「今日は幾らだった、昨日は幾らだった 」と話すことさえある。クリエイターたちの口から、この数字が何度も何度も飛び出した。

 

しかし、映画の質について、芸術的な突破口とは何か、何が欠けているのかについては、誰も語らない。

 

お金を稼いでそれを語るのか、それとも自己表現に徹するのか。杨庆は揺れていた。

彼は程耳を思った。「まるで業界から独立したかのように、変わっていない」

 

業界の劇的な変化にかかわらず、程耳は雄心壮志(偉大な志)だ。

「すばらしい映画を作りたい」というシンプルな願望がつねにある。

 

お金を稼ぐしかないのか、それとも自己表現に徹するしかないのか。

「いや、第三の道がある」

杨庆は語る。それは、自己表現と興行収入をあきらめないこと、この両方を可能にする程耳が歩む道だ。〈梁静怡〉

 

 

映画は芸術であると同時にビジネスでもある。

程耳監督はその両立を模索し、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』で実現します。

 

 

程耳は自分が書いた脚本で、葛优(グォ・ヨウ)や章子怡(チャン・ツィイー)といった大スターを起用し、1億2000万元の投資を受けた。〈梁静怡〉

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』を撮った時、程耳は38歳だった。それまでに長編映画は2本しか撮ったことがない。

突然、10億ドル以上かけられた映画で、チャン・ツィイーやグォ・ヨウのような国際的スターと仕事をする。

そのような経験を持つ中国の若手監督はほんの一握りだ。〈エグゼクティブ・ディレクター 刘一舟〉

 

 

 

[3]『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の失敗

 

2016年12月16日、何度かの再調整を経て、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』が上映された。

2017年1月15日までに『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』は映画館から撤去され、興行収入はわずか1億2200万元に終わった。

 

この結果は程耳の判断と異なっていた。

彼は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』は極めて商業的な可能性を秘めた超大作だと主張し、最終的な興行成績に困惑したという。〈梁静怡〉

 

 

この失敗は、宣伝サイドが程耳監督の映画を正しく理解していなかったことにもあると言われています。

よくある形容で、わかりやすいキャッチコピーを使った結果、それに惹かれて訪れた観客が「思った作品と違った」と失望したのだと。

 

 

映画公開前、事前の市場調査が行われた。(略)

監督によっては、アンケートのコメントに基づいて映画の編集や構成を調整することもあるが、程耳はフィードバックに反応しなかった。(略)

 

長年彼と仕事をしてきたプロデューサーたちは知っていた。

「程耳はクリエイターとして、観客の美意識を導き、育み、何がよいかを伝える必要があると考えている」

 

いま現在も程耳は、事前調査は無意味だと思っている。

なぜなら、観客は映画の作り方も、どんな映画を見たいのかも知らないからだ。〈梁静怡〉

 

しかし、ある意味で「程耳は観客を過大評価している」(略)

彼は、観客を過小評価すべきではないし、彼らの美的判断を過小評価すべきではないと考えている。〈杨庆〉

 

 

 

主題歌『無名』の MV を思い出しました。

曲の終わりに浮かびあがる文字。

 

 尊重观众

 观众不应该被低估

 程耳

 

これまで、唐突なメッセージと思っていました。

「観客を尊重する。観客を過小評価すべきではない」

 

 

 

 

王一博 映画『無名』主題歌 MV

 

 

 

 

これは程耳監督の固い信条でした。

映画『無名』は、私たち観客に直接投げられた信頼であったことに気づきました。

だから、理解できるまで、幾度も、見たくなったのだと。

 

 

杨庆が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』を理解したのは、編集版の5回目の視聴の時だった。彼は、この映画は多くの視聴者には受け入れにくいかもしれないと、心配していた。

程耳は国内映画をほとんど観ず、いつも定期的に資料室で上映される映画に通い、プロの映画ファンと接触していた。

 

杨庆は言う。「程耳はとても天真な面があり、何かを知ると、他の誰もが知っていると自動的に思い込んでしまう」〈梁静怡〉

 

 

この信頼は、大きな時代の中で生きる個々の人びとの生に目を向ける、程耳監督の愛そのものと感じました。

 

程耳監督自身は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』を失敗作とは思っていません。

 

 

いかに観客を笑わせるか、いかに泣かせるか、いかにチケットを買わせるか。

程耳はおそらくそのようなことは考えず、映画の表現を自分の美学に合わせることを重視しているのだろう。〈黄磊〉

 

 

興行的によい結果を出すことができず、その後6年間、程耳監督は映画を撮りませんでしたが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』は映画関係者や映画ファンのあいだで語り継がれる作品となりました。

 

 

クリエイティブな仕事に心血を注いでいる多くの人びとが、程耳を非常によく認識している。ある友人は、「私はWEBドラマ界の程耳だ」と誇らしげに主張していた。〈刘一舟〉

 

 

程耳監督が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』に残した悔いは、細部まで徹底したコントロールができなかったこと。

 

その後、監督は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』を小説化します。

彼は映画を撮ることはあまり好きではないと言います。小説を書くことのほうが好きだとも。

 

 

映画は私にとって複雑すぎる仕事だ。費用もかかりすぎるし、コーディネートしなければならないことがたくさんある。(略)

それに対し、小説を書くことは、すべての単語、すべての句読点を完全にコントロールすることができる。〈程耳〉

 

 

これは徹底した仕事をする人ならば、皆、理解できる心情ですね。

始めたら、徹底的にやりぬかなくてはならない。

 

小説は個人作業の創作なので、「すべての単語、すべての句読点を完全にコントロールすることができる」。

映画はチームワークが必要な集団の創作。

すべてをコントロールするには、どれだけの気力と体力、そして、資金を要することか…。

 

程耳監督が『無名』にかけたリベンジの思いは、まさに「第三の道」。

興行成績を残すこと。

同時に、悔いなく、自分の美学を貫き、細部までコントロールした作品を撮ること。

 

 

 

[4]映画『無名』

 

映画は巨大なプロジェクトである。作品の細部へのこだわりは、資金と技術を意味する。

例えば、ナポレオンパイは(略)クリーミーな状態と食感を保つために、上海の一流レストランの焼きたてのものを準備する必要があり、スタッフはこのナポレオンパイに大金を費やした。(略)

 

程耳は、正確な質感をスクリーンに表現することを望んでいた。 

彼は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の夕食のシーンが完璧でなかったことを悔やんでいた。〈梁静怡〉

 

程耳は、細部にこだわり、壁の小さなシミやベッドシーツの僅かな乱れに我慢できず、できることなら雨粒の方向さえもコントロールしたいと思っている。〈刘一舟〉

 

99%の監督は、このくらいでよいと思うだろう。しかし、程耳はまだそこにいて(撮影を)続けている。(略)

 

程耳は4本の自作映画で、監督・脚本・編集まですべて自ら携わっており、映画の主題歌の作詞も手がけている。(略)

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の後、程耳はスタジオを拡張した。

低予算映画でも大作映画でも多くの教訓を学び、事前撮影からポストプロダクション、宣伝用資料まで、すべてをコントロールすると決めたのだ。〈梁静怡〉

 

俯瞰ショットでは、爆撃後の広州の全景が映し出され、1万から2万軒の老朽化した家屋が並ぶ。

このイメージを再現するために、多くの歴史的写真を探し、多くのドキュメンタリー番組を見て、視覚効果を作り出した。

 

広州、仏山、汕頭を訪れ、古い家屋を探したが、古い町並みのほとんどは改築されていた。

何十枚もの資料写真を集め、コンピューターで3Dモデルを作るために戻ってきた。

同じように、上海の4万から5万の路地を中華民国時代のものに復元した。〈VFXスーパーバイザー 王晓伟〉

 

中華民国時代の衣装とスタイルを再現するために多くの資料を参照し、さまざまなスタイルの旗袍(チーパオ)、スーツ、帽子、レース、ティアラ、バッグを選びました。

中華民国時代の洗練された雰囲気で、キャラクターを引き立たせるようなコスチュームにしたかったのですが、最も重要なのは正確で間違いがないこと。(略)

日本の着物に必要な生地も海外から取り寄せました。それはとても高価なものでした。〈衣装デザイン 吕凤珊〉

 

 

料亭の場面などで使われた食器や畳も、すべて日本から取り寄せたのだとか。

 

私たち日本人からすれば、「はて?」という部分もありましたが、海外の人びとが描く日本文化としては、じゅうぶんだったと思っています。

 

こうして重箱の隅を突くのが申し訳ないくらい多額の予算が必要だったのですね。

 

 

『無名』も『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』も、室内や夜のシーンが多い。昼間のロケシーンは(略)かなり厳しくなるからだ。

 

程耳は1940年代の上海の街並みを実物で表現することを望んだが、孙立(程耳の同級生)が探しまわった結果、上海に残された建物は、あまりに風化していて、エレガントさを失っていることがわかった。

 

役者の衣装や歩き方も、リアルなストリートシーンの一部だが、今の役者はそのような条件を満たすことがなかなかできない。

「一人や二人、必ず場違いな人が見つかる」〈梁静怡〉

 

 

このような話を伺うと、程耳監督がインタビューで語っていた Yiboくん抜擢の理由の重みが増します。

 

 

なぜイーボーを選んだのかという質問がたくさんあった。(略)

オーディションはしていない。私は俳優を選ぶ時、彼らに演技を見せてもらうことはあまりない。(略)

芝居の流れと切り離された、部分的な場面を演じる姿を見るだけでは、私は適任かもしれない人を見逃しがちだから。(略)

 

私がしていることは、会って話す時間を設けること。(略)

(演者としての)技術的な面がクリアされていれば、あとは、私の気持。

 

イーボーを見ると、中華民国時代の人に扮した姿が思い浮かんだ。

戦時下、誰にも頼れず混乱する青年。彼はこの役に適している。それで、すぐに決断した。〈程耳〉

 

 

「イーボーを見ると、中華民国時代の人に扮した姿が思い浮かんだ」

さらりとひと言、ですが、程耳監督のこだわりを知ると、このひと言の重みを感じました。

 

そして、Yiboくんを藍湛役に決定した時の『陳情令』プロデューサー杨夏女史の言葉を思い出しました。

見る者の目に合わせて変容する。これは名優の大きな条件かもしれません。

 

程耳監督のこだわりは、もちろん、脚本・台詞にも徹底されます。

 

 

程耳監督の台詞は非常によく練られているので、俳優が自由になることはほとんどない。句読点まですべて、監督のコントロール下にある。〈大鹏〉

 

彼の脚本は実に簡潔で、説明的ではなく、例外的に言葉数が少ない。

「何主任と王隊長が廃墟を歩く」「遺体が運び去られる」「何主任と叶先生が闘う」こんなふうに、たった一文だ。〈黄磊〉

 

ほんとうに何の準備もない。どのような人物なのかわからない。ほとんどの場合、撮影現場に向かう途中か、その前夜に脚本の内容を知ることになるんです。

でも、各シーンには決められたクリアリングがあり、監督の戯曲は非常によく書けていました。

だから、あまり早く見ると、考えすぎたりしてしまい、何か不純なものが出てしまう。私たちは、新鮮な状態で演技することをより重視していました。〈王传君〉

 

最初のシーンの予告編はすでに公開されていますが、私と传君哥(王传君)が海岸で死体を運んでいるところです。

夜に行って、夜明けを待ちました。あのシーンを撮るのはとても不安でした。脚本を受け取ったのが昨年の夏で、受け取ってから2、3日後に現場に入りましたが、その時は監督の作風がどのようなものかわかりませんでした。

脚本がとても平明で、簡潔で。

こんな脚本は見たことがないし、想像の余地があるように感じました。撮影中も監督は脚本を変え続けていました。〈王一博〉

 

最初に撮影したのは予告編のシーンで、王一博と一緒に海辺で死体を運ぶシーンでした。(略)たしか、あの日も、プロットや登場人物の全貌を知らず、王一博も私も白紙の状態でした。(略)

 

程耳監督からは、できるだけセリフの意味を言うようにと言われました。私は、以前『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』に出演していたので、自然な演技で、さりげなく台詞を言うという、監督の望む演技の感覚をつかんでいました。〈王传君〉

 

「私の故郷にはちょうど漓江を見渡せる土地がある」この台詞を聞いたら、程耳は言うだろう。「ちょうど」を外すべきか?

彼は、「考えていた」「考えている」、「帰っていいのか」「帰ってもいいのか」のように、言葉の差が、その人の物事に対する想像力を変えてしまうと感じるのかもしれない。

 

彼はすべてを注意深く選んでいる。程耳の最大の長所は、文学や美学における彼の独自性とセンスだと思う。〈黄磊〉

 

多くの日常的な演劇では、登場人物は口語的な表現を多用する。だが、『無名』の台詞はとても文学的で、話し言葉の台詞ではない。

 

句読点の一つひとつが、監督の厳密な思考の結果だ。

アドリブはあまり許されず、俳優たちは台詞を正しく言わなければならないというプレッシャーにさらされていた。

 

しかし、すべての俳優が台本なしで撮影に臨んだ。(略)

皆、事前にセリフを覚えていた。語彙を理解し、消化していた。台本を持って現場に来て文字を読む人など、一人もいない。〈大鹏〉

 

 

程耳監督の台詞に対するこだわりは、これらの証言を聞く以前から感じていました。

だからこそ、日本語字幕に期待していたのですが…。

 

程耳監督の演技理念も、程耳監督らしいものでした。

 

 

程耳監督はむしろ内面を鍛えるタイプだ。

「2、3歩歩いて振り返り、終わったら手を上げてください」というような具体的な説明は一切しない。〈大鹏〉

 

程耳は文学的な監督だ。演技を教えるのではなく、文学的な観点から演技を考え、修正し、俳優に必要なものを伝える。

 

俳優には、他に必要なものを指示するが、どう行動すべきかは指示しない。

 

だから、文学的な演出も役者次第なのだと思う。もし役者がこの文学的なことを理解しなければ、演技はできないのだから。〈黄磊〉

 

台詞が通らなかった場合、程耳監督は役者たちに質問を投げかける。

例えば、このシーンの渡部の雰囲気はどのように思うか、この歴史的な出来事についてどう感じるか、というふうに。

最も多かった質問は、「渡部は今、何を考えているのか?」だった。(略)

 

だが、監督が自分の考えを押しつけることはなかった。

俳優がどんなものを提示できるか、それを見ることを好んでいるようだった。〈森博之〉

 

程耳監督がすべての俳優にもとめていたことは、あまり演技をしないことだ。それが監督の美学なのだろう。

彼が修正するのは、俳優が「自分はうまくいっている」と思い込んでいる演技だ。(略)

 

彼の演技調整は決して表層的なものではない。シーンについて、明確に言う監督がいる。「数歩前進したら振り返り、言葉を終えたら両手を上げ、こんな表情をする」というように。

 

程耳監督は、外見化されたものをどのように見せるべきか指定せず、心の中で何が起こっているのかを考えさせるようにしていた。

登場人物の心理状態、内面的な思考を明確に考えることができれば、その者の行動や話すスピードなども自然と生まれる。(略)

 

程耳監督が追求しているのは、映像的な興奮ではなく、登場人物の複雑さ。

そして、観客が登場人物の心に強く共鳴できるかどうかだ〈大鹏〉

 

 

撮影についても、そのこだわりは発揮されます。

 

 

程耳監督は『無名』でARRI 65(巨大センサー搭載 6K 65mm シネマカメラ ARRI ALEXA 65)を使用した。(略)

 

黄磊もまた、このカメラを初めて実際に体験することができた。

「難しいのは、明るさにコントラストがあることではなく、暗くなっても暗さのレベルが異なり、暗さの中にもコントラストがあることだ」

 

このカメラはトニー・レオンに素晴らしい効果を発揮する。

ヘッドライトが俳優の頭部を照らすと、顔の大部分は影に隠れてしまうが、ぼんやりと彼の感情を読み取ることができる。

何十年もの間、人びとはこの顔を解読してきた。もともとモノクロ写真が似合う顔立ちだったが、『無名』の薄暗い照明の中で、あらためて彼をはっきりと見ることができた。〈GQ編集者〉

 

登場人物の行動の論理に特別な注意を払った。

その背後にある感情的な原動力や関係性が何であるかを明らかにするカメラアングルを配置した。〈カメラマン 蔡涛〉

 

撮影に先立ち、多くの安全策を講じた。

カーテンを固結びし、ワインボトルを飴ガラスに替え、壁に保護材を貼った。枇杷膏(呼吸器系等治療用のシロップ薬)を血漿に見立てた。

 

ワイヤーシーンを撮影する前、現場を調べると、スペースがとても狭いことがわかった。ワイヤーを早く出すことができないのだが、遅くなると演者が危ない。

 

アクションチームは準備に4時間以上かけた。

程耳監督が求めるリアリズムとのバランスを取りながら、俳優の安全を十分に確保しなければならなかった。〈アクション監督 陈超〉

 

 

あのワイヤーアクションは、みごとにこなした Yiboくんにばかり目がいきましたが、このようにスタッフに支えられての名演技だったことを忘れてはいけませんね。

 

Yiboくんはこのようなスタッフの支えに対する感謝を言葉にできる人。

そうした一面を持つことも、彼の魅力一つです。

 

* * *

 

『無名』は程耳監督の「第三の道」を実現した作品になりました。

その実現に不可欠だった主演のトニー・レオンとワン・イーボー。

 

長くなってしまったので、彼らについては、次回に。

 

これらのインタビューを読み、“創作” の愉しさを、ひさしぶりに堪能しました。

 

生み出すつらさは、もちろんありますが、生み出さずにいるのもつらい。

それが作家、創作者の性(さが)なのかもしれません。

 

最後は、この言葉でしめましょう。

 

 

王一博と王传君が浜辺で撮影したシーンがある。

その夜遅く、潮が満ちてくると、トラックは砂に嵌って走れなくなり、何時間も水に浸かっていた。 

クルーのほぼ全員がトラックを押しに行った。

 

トラックは前進し、太陽が海の向こうから昇り、夜が明けた。(略)

 

杨庆は語る。

芸術とは時にこのようなものだ。

 

芸術家は時代の先端を行こうとし、“自分の時代” でそこを打破しようとする。

だが、自然界はそれに対して遅れをとったり、見当違いの反応をしたりするものだ。〈梁静怡〉