太陽フレアの影響で世界各地でオーロラが観測されている、とのニュース。

北方の文化が好きで、オーロラ好きの私は、北極圏に近い方角に旅をしがち。

日本でも、北海道が大好きです。

 

こちらは私が見たオーロラの中でもいちばんよく見えた日のもの。

8月末なので、湖に写るオーロラが見えます。

マイナス30℃、40℃ などの冬に訪れて寒い思いをしなくても、オーロラは見ることができます。

この夜はオーロラ爆発も見ることができました。

 

さて、昨日のブログに記すはずだった映画『无名/無名』の私的な感想。

文字数制限でアップできませんでしたので、こちらにあらためて。

 

長くなると、また文字数制限になってしまいますから、印象深い 4つの点に絞りました。

ネタバレありです。

 

ファンの色眼鏡を、幾重もかけております。

なんて大仰な! と、ひかれる方もいらっしゃるでしょう。

獣を見てしまったと思って、笑ってスルーしていただければ幸いです。

 

* * *

 

私が最初に『無名』を見たのは、韓国発売の Blu-ray 収録版。英語字幕でした。

 

その後、地元のミニシアターで1回。

そして、昨日記したように、遠征先の上映館で2回。

日本語字幕で見ました。

 

遠征先での1回目の鑑賞、つまり、通算3回目に、ようやくすっきり理解ができました。

ですから、遠征先での2回目の鑑賞は、謎が解けた目で確認するように、Yiboくんやトニーさんの演技を見ました。

 

* * *

 

 

.あのシーンがない!

 

私が初めて『無名』という作品に触れたのは YouTube の予告映像でした。

 

 

 

 

 

Yiboくんとエリックさんが死体を運ぶシーンは、とても衝撃的でした。

いったい、どのような映画なの? と。

 

このシーンについて、Yiboくんはインタビューで、

 

夜に行って、夜明けを待ちました。あのシーンを撮るのは、とても不安でした。

「智族 GQ」(2022年10月号)

 

と語っています。

彼にとっても印象的なシーンだったのでしょう。

大きなスクリーンで、カットなく、この夜明けのシーンを見たかったです。

 

 

次に衝撃的だった予告映像は、Yiboくんが返り血を浴びるシーンです。

こちらも YouTube で見ました。

 

 

 

 

とてもセンセーショナルでした。

 

流血や暴力のシーンは、本来、すごく苦手です。

でも、返り血を浴びたYiboくんから目が離せませんでした。

そして、思わず俳句を詠みました(笑)

 

私が俳句で詠む「きみ」は、99%、Yiboくんか Zhan Zhan なので、彼を詠むこともめずらしくはありません。

ただ、これは新たな Yiboくんのイメージで、この時、程耳監督の美意識を初めて垣間見ました。

こういう作品を撮る映画監督なのだと、把握したことをおぼえています。

 

程耳監督はこのように目を背けたくなる凄惨な場面も、目を離せない美しい風景で描き出します。

こうした予告映像の数々は、トム・フォード監督の映画『シングルマン』で感じた美意識を思い出させました。

 

このふたつのシーンは、日本公開版でも、韓国発売 Blu-ray 収録版でも、カットされています。

Yiboくんとエリックさんが夜明けのあの場所を訪れるシーンはありますが、死体を運ぶところは描かれていません。

Yiboくんが返り血を浴びるシーンもありますが、とても短く、一瞬と言ってもよいくらいです。

 

作品の全容がまったくわからない時に、こうした印象的なシーンを、あえて予告として公開したのか、あるいは、海外での賞を狙う程耳監督が残酷なシーンをカットしたのか、その他の理由があるのか、わかりません。

 

ただ、どちらの場面もお蔵入りさせるにはもったいない、緊張感のあるシーンです。

ディレクターズ・カット版が出ないかしら…と、日本で円盤化されるか否かもわかりませんのに、思ってしまいました。

 

Yiboくんがインタビューで、

 

たくさんの犬が吠えていて、床が血だらけで…というシーンでは、とても憂鬱な気分で、撮影中もリラックスできませんでした。

「智族 GQ」(2022年10月号)

 

と語っていた “囚人の拷問シーン” もありませんでした。

こちらはカットされていてよかった。

もし、目にしてしまったら、私も彼と同じく「抑鬱的な気持」になったと思います。

それに、本編で描かれている場面だけで、じゅうぶんに想像ができましたから。

 

他にもカットされたシーンがあり、それらは、おそらく本国で公開されたものにもないのではないかと想像しています。

というのも、日本公開版と韓国の Blu-ray 収録版は上映時間131分ですが、本国公開版は128分と、3分短いからです。

 

私は本国公開版を見ていないので、この3分間がどのような部分なのかはわかりません。

また、香港や台湾での公開版はどちらなのか、ちょっと気になります。

中国語字幕でも見てみたいと思っています。

 

 

.歴史的事実と叶秘書のモデル像

 

Yiboくんが演じた「叶秘書」。

この「叶」の文字は中国語簡体字の表記で、正しくは「叶秘书」と書きます。

 

「叶」の文字の中国語繁体字や日本語漢字での表記は、「葉」。

ですから、Yiboくんの役柄は、日本語では「葉秘書」と書くのが正しいです。

 

『無名』日本語パンフレットでは、「イエ」とカタカナ表記でした。

「葉」「叶」どちらも、中国語の発音は「イエ(Yè)」です。

 

私の文章の中では、どの表記を使うか、とても迷いました。

「叶秘書」を使いたかったのですが、これでは簡体字と日本語漢字の混在で、おかしな表記になってしまいます。

そのため、役職を外し、「Mr. 叶」「叶氏」にあたる「叶先生」という表記にしました。

 

他の登場人物は、「主任」「部长(部長)」「队长(隊長)」と、簡体字表記でそのまま役職を記しています。

「长」や「队」は日本語漢字をなんとなく想像できますから。

 

私がこのブログで、できるだけ簡体字を使ったり、記したりするのは、本国のものを見た時にもわかるように。他意はありません。

 

上記のように、私は最初に『無名』を英語字幕で見ました。

作中、日本語が想像以上に多く使われていて、英訳もシンプルで、私の語学力でもストーリーを追うことができました。

それでも、細かいところは理解できず、日本語字幕で見ることができる日を待ちました。

 

Blu-ray は手元にあるのですから、繰り返し見直すことが可能です。

この時には日本で公開されることが決まっていましたし、日本語字幕で正しく映画の世界観を把握したいと思い、Blu-ray で見るのは1回だけと、心に決めていました。

 

日本公開を待つ間、この時代の歴史、とくに「汪兆铭(汪兆銘)政権」について、少し調べました。

ストーリーや登場人物の理解に役立つと考えたからです。

 

また、Blu-ray で本編を見るずっと以前に、叶先生のモデルとされる人物の情報を、ネットで目にしていました。

その人は、中国人と日本人のハーフで、幼少期を日本で過ごしたという生い立ちでした。

つまり、二つの祖国を持つ人です。

 

待ちに待った日本上映の初見で、日本語字幕で見たにも関わらず、幾つかの疑問が残ってしまったのは、こうした生半可な知識が災いしたように感じています。

作品だけを見て、もっと感覚的に捉えればよかったと。

 

とくに叶先生については、モデルとなった人の情報など “いらない” 知識でした。

映画の中では、ハーフであるとか、幼少期を日本で過ごしたとか、まったく描かれていないのですから。

日本語が堪能ということだけわかればよかったのです。

 

余計な知識に惑わされるならば、Blu-ray を繰り返し見てしまったほうがよかった、と。

情報を得たとしても、惑わされなければよかったので、私自身の責任です。

 

いちばん見誤ってしまったのは、ラスト、叶先生が日本軍のスパイのボスである渡部を殺すところです。

Blu-ray で見たあと、叶先生の行動に、二つの祖国を持つ者の複雑な心情、日本人としての心情があったのではないかと、誤解してしまいました。

 

この間違いは、地元のミニシアターで、日本語字幕版の初見の時に気がつきました。

ダブル・スパイの叶先生は筋金入りの共産主義者。そのような感情はなかったのです。

 

そうした感傷など超越したところで、任務に命を懸るのが、味方も仲間も欺かなくてはならないダブル・スパイなのだと。

これを見誤れば、タイトルである「無名」の解釈も皮相的になってしまいます。

初見で気づいてよかったです。

 

もともとイギリスのスパイものが好きで、使徒会やケンブリッジ・ファイブなどの本もよく読んでいました。

ダブル・スパイについても知っているつもりでした。

 

実在のダブル・スパイで名を残しているような人物は、スパイ活動での命懸けのスリリング、神経をすり減らす騙し合いに、中毒的な快感を得ているようにすら感じられる面がありました。

けれど、これらは、私が読んだ書物の作者たちの考えで紡ぎ出された作品で、語られている実在のスパイたちの真実の姿とは異なるのかもしれません。

 

そのことに気づかず、トニーさん演ずる何(フー/Hé)主任や叶先生を理解するのに、これらのダブル・スパイたちを参考にしたのは間違いでした。

 

私がこれまで知っていたダブル・スパイたちには、母国ではない国の思想のために母国を欺いた者だったからです。

何主任や叶先生は、異国や自国の別の思想の人びとを欺くことはあっても、自国を欺くことはなかった。

 

「私は命を惜しまず、よろこんでこの身を捧げます」

これは叶先生が日本軍スパイの渡部に対して言った言葉ですが、実は、自国に誓った言葉。

この立場の差は、とても大きいと感じました。

 

 

.同胞である何主任と叶先生の死闘

 

同じ共産主義者の情報部員、つまり、同胞のダブル・スパイである何主任と叶先生が、なぜ、あのような死闘を繰り広げたのか。

 

これは、一般人の感覚で語ることはできないでしょう。

しかも、平和な時代を生きる一般的な日本人の感覚では、なおさらです。

「トニー・レオンやワン・イーボーのファンのためのサービスショット」とおっしゃる方は、そうした感覚での理解なのだと思います。

 

作品にはいろいろな見方があってよいので、これも尊重すべき一つの感想です。

でも、私は、そのようなことのために程耳監督はこのシーンを撮ったのではない、と思っています。

 

もちろん、トニー・レオンとワン・イーボーだから、あれだけのアクションシーンを撮ることができた。

スタントマンを使わず、本人たちが演じることで、かなりハードなバトルを自然な流れで、それもリアルに、再現できました。

そして、この作品の最高の見せ場の一つとなりました。

けれど、それは、作品づくりの結果にすぎない。

 

なぜ、彼らはこれほどの争いをしたのか。

ひと言で言えば、「それがスパイ」だから。

 

スパイにとって、信じられる者は自分のみ。

同じようにプロフェッショナルなスパイたちを騙すダブル・スパイならば、仲間も信じることはない。

自分自身が、その仲間を裏切っているのですから。

 

だからこそ、あれだけの本気の死闘が必要だった。

あの時代でもスパイは小型カメラを持っていたし、どこに潜んで監視をしているかもわからない。

 

このシーン、実は最初に見た時に、Yiboくんが部屋のドアの前で仲間に先に入るよう促すしぐさをしていて、「叶先生、生き残ろうとしている!」と感じました。

 

主人公は死なず、ですから、先に部屋に飛び込んでもよいのです。

それで弾をかわせば、かっこいいはず。

なのに、先に入ろうとした仲間は、あっけなく打たれてしまい、ちょっと違和感をおぼえました。

スパイが監視していたら、「やらせ」を疑ったに違いありません。

 

だから、九死に一生レベルのケガを負うまで闘うことが必要だった。

結果、何主任を投獄し、妻の陳小姐もその場で殺害することができた。

(これは渡部への偽りの報告で、彼女は生きていました)

 

そこまで徹底的に欺いて、叶先生は騙しのプロである日本軍スパイトップの渡部に自分を信じ込ませた。

そして、最重要機密の「関東軍兵力配備要図」を見ることができた。

 

スパイもの作品のおもしろさは、彼らが身体だけでなく、頭脳も卓越した能力の持ち主であること。

ですから、あのわずかな時間に、叶先生が情報を正確に脳裡に納める姿には、ゾクゾクしました。

 

渡部の信頼を得、「おまえを連れてゆく」と言われたことによろこびを感じているように見せていて、心の中では、決定的な情報を得た安堵と、最後まで疑われないように細心の注意を払う緊張がある。

 

地図の頁をめくり、表紙をなぞる Yiboくんの指の動きが、そのような複雑な叶先生の心情を、とてもよく表現しています。

Yiboくんの演技が光るシーンの一つです。

 

究極、信じられる者は自分のみ、という孤独な騙し合いの中で、何主任と叶先生にはひと筋の信頼が見えます。

それが、何主任の「注意しろよ」「Take care」の台詞。

 

トニーさんの重厚さが際立つシーンです。

任務遂行のための協調という、ビジネスライクな信頼ですが、それだけに見えないのが、トニー・レオンという役者の力量なのでしょう。

 

この映画を単なるスパイアクションのエンターテインメントで終わらせず、アジアの地図が大きく変わる時代の過渡期的な複雑さ、その時代を生きたそれぞれの立場の人びとを、作品として、監督の思い通りに表現するには、トニーさんの存在は欠かせなかったですね。

 

こうした視線で見ると、トラックの上で指ピストルの Yiboくんの叶先生の演技の深さも、すばらしいと思います。

 

Yiboくんのこの場面の演技が高く評価されたのは、不敵な笑みで、渡部や周囲を欺きながらも、何主任に思いを伝えるまなざしを演じることができたからでしょう。

 

トラックから突き落とされたトニーさんが、鉄扉の向こうに去る Yiboくんに向けるまなざしも、また、その思いを受け取ったことを伝えている。

そして最後に、わずかに緩める唇。

 

Yiboくんが語った

 

レオンさんは、顔や身体の筋肉をとてもうまくコントロールしていて、とても安定していて、正確です。

「智族 GQ」(2022年10月号)

 

という言葉を思い出しました。

 

パンフレットにも、おそらくこのインタビューが引用されているのでしょうね、同じような言葉が載っています。

 

この場面までは、ふたりの絆は作中では語られていません。

ですから、トニーさんのこのわずかな表情の変化を、初見では見逃してしまいます。

 

それでも、なんとなく脳裡の片隅に焼きつく。

トニーさんの存在感には、感動し通しでした。

複雑な役柄の数々を演じてきた人の、これがキャリアなのですね。

 

パンフレットに掲載されているインタビューで、「眼を使う演技」「アクション」「多言語の活用」のうち、いちばん難しかったことを問われ、Yiboくんは「眼だと思います」と答えています。

 

彼の「眼」の雄弁さは、『陳情令』の藍湛から、ファンのあいだでは確固としたもの。

そうした彼でも、ダブル・スパイのまなざしを表現することは、とても難しかったでしょう。

 

周囲には憎しみに燃える瞳。

トニーさんには信頼に応えるまなざし。

 

「作品を見て、それぞれが感じてほしい」

 

しっかりと見て、確かに、感じ取りました。

とても神聖な気持で、その役者魂を受け取りましたよ。

 

 

.Yiboくんの涙と、肩に置かれたトニーさんの手

 

究極、信じられる者は自分のみ。

そうした状況に於いて、何主任と叶先生、このふたりの信頼が、とてもせつないです。

 

任務遂行のためのビジネスライクな連携。

“絆” などとは簡単に呼べない、細い細い金糸のようなつながり。

それでも、暗闇の中では確と光るにちがいないと、感じさせるトニーさんと Yiboくんの演技。

 

何主任には信頼し合える妻、周迅さん演ずる陳小姐がいます。

叶先生との死闘の際には、妻といえども真実を伝えてはいないでしょう。

流れ弾が当たって、彼女を失う危険もあった。

それでも、ふたりは同じ情報部員として、主義と生活、理想と現実を分かち合うことができる。

 

冒頭、叶先生が彼女にコーヒーを奢るシーンがあります。

姿を見せずに去る叶先生。

これは何主任との接触を依頼するメッセージと、私は勝手に想像しています。

 

つまり、何主任と陳小姐は、実際に同居していないとしても、つながりをもっている。

ミルフィーユのお店も香港に移っているみたいですし、他にも連絡手段を持っているのではないかと。

 

一方、叶先生には誰もいません。

正体を隠し、市井に紛れて、その後も任務を待っている。

 

同僚で友でもあったエリックさん演ずる王队长は反目し、死んでしまった。

香港に移った彼の実家のレストランで、何も知らない母親に家族の有無を尋ねられる叶先生。

同じく何も知らない父親は、息子を殺した相手に、何年も会っていない息子が上海で暮らしていると語る。

とてもせつないですね。

 

婚約者だった方小姐は、日本軍に協力する立場をとった叶先生を心から軽蔑し、婚約を解消。

実は、叶先生とは同志であるのに、彼はそのことを告げることはできない。

真実を知ることなく、彼女は元婚約者を詰ります。

 

Yiboくんもこのシーンのことを語っています。

 

トイレに会いに行ったシーンで、早く死ねと言われ、その時はほんとうに心が苦しかったです。なんといっても愛する人ですから。

感情を動かす方法は、現場に行って、ほんとうに聞いて、ほんとうに見て、芝居の裏側を感じることです。

監督が、その場面での人物の関係を教えてくれたので、これから起こることがよりよく理解でき、感情をより見つけやすかったです。

現実の中で似たような感情を見つけるようにと、言われたこともありました。

「智族 GQ」(2022年10月号)

 

この場面はお化粧室ということもあり、美しい元恋人、今も愛する人を映す「鏡」が出てきます。

彼女が「着飾った男は嫌い」と言い、思わず、主題歌『無名』の歌詞が頭をよぎりました。

 

 

你没有名字 你衣冠楚楚

你笃定无言 你属于夜晩

 

名も無き者 きみは着飾り

臆さず 無言で 夜の世界に属している

 

   +  +  +

 

你说这一切犹在镜中

一切开没有在镜子里

 

すべては鏡の中の世界と言うけれど

すべては鏡に映らない

 

 

主題歌『無名』 王一博

2023年 東方衛視春晩

 

 

このあとの叶先生の日本兵への暴行は、ただ単に、元恋人に暴言を吐かれ、自暴自棄になったのではありませんね。

 

このシーンについても Yiboくんは語っています。

 

雨の中、日本兵をボコボコにする玄関の場面は、ワンカットの戦闘シーンで、何日もかけて何度も撮影しました。

「智族 GQ」(2022年10月号)

 

その方小姐を暴行し、殺害した王队长に、叶先生が真実を問い詰めるシーン。

こちらも印象に残るシーンです。

Yiboくんの流す涙が、とてもよいです。

 

眼の演技とともに、『陳情令』藍湛でファンに評価されてきた「涙の演技」。

 

『陳情令』では、魏嬰と決別することになる、雨の窮奇道で彼の逃亡に道を譲ってしまった場面で流した涙。

そして、魏嬰の金丹の真実を知り、蓮花塢で流した涙。

どちらも涙を流す演出ではなかったそうですが、本編に使われた Yiboくんの涙は、演技を越えたものとしてファンの心をつかみました。

 

『無名』のこのシーンでも、Yiboくんが流す涙は、私の心を揺さぶりました。

彼は瞬時に役柄に深く入っていくことができる俳優なのだと、あらためて感じました。

 

だからこそ、映画のラストシーンでもある、ここの Yiboくんの最後の台詞。

日本語字幕が…。

 

おそらく、わかりやすさを優先させたのだと思いますが…。

英語字幕は直訳で「Me too」。

こちらは原語の台詞のリズムに合っていますし、余韻もそのまま伝わります。

 

〈追記〉

本日再び見てまいりましたら、この部分の字幕が「俺もだよ」となっていました。このことについては、次のブログ「『無名』叶先生のネクタイ」に記しています。2024.5.21.

 

 

同行の Sさんの指摘で気づいたことですが、トニーさんの「没有」の台詞がくりかえされる場面も、一つひとつ違う言葉の日本語字幕でした

理解しやすいように丁寧な字幕なのかもしれませんね。

 

こちらも英語字幕はすべて「No」。

トニーさんの台詞のリズムに合っていました。

 

日本語の字幕がつくことをとても期待していましたし、おかげで作品の細かい理解もできたわけですから、大変ありがたく思っています。

入門レベルから一向に進歩しない私の中国語力の程度で、あれこれ言うのは、ほんとうにバチあたり。

 

ですが、脚本も程耳監督。

台詞の言葉選びには、かなりこだわったはず。

 

原語の台詞を知りたいという渇望がわいてしまいました。

やはり、欲しくなってしまいます。中国語字幕版。

 

芸者さんの袖口からぬっと出た腕と、脛が丸見えの足さばきと、同じくらい、最後の台詞の日本語訳は残念に思いました。

率直で、ごめんなさい。でも、Yiboくんの最後の台詞なのですもの…。

大切なひと言なのです。

 

あ、話が逸れてしまいました(>_<)

 

Yiboくんの涙。

もう一つの涙のシーン。

渦巻きのお線香が天井から吊るされた御堂で流す涙。

 

手を合わせる叶先生の肩に置かれる手。

この手の置き方のやさしさに、私の目からも涙があふれました。

 

何主任の手。

いえ、もう、この時には、「トニーさんの手」でした。

振り返る叶先生も、もう役を離れて、Yiboくんの顔に。

 

あふれ出る Yiboくんの涙。

ふたりの役柄が完璧に抜け落ち、アクションシーンのメイキングで見たトニーさんの偉大さ、やさしさ、そして、Yiboくんのひたむきさが、脳裡に浮かび、胸を熱くしました。

 

この細い、細い、信頼の絆。

何主任と叶先生。

それでも、唯一の繋がり。

暗闇では、きっと輝く。

 

トニーさんの手も、とてもきれいですね。

あらためて「名も無き」という「無名」の言葉の意味が、ずしんと胸に迫りました。

 

パンフレットに掲載されたインタビューで、映画での設定とは別に「叶先生の結末がどうあってほしいか」と問われた Yiboくん。

この答えが、とても彼らしいと思いました。

 

彼はあの時代、その労働環境の中で生き、そこから離れられませんでした。私は、彼がスパイとしての目標を達成し、任務を完了し、無傷で脱出できることを願っています。

 

この言葉は、いかにも Yiboくん。

 

王一博、彼もまた、自身に課せられたものを、ぶれることなく認識し、任務を遂行するプロフェッショナルでした。

 

 

映画『無名』、ひとりでも多くの方にご覧いただきたいと願っています。

私もまだまだ劇場に足を運ぶ予定です。