スマナサーラ長老にお会いして、質問することができました。
2024年8月26日、スマナサーラ長老とお話しさせていただきました。
仏教はもともと、インドでさまざまな修行がある中で、お釈迦様は、それらの修行をすべてされた中で、最終的にヨギの道ではない悟りを開かれたと理解しています。
そのお釈迦様の悟りを受け継いでいくうちに、だんだんと、奇跡とか神秘体験とか現世利益のまじないとかの、もともとあったインドの宗教に先祖帰りしてしまったのが、大乗仏教だと私は理解しています。
つまり、お釈迦様が悟りを開かれた最初の仏教を今でも受け継がれているのが、上座仏教のスマナサーラ長老だと私は理解しているので、
ヨガの瞑想によって得られるとされるサマーディと、お釈迦様が悟られた境地と、どこがどう違うのか、スマナサーラ長老に伺いました。
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頭で考えた疑問ではなくて、実体験からくる疑問を長老に投げかけました。
私の個人的な体験から、ちょうど、会うべくして会うことができたスマナサーラ長老でしたので、率直に勇気を出して質問させていただきました。
思っていることを正直にしゃべることは、とても勇気がいります。
それが、こと宗教のこととなると、シンプルな疑問でも、質問すること自体が躊躇されたり、ブレーキがかかってしまいます。
無意識のうちに…
でも勇気を出して、スマナサーラ長老に質問させていただきました。
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ちょうど、パイロット・ババジが亡くなって少しショックを受けていたときでした。
それから数日も経たないうちにスマナサーラ長老にお会いすることができました。
パイロット・ババジは、インドのシバ派のヨギの最高峰といわれている方です。
私はラジニーシの本を読んで、ヨガの道とタントラの道があるという話しは知識で知っていました。
タントラも仏教の密教という考えもありますが、
ラジニーシ先生のいうタントラは、ヨガと対峙する道です。
ではヨガとタントラは、何がどう違うのか?
ラジニーシ先生が言うには、ヨガは努力の道であり、階梯があり、ピラミッド状のカーストがあります。
頂点はたったの一つです。
底辺はその他大勢の烏合の衆で無限大です。
ヨガの道は、このピラミッドの階梯を、一段一段、頂点を目指して登っていく、“努力”して登っていく“苦行の道”です。
頂点はたったの一つです。
インドには様々な苦行者がいます。
片手をずっと上げたままのサドゥー、爪を切らないサドゥー。
みんな頂点に向かって永遠とも言える苦行をしています。
一方で、タントラには段階がありません。
ピラミッド状の役職や、地位も名誉ありません。
苦行して達成する、“最高の境地”もありません。
一瞬で達成でき、その達成した境地は、“最高峰”でもなんでもなく、そこら辺に転がっているただの“日常”です。
私のような人間には、ヨガの道よりも、タントラの道が合っているのだと、この歳になって改めて気づきました。
仏陀もある意味、タントラだったのかもしれません。
スマナサーラ長老とお話しができて、とてもありがたかったです。
https://youtu.be/NlssiMLekDc?si=HndzouT_6-diVJG4