雪が降り、通行止めの高速 | 紫源二の啓示版

雪が降り、通行止めの高速

雪が降っていると昔のことを思い出す。

今は午前3時。
まだ外では雪がしんしんと降ってるみたいだ。
(窓を開けて見ないから分からないが…)
今テレビで午前3時の気象情報をやっている。
東京につながる高速道路はほぼ通行止め。
東北自動車道も通行止めとニュースで言っていた。

それを見て思った。
東北自動車道か。
最近ではほとんど走ったことがないな。
でも、思い出がある。

二十歳の頃、宝石のセールスをやっていた。
会社の車で、仙台のデパートの支店に宝石を売りに行った。
いつもはチームで行くのだが、そのときはなぜか私一人だった。
会社の秘書課から、今日泊まる宿屋の住所を渡された。
たぶん、電話番号も。
もう詳しいことは忘れてしまった。

宝石が詰まったカバンを積んで、東北自動車道をニッサンのローレルのターボで走った。
車のテープデッキに、サービスエリアで買ったオリビア・ニュートン・ジョンの新譜のカセットをかけて、爆音で鳴らしながら。もちろん制限速度をオーバーして走った。
(もう時効だからいいだろう。)

夕方を過ぎて、現地に着く頃はすっかり日も暮れて真っ暗だった。

その頃の私の常で、住所を聞いても、そこが何処にあるのかも分からぬまま、私は目的地に向かう。
カリフォルニアを放浪していた頃からの習性だ。
今考えると、考えられない。
インターネットもスマホもない時代。もちろんグーグルマップもない。
しかも地図もない。
もちろん、カーナビもない。

でもなぜか、目的地に辿り着く。

詫びた温泉付きの小さな旅館だった。
夕飯の時間も過ぎていた。
風呂だけ入って寝た。

翌日、デパートの支店の小さな駐在所のようなところに行った。
そこの責任者に挨拶すると、私が持って行った宝石以外にも、金庫に宝石があるという。

金庫から出した宝石一式も持って、その責任者をローレルに乗せて、お得意様の家にさっそくセールスに出かけた。

お得意様の家は車で山道を走り、それでも辿り着かない。
ずいぶんと辺鄙なところに来てしまったと思った。

私はセールスが苦手だ。
セールストークができない。
嘘がつけない。
宝石が何故こんなに高額なのか分からない。
もちろん、頭では分かる。
ルビーはどこで獲れて、どれだけ希少価値があるか。
ダイヤモンドの産地はどこで、どうやってその価格が決められているのか。
一通り研修で習った。
でも、なぜ、宝石にそんなに高いお金をかけて買おうとするのか?
その心理が分からない。
たとえば、そのころ流行っていたアフリカのブッシュマンは、日本のテレビに出演するために来日して、帰りにお土産に奥様にビー玉を買ったとテレビでやっていた。
宝石は高くて買えないから、奥さんには、綺麗なビー玉を買ったと言っているのをウツミミドリが聞いていて、「あら、素敵!」と感動していた。
その頃見たテレビの話である。

そんなことで、私は宝石よりも、ビー玉をお土産に買って帰るアフリカのブッシュマンの気持ちに共感するような男だったから、高価な宝石は一つも売れないまま、夜、宿に帰った。
たった一人で。
そして会社に売り上げ報告の電話だ。
「0でした」
電話先の総務部の女性がいった。
「マルね。明日、助っ人が行くから」

翌日、詫びた宿にやってきたのは、毎月の売り上げがトップクラスの三十代半ばのKという男だった。
彼は車ではなく、なぜか電車でやって来た。

私はなんか救われた気がした。
私一人では何もできない。
ぜんぜん売れもしない。
一人でこんな詫びた宿に泊まっていてもつまらない。

やってきたKは何故か私のことを知っていた。
「その後、あのユダヤ人はどうなったの?」
と馴れ馴れしく聞いてくる。
「え? 何のユダヤ人?」
とびっくりして言うと、
「お前、カリフォルニアでユダヤ人と放浪してたんだろ?」と言う。
詳しく聞くと、会社の週報に私の手記が出ていたらしい。
手記というか、社長に提出する日報に書いたことだ。
日報は毎日社長に提出することになっている。
毎日の売り上げ報告を兼ねているが、私は売り上げは悪かったが、その日のこととか、その日考えたこととか、いろいろなことを長々と書いて社長に提出していた。
今思えばおかしなことをしていたものだと思うが、二十歳の頃、そのほかの誰とも自分を比較する対象がない自分にとっては、それが当たり前のことだと思っていた。
いや、当たり前とすら思ってもいなかった。
ただ、そうしていただけだ。

それが社員の紹介として掲載されたらしい。
なんだか恥ずかしかった。

Kは私のことを変人でも見るような態度で接した。
でも、親しみを込めて。

Kは自己紹介を始めた。
自分は昔レーサーをしていた。
自動車のF2とかなんとかいう有名なレースがあるらしい。
私は詳しくないので判らなかったが、F1以外にも自動車のレースがあるとのこと。

そのレースではトップ1、2を争うレーサーだった。
「俺の名前を言えば知らないやつはいないよ」と言っていた。
たしかに、その名前は私も聞いたことがある気がした。

「俺のブレーキテクニックの右に出るものはいなかった。カーブギリギリまでブレーキを踏まない。今度教えてやるよ」

仙台の出張はすぐに終わった。
会社から帰ってこいと指示があった。
よくわからないが、売り上げも上がらないのに、宿に泊まっている経費は出せないということのようだ。Kが来たのも私を連れ戻す役目だったのかもしれない。

普段は滅多にないこと。というか、今までに一度もないことだったが、帰りは、私のローレルにKと2人で一台の車に乗って帰った。
一人のセールスマンには必ず一台の車が割り当てられている。
でも何故かそのときは、Kは車に乗って来なかった。
だから、帰りは元レーサーのKと一緒に、一台の車に乗って帰った。

なぜか深夜だった。
東北自動車道をニッサンローレルのターボに乗った2人。

Kは私に
「運転のし方知ってるか? 教えてやるよ」
と言って、まずは、ハンドルを垂直にして下に下げた。
腕を伸ばし気味にしてハンドルが握れるくらいにシートを後ろにずらした。

ほとんど車らしい車が走ってもいない深夜の東北自動車道の追い越し車線を、Kはローレルのターボを突っ走しらせた。
ライトを上向きにして。

たまに前を走る車がいると、はるか彼方から慌てて左車線に車線変更していく。
まるで、路上駐車している車を追い抜いているみたいに、一瞬で追い越していく。

あっという間に次のインターチェンジを通過する。
スピードメーターの警告音は鳴りっぱなし。
何キロで走ったのかは言わないことにする。

「お前もやってみるか?」

次のインターチェンジで運転手を交代した。
ハンドルとシートを調整していざ出発。

アクセルを踏み込むと、ターボエンジン独特の音が唸りを上げる。
一気に加速して、ノロノロ運転の左車線の車を次々と追い越していく。

「もうそのくらいでいいだろう」
とKは言うが、私は収まらない。
どんどん加速を続けていくと、クラッチが切れた。

「クラッチが空回りする」と言うと
「リミッターだよ」とKは言う。
「もうそのくらいでやめとけ」

また次のインターで交代。

今度はブレーキテクニックを教えてくれた。

トラックの後ろギリギリにつけて走るK。
「これが風の抵抗をゼロにして走るテクニック」

とても真似できない。

(すべて40年以上も前の時効のお話し。)

今日は雪道。車両も通行止め。
深夜のお伽話でした。