先週の土曜日、

このブログで幌延町内にある

道道256号豊富遠別線上の

“北緯45度線通過点”をご紹介しました

(12月22日付「北緯45度の暮らし」参照

https://ameblo.jp/hoshitsuru/entry-12427599870.html)。

ただですね、北緯45度線

ここを通過してますよ〜という印は

別に北海道内でこの1ヶ所のみに

あるわけではございません。

確かオホーツク海側の国道238号線、

通称オホーツクライン上にもあったし、

幌延町内の道道121号線上にもあるらしい。

そしてもう1ヶ所、やはり幌延町の

日本海沿いを走る道道106号稚内天塩線にも

“北緯45度通過点モニュメント”があります。

これです。

 

 

うーむ、同じ幌延町内にあるものでも

前回紹介した道道256号線上のものに比べると

だいぶ力が入っているというか

レベルアップしたというか。

これくらいだと、

わざわざ車を停めて撮影するにしても

撮影のし甲斐というものがありますな。

ロケーションもいいんでしょうね。

バックに日本海が広がり、そこに波光がきらめく。

この「N」を象ったモニュメントの台座部分に

赤い線が刻まれているんですが、見えますか?

ここが北緯45度線なんでしょうね。

 

私たちは先週の金曜日、道道256号線上の

“北緯45度線通過点”を写真に収めた後、

「ほろのべトナカイ観光牧場」に立ち寄り

(12月24日付「クリスマスの人気者に会ってきた!」参照

https://ameblo.jp/hoshitsuru/entry-12427950907.html)、

路面上に雪が少ないであろう

日本海沿いの道を通って美深町に帰ろうと

道道106号線に出たところ、

このモニュメントに出会ったわけです。

つまり偶然

こんな立派なモニュメントが造られてあるとは

全然知らなかった。

いや、知っていたら最初から

こっちを撮りにきますよ。そんで撮影したら

もと来た道を戻っていたと思う。

うん、もしもそうしていたら

トナカイくんたちに会うことも

なかったかもしれない。

まあ、それはともかくとして、

日本海側に出たおかげでこのモニュメントを

発見することができたわけなのですが、

それと同時に、ここまで来たからこそ

解けた謎もあった。

というのはですね、内陸部を走る

道道256号線を北上しているとき、

私たちはこんな風景を目にしたのです。

 

 

雪原の先に、山容も端正な白い山が見える。

美しい

でも、道北にあんな山あったっけ?

道北はもとより高山の少ない土地で、

とくに私たちが住んでいる美深町より北には

確か1,000mを超える山なんか

なかったんじゃないか。

「もしかしたら利尻島かなあ」

家人がそう言ったのですが、

「いや、島には見えなくない?

それに利尻島にしては

近すぎるんじゃないかなあ」と

私は答えました。じゃあ、あの山は何だ?

幻なのか?

その謎の答えが、

この“北緯45度通過点モニュメント”の

地点まで来てわかりました。

 

 

午後になって天候が緩やかに

下り坂になってきたために

上部が雲におおわれてはいるけど……

あの山だ! 

行きに見た山と同じ形だ。

そう、家人の言葉が正しかった。

やっぱり利尻富士だったんです。

標高1,721m。道北の最高峰。

その威容は、かなりの距離を隔てた

幌延町の内陸部からでも

あんなに間近に見ることができるんだ。

これは私たちにとっては

大きな驚きを伴った発見でありました。

そして海を隔てただけの

近くから見る利尻富士は、

その大半が雲に隠されてしまったからなのか、

逆に何か会場に浮かぶ夢か幻の土地ように

感じられもしたのでした。

 

 

この風景を見ることができる道道106号線は

“日本海オロロンライン”と

呼ばれる道の一部です。

日本海オロロンラインというのは

国道231号線と232号線、

そしてこの道道106号線を結んでできる

一本の道のこと。

札幌市に隣接する石狩市と

(北方領土を除く)日本最北端の

稚内市の間をつないでいます

(これに国道5号と337号もつなげて

小樽から稚内までの道を

オロロンラインとすることもあるそうです)。

いつかまた詳しく書きたいと思うのですが、

私はこのオロロンラインが大好きです。

走っていると自由になれる道

そんな気がするから。

そのオロロンラインに立つ

北緯45度通過点のモニュメントとは、

ここが素晴らしい海景を見ることができる

場所であることを示す

目標(めじるし)でもあるのでしょう。

赤道(緯度0)と北極(北緯90度)の

ちょうど中間点に広がる海。

その風景はやはり、何か特別な感慨を

見る者の胸に呼び覚ますような気がします。

 

 

なお、余談ですが、

このモニュメントがあるのは

幌延町字浜里という地区です。

昭和34年に浜里に改称される前は

音類(オトンルイ)と呼ばれる

集落だったのだそうです。

伊能忠敬もここに測量に訪れています。

終戦直後にはおもに山形県出身者と

樺太からの引揚者から成る開拓団が入植し、

100戸を超える家があったとも聞きますが、

2015年の国勢調査では浜里の人口は0人。

消滅集落となったのだそうです。

北緯45度線とは

そんな静けさの中を延びている

緯線でもあるのでした。