日本映画の黄金期 その7『東宝、新東宝』 | レイジイの気まぐれブログ

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さて日本映画の黄金期もいよいよラストです。
ラストを飾るのは
『東宝』・・・そして『新東宝』
なぜ一緒にするのかというと
元々『新東宝』は
1946年の東宝争議(経営者側と労働組合側対立)の最中、
組合を脱退した百数十名の有志とともに
1947年中心にできた映画会社。

根っこは一緒なので
東宝だけでなく新東宝も・・・


東宝映画の1950年代は
海外の映画祭で受賞した
黒澤明監督の『生きる』『七人の侍』
キネマ旬報の高い評価を得た
成瀬巳喜男監督の『浮雲』
豊田四郎監督の『夫婦善哉』など
名作・傑作が多かった。

1960年代に入ると
森繁久弥・小林桂樹・加東大介・三木のり平らが
レギュラー出演する『社長シリーズ』

森繁久弥・伴淳三郎・フランキー界が
レギュラー出演する『駅前シリーズ』
加山雄三・田中邦衛・星由里子が
レギュラー出演する『若大将シリーズ』
に『クレージーシリーズ』を加えた
四大喜劇映画が
サラリーマンを中心にした
観客を集めていました。

また
ゴジラなど特撮技術映画が
他社を圧倒しています。
まさに娯楽映画なら『東宝』です。


東宝の前身は
トーキーシステムの開発を行う
写真化学研究所でした。
興行師から発展した
他の映画会社と違い
財界肝いりの近代企業として
期待された東宝は
他社からの反発も大きかったようです。

その一因が引き抜き。
興行師の思考とは違う
東宝の思考は
義理人情よりも
出演料・契約金などの待遇優先。

設立時に高待遇で他社から
多くのスターを引き抜いた。

それが事件を生むことに・・・

当時松竹の大スター『林長二郎』が
東宝に移籍、
『忘恩の徒』とマスコミから非難され
ついに松竹から教唆された
ヤクザに襲われた。
左顔面を右下から鼻の下に斜めに
切りつけられる重傷を負う。

この事件をきっかけに
『林長二郎』の名を松竹に返し
以後本名の『長谷川一夫』を名乗ります。

他社が
歌舞伎の因習や興行師の世界を踏襲し
封建的だったのに対し
東宝の社風は自由で民主的だった。

それが1946年から1950年にかけて
労使対立の東宝争議に発展した原因にも。

争議に嫌気を感じ
大河内伝次郎・長谷川一夫・入江たか子・山田五十鈴・
藤田進・黒川弥太郎・原節子・高峰秀子・山根寿子・
花井蘭子の十大スターが
『十人の旗の会』を立ち上げます。

また
反左翼の渡辺邦男をはじめとする
有名監督の大半は、
1948年4月26日に
第三組合によって設立された
新東宝で活動することに・・・

大スターや大監督がごっそり辞めたことで、
入社したての三船敏郎らが
すぐに主役として抜擢されました。

若い監督も活躍の場を
得やすい状況になり
東宝の新たな活動が始まります。

財界優良企業らしく健全な市民色、
モダニズムを鮮明な作品カラーとした会社に。


一方
新東宝は東宝と絶縁して
独立会社となります。
創立初期は文芸色が強かったが
文芸映画路線が不振で
経営がすぐに悪化。

歌手・近江俊郎の実兄で、
元活動弁士・東京の大手映画興行主の
『大蔵貢』を
新社長に迎え会社再建を託します。

大蔵の採った施策は
「安く、早く、面白く」で、
「テスト1回、ハイ本番」

と書かれたスローガンのポスターを
撮影所に貼ったりしていました。


1957年に渡辺邦男監督、嵐寛寿郎主演で
それまでタブーだった
明治天皇を描いた
大作映画『明治天皇と日露大戦争』は
史上空前の大ヒットとなりました。


その後は
宇津井健・天知茂・吉田輝雄・菅原文太・
三原葉子ら若手スターが健闘する時代に。

が、
経営のワンマン体制も確立した大蔵は
「一部の階級のみに迎合するが
ごとき芸術作品は敬遠して、
一にも二にも、
多くの大衆に基盤を置く作品を
制作の根本姿勢とし
これを以て新東宝カラーとしたい」
と主張。
「エログロ」に代表される
徹底した娯楽、大衆路線を主軸にします。

「エログロ」路線とは、
前田通子・三原葉子・万里昌代
肉感的グラマー女優の作品群を指します。


大蔵は映画スターの人気にあやかる
「スターシステム」を批判し、
「名企画無くして興行の成功はあり得ない」
「映画は企画」と論じて譲らなかったが

これは映画作りの基本かもしれません

ただそれが「エロ・グロ路線」に繋がるのは
いかにも大蔵貢らしいですがね。

実は私
チープな作りですが
『憲兵とバラバラ死美人』『憲兵と幽霊』
三原葉子の『海女・・・シリーズ』
久保菜穂子の『女王蜂シリーズ』など
カルト作品として個人的に好きなんです。


最後に大蔵貢の
名セリフをご紹介しましょう。
新東宝のスター高倉みゆきとの関係について
「女優を2号(妾)にしたのではなく、
 2号を女優にしたのだ」

高倉みゆきは東宝の大部屋女優から
東映に移籍して『和田道子』の名で
『紅孔雀』『百面童子』などに出演していたが
大蔵貢がスカウトして新東宝に移籍。

『天皇・皇后と日清戦争』で
皇后役を演じました。
この皇后役ゴリ押しで
愛人関係がマスコミにバレて
大倉の記者会見での発言が
上記の発言でした。


日本映画の黄金期のラストに
これで締めるとは(笑)