皆さんこんにちは。
神戸市灘区の個別指導塾、
加古川市野口町の集団塾、
WinStar個別ONE・WinStar拓進館の北浦です。
ご機嫌麗しゅう。
なんかこう、
少し前からしれっと書いてますけどこの度私WinStar拓進館(加古川校)の校長にも就任いたしました。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、
拓進館の校長をしていた高崎がめでたく故郷の南相馬市に帰ることになりまして。
震災、津波、原発被害から5年、
両親を故郷に残しての関西移住。
そりゃもう大変な心労の中だったと思いますが、
加古川の子供達のため、
関西で出来た仲間達のため、
文字通り粉骨砕身尽くしてきた高崎にはただただ感謝しかありません。
これからは高崎に代わり私北浦が校長を務めますのでちょっと熱血色が薄れて生温い感じになっちゃいますけど、
沸点ギリギリの絶妙な湯加減をお楽しみいただければコレ幸いです。
さてさて。
ついに4月になりました。
私が教育というものに関わるようになって丸22年です。
思い起こせばこれまでに色んな生徒さん、保護者さん、先生方に出会いました。
その中で教育に対する考え方もどんどん変化してきて、
ようやく気付いたのは「教育に正解は無い」という誰もが知ってる当たり前の結論だったという。
フツーに考えたらそこに至るまでに20年はちょっと時間かけすぎかもしんないですけどもね。
結構最近まで「これが正しい!」とか思いながらやっちゃってる自分がおりました。
我ながらホントやれやれです。
褒めて伸ばすのが向いてる子もいれば調子に乗って逆に成績落ちる子もいますし、
漫画ばっか読んでるけど驚異的な知識量を誇る子もいますし、
物で釣ることもゲームの良し悪しもスマホの是非も、
この辺はホントにケースバイケースですよね。
必要なのはアレじゃないですかね、
臨機応変にその場その場で見極められる目といいますか。
その子に合った接し方を常に意識しつつも、
自分の中では「これが好き」っていう芯を持っておくと。
その芯を隠すことなく普段から周囲に見せておけば、
結果として自分の好みに合った生徒達(ちょっと誤解を生みそうな表現ですが)、
もっというと自分のスタンスを良しとしてくれる生徒さん保護者さんが集まってくれるんでしょうね。
と、
コレは塾運営のハナシですけどね。笑
そして対子供の接し方で自分でも特に注意したいのが、
「○○じゃないとダメ」という価値観に囚われないことです。
近頃色んなところで思うんですけど、
そしてこれまでも何度か書いてきたんですけど、
ありとあらゆるメディアが絡み合うようになってきて、
また誰もが情報を発信できるようになってきて、
手に取る情報の精度が怪しい時代になってるじゃないですか。
このブログも然り、
ソース(情報源)もないイチ個人の経験則がさも事実かのように発信されて、
これだけ社会が発展してきたにも拘わらず気が付けば都市伝説的な怪しい情報も飛び交うようになってきて、
必要以上に振り回されてる感があるんです。
せっかく情報へのアクセスが容易になってきてるのに、
なんだか情報への接し方が前時代的になってきたと言いますか。
噂に振り回されて“○○じゃないとダメ病”になっちゃってる気がするんですよね。
先程も言いましたが教育に関して言えばケースバイケースに接したいのに、
色んな教育本に振り回されてついつい「こうじゃないとダメ!」みたいに思いがちな気がします。
毎度自戒を込めた内容で恐縮なんですが、
氾濫する情報に振り回されることなく、
かといって正解に囚われることなく、
その場その場で臨機応変に対応できる力を身に付けていきたいと思う今日この頃です。
といったところで、
今日も尾てい骨の痛みに負けず加古川で授業頑張ってきまーす。
アディオス。

昨日の授業時の落書き。
あまり意味はありません。
神戸市灘区の個別指導塾、
加古川市野口町の集団塾、
WinStar個別ONE・WinStar拓進館の北浦です。
ご機嫌麗しゅう。
なんかこう、
少し前からしれっと書いてますけどこの度私WinStar拓進館(加古川校)の校長にも就任いたしました。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、
拓進館の校長をしていた高崎がめでたく故郷の南相馬市に帰ることになりまして。
震災、津波、原発被害から5年、
両親を故郷に残しての関西移住。
そりゃもう大変な心労の中だったと思いますが、
加古川の子供達のため、
関西で出来た仲間達のため、
文字通り粉骨砕身尽くしてきた高崎にはただただ感謝しかありません。
これからは高崎に代わり私北浦が校長を務めますのでちょっと熱血色が薄れて生温い感じになっちゃいますけど、
沸点ギリギリの絶妙な湯加減をお楽しみいただければコレ幸いです。
さてさて。
ついに4月になりました。
私が教育というものに関わるようになって丸22年です。
思い起こせばこれまでに色んな生徒さん、保護者さん、先生方に出会いました。
その中で教育に対する考え方もどんどん変化してきて、
ようやく気付いたのは「教育に正解は無い」という誰もが知ってる当たり前の結論だったという。
フツーに考えたらそこに至るまでに20年はちょっと時間かけすぎかもしんないですけどもね。
結構最近まで「これが正しい!」とか思いながらやっちゃってる自分がおりました。
我ながらホントやれやれです。
褒めて伸ばすのが向いてる子もいれば調子に乗って逆に成績落ちる子もいますし、
漫画ばっか読んでるけど驚異的な知識量を誇る子もいますし、
物で釣ることもゲームの良し悪しもスマホの是非も、
この辺はホントにケースバイケースですよね。
必要なのはアレじゃないですかね、
臨機応変にその場その場で見極められる目といいますか。
その子に合った接し方を常に意識しつつも、
自分の中では「これが好き」っていう芯を持っておくと。
その芯を隠すことなく普段から周囲に見せておけば、
結果として自分の好みに合った生徒達(ちょっと誤解を生みそうな表現ですが)、
もっというと自分のスタンスを良しとしてくれる生徒さん保護者さんが集まってくれるんでしょうね。
と、
コレは塾運営のハナシですけどね。笑
そして対子供の接し方で自分でも特に注意したいのが、
「○○じゃないとダメ」という価値観に囚われないことです。
近頃色んなところで思うんですけど、
そしてこれまでも何度か書いてきたんですけど、
ありとあらゆるメディアが絡み合うようになってきて、
また誰もが情報を発信できるようになってきて、
手に取る情報の精度が怪しい時代になってるじゃないですか。
このブログも然り、
ソース(情報源)もないイチ個人の経験則がさも事実かのように発信されて、
これだけ社会が発展してきたにも拘わらず気が付けば都市伝説的な怪しい情報も飛び交うようになってきて、
必要以上に振り回されてる感があるんです。
せっかく情報へのアクセスが容易になってきてるのに、
なんだか情報への接し方が前時代的になってきたと言いますか。
噂に振り回されて“○○じゃないとダメ病”になっちゃってる気がするんですよね。
先程も言いましたが教育に関して言えばケースバイケースに接したいのに、
色んな教育本に振り回されてついつい「こうじゃないとダメ!」みたいに思いがちな気がします。
毎度自戒を込めた内容で恐縮なんですが、
氾濫する情報に振り回されることなく、
かといって正解に囚われることなく、
その場その場で臨機応変に対応できる力を身に付けていきたいと思う今日この頃です。
といったところで、
今日も尾てい骨の痛みに負けず加古川で授業頑張ってきまーす。
アディオス。

昨日の授業時の落書き。
あまり意味はありません。