いつもありがとうございます。
神戸市灘区の個別指導塾、
WinStar個別ONEの北浦です。
ご機嫌麗しゅう。
さてさて、
今日もマジメで長くて退屈で難解(北浦の脳的に)な内容です。
でも多分とても大事な話で、
特にこれから大人になる子供達には是非とも知ってて欲しいなぁと思う内容です。
読んでて途中4回ほど心くじける場面に出会うかと思いますが、
どうか我慢してお付き合いいただけたらこれ幸い。
タイトルにも書きましたが今日のお題は近頃ちょいちょい耳にする“シンギュラリティ(技術的特異点)”について。
後々詳しく書くのですが、
シンギュラリティという言葉は近頃教育業界で使われている使い方とは本来異なるように感じます。
(そもそもシンギュラリティという言葉を初めて聞いた方はこのくだりは読み流してください。)
おそらく、
新しい言葉を覚えたら使いたくて仕方がない知ったかぶり系、
または横文字大好きイマドキのデキる風ビジネスマンを装う系、
そういった人達が「新しい横文字キター!!!」とばかりに喜んで使い始めたのをそこかしこで耳にするようになってきたという感じでしょうか。
(因みに私は前者です。よく知ったかぶります。嫁にも「この知ったか!!」としょっちゅうツッコまれます。)
さてその知ったかぶりを返上するためにも改めてシンギュラリティ(Singularity)とは何なのかを詳しく調べてみたところ、
多義語の名詞で
・非凡
・風変わり、奇妙
・風変わりな点、特異性
・単独、単一
という意味がまずありまして。
またそれとは別に気象用語として、
・特異日(その日から気候が変わる日、という使い方。)
といった意味もあるようです。
数年前から巷で語られ出したシンギュラリティは上記の意味から転じ、
技術的特異点(科学技術の進歩が予測できなくなる時点)、
という意味で使われるようになったみたいです。
なんのこっちゃとWikipediaで調べてみると、
“未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す”
とあります。
うーん、
何を言っているのかよく分かりませんね。
ところで余談ですが近頃は紙の辞典で調べても意味が載っていない言葉ってのが増えた気がしません?
これもまた何かの転換期を表しているのかもしんないですね。
さてここで上記のWikipediaに書かれてる内容についてとても分かりやすく説明してくださっているサイトがあったのでURLを貼らせていただきます。
http://www.ikeda.asia/2014/02/2045.html
他にも非常に興味深い内容が書かれているサイトでしたので、
お時間ある方はまた色々見てみてください。
(最後の方に物凄く不自然な形で広告が入る以外は全然怪しくないので安心してください。)
で、
最初に書いたことにつながるのですが、
Wikipediaやこのサイトに書かれている内容を読んでみたところ、
(あくまでも私の捉え方ではありますが)
ここ最近教育業界でよく耳にするシンギュラリティの意味が、
これらの意味とはまた少し違うような気がしてならないのです。
つまりどういうことなのか、
以下に噛み砕いて説明してみますが、
「いや、悪いけど違うよ?」
と思う詳しい人は後でこっそり北浦まで連絡をください。
あくまでこっそりと。
そしてここまでで既に投げ出したくなってる人はあと少しだけ我慢して!!
まずそもそも技術的特異点という日本語で数年前から使われ出したシンギュラリティとは。
本来科学技術の進歩は予測可能な範囲で行われていくものだという前提があり、
例えば「2020年に○○、2030年に△△、2040年に××」というような科学技術予測が発表されたりしてるのを見たことがある人もいると思います。
多少のズレは生じるものの、
概ねその未来予想図に沿って科学技術は進歩していると。
(この辺聞きかじりが多くて早速知ったかぶりが発揮されてますがお許し)
しかし人類がインターネットというツールを手に入れ、
また人工知能(AI)も生み出し、
その2つが組み合わさって科学技術の進歩が加速度的に進み、
2045年頃には人工知能(AI)がさらに進んだ人工知能を生み出すようになり、
人類による科学技術の進歩の終焉を迎えるそうです。
つまりそれ以降はAIによる予測不可能な科学技術の進歩が訪れ、
先程の科学技術予測のようなものが立てられない時が来ると。
それこそが技術的特異点、シンギュラリティというものなんだそうです。
しかしながら、
ここ最近我々の業界(つまり教育業界)で言われているシンギュラリティはもっと違う意味で使われてるんじゃないかと思いまして。
それはちょうど1年前にイギリスのオックスフォード大学の人工知能(AI)の研究者が発表して話題になった論文、
同業者の方はご存じの方も多いと思います。
その論文に書かれた内容こそが近頃我々の業界でシンギュラリティという言葉で表されている内容なんじゃないかと思うのです。
その内容とは、
この10年で高確率で機械(コンピュータ)に取って変わられるであろう職業や仕事について。
詳しい内容は私もよく知りませんが、
(ハイ、また知ったかぶり出ましたー)
分かりやすい例で言えばGoogle Carですね。
自動運転で目的地に到着できるというアレです。
もしあの車が普及すればタクシーやバスの運転手などの仕事が消滅してしまいますよね。
アメリカ国内の702業種を徹底調査して、
その職業が消える可能性をはじき出したそうなんです。
その内容がもう衝撃でして、
こんなにも多くの職業が無くなるかもしれないの!?
俺らは大丈夫なの!?
と戦々恐々としてしまったものでした。
そしてもし、
今私達の目の前にいる生徒が「将来の夢はバスの運転手です!」と目を輝かせて言ったとき、
果たして我々は「いやバスの運転手は近い将来無くなるからやめときな。」と言えるのか。
いや言ってもいいのか?
その職業が消えるであろう「近い将来」というもの、
それこそがまさにバスやタクシーの運転手という仕事における技術的特異点(シンギュラリティ)であり、
我々教育業界においてはそれを問題として取り扱う傾向にあるんじゃないかと思ったのです。
実際、
先日参加したセミナーにおいて
「もし今大工になりたいと言っている生徒がいたら、近い将来大工という職業はなくなるからやめときなさい、と私は言う。」
と仰っていた方がいました。
しかし、
本来のシンギュラリティとは決してネガティブな意味だけで使われているワケではありません。
確かに本来のシンギュラリティを問題視して「今から対策を!」とか「むしろ防ぐべきだ!」といった意見もあるようですが、
予測はできなくても少なくとも科学技術の進歩には違いないのです。
そしてここからはそれらに対する私の意見なんですが、
例えば将来運転手という仕事が無くなるにしても、
バス会社やタクシー会社というものが無くなるワケではないと思います。
仮に「バスの運転手になりたい!」と言っている生徒がいたとして、
その子がバスの運転手になってから何歳かの時点で自動運転システムが採用され、
もしかしたらリストラの危機に合うかもしれない。
でも、
そうなる未来を予期して準備して、
「その頃には現場で培った経験を元に経営サイドに入るから大丈夫さ!」
みたいに笑って言える子を育てるのもまた我々の仕事なんじゃないかと。
使い古された言葉でアレですけど、
文部科学省が掲げてた“生きる力”ってヤツですね。
シンギュラリティ上等、
そんなモノに負けない子を育てるのが俺達の教育なんだよ!
と胸を張って言える仕事をしたいなと。
我々みたいな私教育に携わる人間だけでなく、
小学校や中学校のような公教育の先生方も含めて、
全ての教育に携わる大人がそれを目指していけたら何の問題も無いですよね。
科学技術の進歩に対する教育の挑戦って感じがしなくもないですけど、
それくらいの矜持を持って日々この仕事に携わっていきたいと思うのです。
なんだか尻すぼみ感満載な終わり方ですが、
今日のところはこの辺で。
アディオス。
神戸市灘区の個別指導塾、
WinStar個別ONEの北浦です。
ご機嫌麗しゅう。
さてさて、
今日もマジメで長くて退屈で難解(北浦の脳的に)な内容です。
でも多分とても大事な話で、
特にこれから大人になる子供達には是非とも知ってて欲しいなぁと思う内容です。
読んでて途中4回ほど心くじける場面に出会うかと思いますが、
どうか我慢してお付き合いいただけたらこれ幸い。
タイトルにも書きましたが今日のお題は近頃ちょいちょい耳にする“シンギュラリティ(技術的特異点)”について。
後々詳しく書くのですが、
シンギュラリティという言葉は近頃教育業界で使われている使い方とは本来異なるように感じます。
(そもそもシンギュラリティという言葉を初めて聞いた方はこのくだりは読み流してください。)
おそらく、
新しい言葉を覚えたら使いたくて仕方がない知ったかぶり系、
または横文字大好きイマドキのデキる風ビジネスマンを装う系、
そういった人達が「新しい横文字キター!!!」とばかりに喜んで使い始めたのをそこかしこで耳にするようになってきたという感じでしょうか。
(因みに私は前者です。よく知ったかぶります。嫁にも「この知ったか!!」としょっちゅうツッコまれます。)
さてその知ったかぶりを返上するためにも改めてシンギュラリティ(Singularity)とは何なのかを詳しく調べてみたところ、
多義語の名詞で
・非凡
・風変わり、奇妙
・風変わりな点、特異性
・単独、単一
という意味がまずありまして。
またそれとは別に気象用語として、
・特異日(その日から気候が変わる日、という使い方。)
といった意味もあるようです。
数年前から巷で語られ出したシンギュラリティは上記の意味から転じ、
技術的特異点(科学技術の進歩が予測できなくなる時点)、
という意味で使われるようになったみたいです。
なんのこっちゃとWikipediaで調べてみると、
“未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す”
とあります。
うーん、
何を言っているのかよく分かりませんね。
ところで余談ですが近頃は紙の辞典で調べても意味が載っていない言葉ってのが増えた気がしません?
これもまた何かの転換期を表しているのかもしんないですね。
さてここで上記のWikipediaに書かれてる内容についてとても分かりやすく説明してくださっているサイトがあったのでURLを貼らせていただきます。
http://www.ikeda.asia/2014/02/2045.html
他にも非常に興味深い内容が書かれているサイトでしたので、
お時間ある方はまた色々見てみてください。
(最後の方に物凄く不自然な形で広告が入る以外は全然怪しくないので安心してください。)
で、
最初に書いたことにつながるのですが、
Wikipediaやこのサイトに書かれている内容を読んでみたところ、
(あくまでも私の捉え方ではありますが)
ここ最近教育業界でよく耳にするシンギュラリティの意味が、
これらの意味とはまた少し違うような気がしてならないのです。
つまりどういうことなのか、
以下に噛み砕いて説明してみますが、
「いや、悪いけど違うよ?」
と思う詳しい人は後でこっそり北浦まで連絡をください。
あくまでこっそりと。
そしてここまでで既に投げ出したくなってる人はあと少しだけ我慢して!!
まずそもそも技術的特異点という日本語で数年前から使われ出したシンギュラリティとは。
本来科学技術の進歩は予測可能な範囲で行われていくものだという前提があり、
例えば「2020年に○○、2030年に△△、2040年に××」というような科学技術予測が発表されたりしてるのを見たことがある人もいると思います。
多少のズレは生じるものの、
概ねその未来予想図に沿って科学技術は進歩していると。
(この辺聞きかじりが多くて早速知ったかぶりが発揮されてますがお許し)
しかし人類がインターネットというツールを手に入れ、
また人工知能(AI)も生み出し、
その2つが組み合わさって科学技術の進歩が加速度的に進み、
2045年頃には人工知能(AI)がさらに進んだ人工知能を生み出すようになり、
人類による科学技術の進歩の終焉を迎えるそうです。
つまりそれ以降はAIによる予測不可能な科学技術の進歩が訪れ、
先程の科学技術予測のようなものが立てられない時が来ると。
それこそが技術的特異点、シンギュラリティというものなんだそうです。
しかしながら、
ここ最近我々の業界(つまり教育業界)で言われているシンギュラリティはもっと違う意味で使われてるんじゃないかと思いまして。
それはちょうど1年前にイギリスのオックスフォード大学の人工知能(AI)の研究者が発表して話題になった論文、
同業者の方はご存じの方も多いと思います。
その論文に書かれた内容こそが近頃我々の業界でシンギュラリティという言葉で表されている内容なんじゃないかと思うのです。
その内容とは、
この10年で高確率で機械(コンピュータ)に取って変わられるであろう職業や仕事について。
詳しい内容は私もよく知りませんが、
(ハイ、また知ったかぶり出ましたー)
分かりやすい例で言えばGoogle Carですね。
自動運転で目的地に到着できるというアレです。
もしあの車が普及すればタクシーやバスの運転手などの仕事が消滅してしまいますよね。
アメリカ国内の702業種を徹底調査して、
その職業が消える可能性をはじき出したそうなんです。
その内容がもう衝撃でして、
こんなにも多くの職業が無くなるかもしれないの!?
俺らは大丈夫なの!?
と戦々恐々としてしまったものでした。
そしてもし、
今私達の目の前にいる生徒が「将来の夢はバスの運転手です!」と目を輝かせて言ったとき、
果たして我々は「いやバスの運転手は近い将来無くなるからやめときな。」と言えるのか。
いや言ってもいいのか?
その職業が消えるであろう「近い将来」というもの、
それこそがまさにバスやタクシーの運転手という仕事における技術的特異点(シンギュラリティ)であり、
我々教育業界においてはそれを問題として取り扱う傾向にあるんじゃないかと思ったのです。
実際、
先日参加したセミナーにおいて
「もし今大工になりたいと言っている生徒がいたら、近い将来大工という職業はなくなるからやめときなさい、と私は言う。」
と仰っていた方がいました。
しかし、
本来のシンギュラリティとは決してネガティブな意味だけで使われているワケではありません。
確かに本来のシンギュラリティを問題視して「今から対策を!」とか「むしろ防ぐべきだ!」といった意見もあるようですが、
予測はできなくても少なくとも科学技術の進歩には違いないのです。
そしてここからはそれらに対する私の意見なんですが、
例えば将来運転手という仕事が無くなるにしても、
バス会社やタクシー会社というものが無くなるワケではないと思います。
仮に「バスの運転手になりたい!」と言っている生徒がいたとして、
その子がバスの運転手になってから何歳かの時点で自動運転システムが採用され、
もしかしたらリストラの危機に合うかもしれない。
でも、
そうなる未来を予期して準備して、
「その頃には現場で培った経験を元に経営サイドに入るから大丈夫さ!」
みたいに笑って言える子を育てるのもまた我々の仕事なんじゃないかと。
使い古された言葉でアレですけど、
文部科学省が掲げてた“生きる力”ってヤツですね。
シンギュラリティ上等、
そんなモノに負けない子を育てるのが俺達の教育なんだよ!
と胸を張って言える仕事をしたいなと。
我々みたいな私教育に携わる人間だけでなく、
小学校や中学校のような公教育の先生方も含めて、
全ての教育に携わる大人がそれを目指していけたら何の問題も無いですよね。
科学技術の進歩に対する教育の挑戦って感じがしなくもないですけど、
それくらいの矜持を持って日々この仕事に携わっていきたいと思うのです。
なんだか尻すぼみ感満載な終わり方ですが、
今日のところはこの辺で。
アディオス。