2ヶ月ぶりの更新ですね。
ご機嫌麗しゅう、
WinStarの北浦です。
これだけ更新しないで来たらもう兵庫県公立高校入試が終わるまでは更新せんといたろかなとも思ってましたが、
ちょっと思うところあって書いてみようかなと。
重い腰を上げてみようかなと。
いや色んな人から「北浦先生はホントにお忙しいと思いますが」とか、
「見るたびに痩せていかれる気がするんですが」とか、
「いつも体調が優れない様子ですね」とか、
「死兆星が見えてませんか?(!?)」とか、
色々言われるんですよね。
ボクそんなに死臭が漂ってますかね?
全然そんなことありませんよ?
死兆星なんか見えたことないですよ?
ホントに恵まれた環境で毎日楽しく過ごしています。
そう自分に言い聞かせてるワケではなく、
心からそう思ってるワケです。
ただもちろん、
悩みもあります。
人間関係でも悩みますし、
仕事の内容でも悩みますし、
なんだったら家族のことでも悩みます。
悩みってのは基本的に尽きないもんですよね。
その悩みをどう捉えるか、
例えば自分の視点を「なんでこんなに上手くいかんのやろ」から「どうやったらより上手くいって楽しくなるやろか」って変えるだけで、
毎日の気分も大きく変わるんじゃないかなぁと。
そんな風に思うようにしてるんですね。
近頃の悩みで一番大きいのが、
私の担当する“英語”について。
2020年から義務教育における英語のカリキュラムがガラッと変わるみたいで。
恐らくこれまでの受験英語の先生では対応できなくなるだろうと。
ボクは今までどんなに仕事内容が変わっても、
職業は英語教師と思ってやってきました。
でも今のままでは今後学校教育に全く対応できなくなるのは目に見えてるワケです。
正直英語の話せない英語教師なんか存在意義が無くなると言っても過言ではないんですね。
誤解のないよう言っておきますが、
これはボク達(受験英語を教える人達)にとってみれば死活問題ながら、
日本全体のことを考えると歓迎すべき動きであることは間違いありません。
これまでは“定期テストで点が取れる英語”を教えてきましたが、
残念ながら“将来話せるようになる英語”は教えることができていませんでした。
例えば自己紹介の場において、
「My name is Kitaura Takeshi.」なんて言ってる人は日本人以外に見たことがない。
大体にして日本人も自己紹介するときに「私の名前は北浦たけしです。」なんて言わんですよね。
「どうも、北浦たけしです。」で終わりますよね。
英語でも「I'm Takeshi.Kitaura Takeshi. 」でいいんです。
My name is...とか教えてる外国人おったらそいつニセモノですよ。
エセ外国人ですよ。
ただ単に顔が濃いだけの日本人です。
デニスの植野行雄くんみたいなモンですよ。
あ、知らないですか?
そうですか。
にもかかわらず日本の教科書はず~っとMy name is...って教えてるワケですよ。
アホかと。
でもね、
テストで点を取らせるにはそれを教えないといけないんですね。
自分が英語の勉強をすればする程、
そのことに対する違和感が強まってくるんです。
俺は一体何の先生なんだと自問自答し続けて、
この度ようやく戦後何十年と続けてきた悪しき英語教育が終わるとなると、
今度は食いっぱぐれの危機が訪れるんですよ。
もちろん、
自分なりに答えを出しました。
話せないといけないなら話せるようになるしかない、
教えてて意味が無いと思うなら意味のあることを教えるしかないと。
今ボクは新たに勉強し直しています。
受験英語ではなく英会話を。
そして授業では「北浦の使える英語表現」と銘打って、
試験には出ない生きた会話表現を毎回一つ教えることにしています。
悩みは尽きないもんで、
どうすればいいんだと悩み続けても結局最後はどうにかしないといけないですよね。
これまでどんなに「英会話の勉強せなアカンなぁ」と思っても一切やってこなかったのが、
必要に迫られるとやっちゃうもんなんですよ。
その「必要に迫られた!」と動き出すタイミングを外さないこと、
これこそが気を付けたい一番のポイントなんですよね。
これまでの人生でそのタイミングを外しまくってきたボクだからこそ、
生徒の皆にはしっかり伝えていきたいし、
説得力を持って伝えることができるんじゃないかと思うんです。
これからも一緒に悩みつつ、
一緒に成長していけたらと思う今日この頃です。
ご機嫌麗しゅう、
WinStarの北浦です。
これだけ更新しないで来たらもう兵庫県公立高校入試が終わるまでは更新せんといたろかなとも思ってましたが、
ちょっと思うところあって書いてみようかなと。
重い腰を上げてみようかなと。
いや色んな人から「北浦先生はホントにお忙しいと思いますが」とか、
「見るたびに痩せていかれる気がするんですが」とか、
「いつも体調が優れない様子ですね」とか、
「死兆星が見えてませんか?(!?)」とか、
色々言われるんですよね。
ボクそんなに死臭が漂ってますかね?
全然そんなことありませんよ?
死兆星なんか見えたことないですよ?
ホントに恵まれた環境で毎日楽しく過ごしています。
そう自分に言い聞かせてるワケではなく、
心からそう思ってるワケです。
ただもちろん、
悩みもあります。
人間関係でも悩みますし、
仕事の内容でも悩みますし、
なんだったら家族のことでも悩みます。
悩みってのは基本的に尽きないもんですよね。
その悩みをどう捉えるか、
例えば自分の視点を「なんでこんなに上手くいかんのやろ」から「どうやったらより上手くいって楽しくなるやろか」って変えるだけで、
毎日の気分も大きく変わるんじゃないかなぁと。
そんな風に思うようにしてるんですね。
近頃の悩みで一番大きいのが、
私の担当する“英語”について。
2020年から義務教育における英語のカリキュラムがガラッと変わるみたいで。
恐らくこれまでの受験英語の先生では対応できなくなるだろうと。
ボクは今までどんなに仕事内容が変わっても、
職業は英語教師と思ってやってきました。
でも今のままでは今後学校教育に全く対応できなくなるのは目に見えてるワケです。
正直英語の話せない英語教師なんか存在意義が無くなると言っても過言ではないんですね。
誤解のないよう言っておきますが、
これはボク達(受験英語を教える人達)にとってみれば死活問題ながら、
日本全体のことを考えると歓迎すべき動きであることは間違いありません。
これまでは“定期テストで点が取れる英語”を教えてきましたが、
残念ながら“将来話せるようになる英語”は教えることができていませんでした。
例えば自己紹介の場において、
「My name is Kitaura Takeshi.」なんて言ってる人は日本人以外に見たことがない。
大体にして日本人も自己紹介するときに「私の名前は北浦たけしです。」なんて言わんですよね。
「どうも、北浦たけしです。」で終わりますよね。
英語でも「I'm Takeshi.Kitaura Takeshi. 」でいいんです。
My name is...とか教えてる外国人おったらそいつニセモノですよ。
エセ外国人ですよ。
ただ単に顔が濃いだけの日本人です。
デニスの植野行雄くんみたいなモンですよ。
あ、知らないですか?
そうですか。
にもかかわらず日本の教科書はず~っとMy name is...って教えてるワケですよ。
アホかと。
でもね、
テストで点を取らせるにはそれを教えないといけないんですね。
自分が英語の勉強をすればする程、
そのことに対する違和感が強まってくるんです。
俺は一体何の先生なんだと自問自答し続けて、
この度ようやく戦後何十年と続けてきた悪しき英語教育が終わるとなると、
今度は食いっぱぐれの危機が訪れるんですよ。
もちろん、
自分なりに答えを出しました。
話せないといけないなら話せるようになるしかない、
教えてて意味が無いと思うなら意味のあることを教えるしかないと。
今ボクは新たに勉強し直しています。
受験英語ではなく英会話を。
そして授業では「北浦の使える英語表現」と銘打って、
試験には出ない生きた会話表現を毎回一つ教えることにしています。
悩みは尽きないもんで、
どうすればいいんだと悩み続けても結局最後はどうにかしないといけないですよね。
これまでどんなに「英会話の勉強せなアカンなぁ」と思っても一切やってこなかったのが、
必要に迫られるとやっちゃうもんなんですよ。
その「必要に迫られた!」と動き出すタイミングを外さないこと、
これこそが気を付けたい一番のポイントなんですよね。
これまでの人生でそのタイミングを外しまくってきたボクだからこそ、
生徒の皆にはしっかり伝えていきたいし、
説得力を持って伝えることができるんじゃないかと思うんです。
これからも一緒に悩みつつ、
一緒に成長していけたらと思う今日この頃です。