いやーいやいや。

なんともはや。


ふぅ。




六甲道校の北浦です。

皆さんご機嫌麗しゅう。



いやね、

受験生の皆さんには誠に申し訳ないんですけどね。

実は日曜日にライブに行ってきたんですよ。

そのライブの余韻がいまだ残ってましてね。

興奮冷めやらずと言いますか何と言いますか…

 

 

え?

誰のライブに行ったかって??

えー?聞きたいのー?

どうしよっかなー、

んー。

言っちゃう!

 

 

なんとまさかの平松愛理さんのライブに行ってきたんですよ奥さん!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アレ?

知らない?

 

 

 

 

そうか、

君たちはもはやあの平松愛理(ひらまつえり)さんを知らない年代なんだね。

戦争を知らない子供たちか…


いや戦争は俺も知らんけども。




平松愛理さんってのはボクが小学校の高学年くらいの頃にデビューした歌手さんで(因みにボクは今32歳)、

中学生の頃には好きすぎて部屋にポスター貼りたくってたくらいファンでした。

代表曲は『部屋とワイシャツと私』って曲ですが、

きっと皆さんの親御さんなんかは知ってると思います。

日本を代表する女性シンガーソングライターです。



その平松愛理さんがなんと…

六甲道校の事務さんの従姉(いとこ)だったとは…



でね、

このたびライブに誘ってくれたんですよ。

その事務さんが。


そりゃーもう、

行くに決まってるでしょ?でしょ?

バヤイでしょ??(←ヤバイのこと)


で、

バヤイバヤイ言いながら行ってきたワケですね。


そしたらこれがもう楽しすぎて楽しすぎて、

終始笑いと涙の絶えない素晴らしいライブだったんです。

ほんでまた終わってから握手とかしてくれてさ…

また行きたいなぁ…

ハァ…




で、

その平松愛理さん。

神戸市の須磨区出身なんですね。


17年前の阪神淡路大震災でご実家が被災し、

以降神戸に住み続けてる人さえも忘れそうになっている阪神淡路大震災を風化させまいと、

15年間に渡ってチャリティーコンサート(なんと収益の全額を震災遺児の施設へ寄付!!)を続けてきたそうです。


そしてもちろん、

昨年の東日本大震災でも。


震災後には神戸市須磨区の花であるコスモスの種をたくさん用意し、

東北の小学校に行って向こうの子供たちと一緒に植えてきたそうです。

(その後とてもたくさんのコスモスが咲いたそうで、今度は東北の子供たちからそのコスモスの種が感謝の手紙とともにいっぱい送ってきたそうです。涙)



その話を聞いてスゴいと思ったのが

誰もが今すぐに必要と思われる物資・お金の支援を考えていた中で、

なんと花の種を植えに行ったということ。

 

フツーそんなん思いつきます?

ほんでまた子供たちもコスモス咲いてメッチャ喜ぶワケですよ。

咲いたコスモスの種をみんなで拾ってまた送ってきてくれたりして、

子供らが嬉しそうに種拾ってる姿が目に浮かびます。

 

 

そしてもう一つスゴいと思ったのは阪神淡路大震災が起こって17年も経つのに、

今でも毎年1月17日にチャリティーコンサートを続けているということ。

(今年からはそのコンサートの収益を東北の津波遺児の施設にも寄付していくとのことでした)



震災直後は日本中から支援や寄付が集まり、

日本中の人たちが「何か自分にできることはないか?」と常々思っていたと思います。


でも、

震災から1年と半年が経って、

今でも継続して募金し続けてる人ってどれだけいるんだろう。


いや今はまだまだいるかもしれない、

でも5年後、

10年後まで続けられる人ってどれだけいるんだろう。



ん?

その頃にはもう支援なんて必要なくなってる??

 

いやいやいや、

生まれたばかりで両親を亡くした子は10年後はまだ10歳です。

5歳で両親を亡くしてしまった子は10年後は15歳、

中3の受験生の皆さんと同じくらいの年です。

そう考えると、

本当の意味で支援が必要になってくるのはまだまだこれからなんだと思います。



皆が飽きても忘れても、

助けを求める人がいる以上ずっと続けていく。

その底なしの優しさ。



自分なんてまだまだだと気付かされたとともに、

自分も平松さんのように本当の意味で優しい人間になりたいなぁと心から思った一日でした。

 

 

 

いやでもなんつーか、

自分が知らんだけで他にもまだまだいっぱい優しい人達がおるんやろなぁ…

俺も負けてられへん。

これからもっと頑張ります。

 

皆も一緒に頑張って優しい人になろうね。

 

 

 

 

 

でも受験生はまずは勉強頑張ってね。