自分は、福島大学出身である。
うちは物凄く貧乏で、大学は国立大学という選択肢しかなかった。
教師を目指していた自分は、学芸大学の教育学部を第一志望としていた。
しかし前期は不合格で、後期試験で福島大学に入学した。
入学した当初は、どうしても学芸大学に行きたくて、もう一度受験をしなおそうと思っていたくらいだった。
その福島大学で「拓也」という男と出逢った。
本当に自分は福島大学でよかった・・・今でもそう強く思っている。
この男と出逢うことができたから。
同じ「志」を大学時代のときからもっていた。
子どもたちにとって、最高の教師になる
お互いすぐに塾講師のアルバイトをはじめた。
2人が休みの日には、南福島の駅前の飲み屋で午後5時ごろから夜中まで熱く語り合った。
「どうしたら、もっと子どもたちに伝わるかな!?」
「授業って本当に難しいよな!」
こんなに気があう友人は他にはいないかもしれない。
学生時代のときに、2人で学習塾を開こう!って。
そして物件探しまで話が進んだ。
その後、色々あり、これは実現はしなかった。
卒業後、自分は実家の東京へ、拓也は実家の南相馬へ戻った。
拓也は、地元の南相馬で学習塾をつくり、最高の教師として何年のも間、地元の子どもたちに愛され続けていた。
そうあの日までは。
あの地震の日。
自分は、一番に拓也に電話をした。何度電話をしてもつながらない。
「なんで、つながらねーーーんだよ!!」
拓也には2人の子どもがいる。拓也の嫁さんも同じ大学の仲間だ。
最悪な事態が頭をよぎる。
生きているよな!生きているよな!って。
ある時、一本の電話が・・・・
「拓也からだ!!!」
「拓也生きてたか!!家族は無事か??」
どんなときでも元気いっぱいの拓也だが、死にそうな声だった。こんな拓也の声は初めてだった。
「智さん、家族みんな無事です。」
本当に良かった。涙が出た。
その後、拓也は妹が住む前橋に避難してきた。
もう地元に戻れるかは分からない。
いや、たぶん無理だと思う。原発があるから。
でも拓也大丈夫!俺がついている。
子どもたちにとっ、て最高の教師になる
何年たっても、変わらない「志」
ともに歩もう。 ともに進もう。
地震という過去は変えられないが、未来は変えられる。
星野