こんばんは! 火曜日担当 ちはらです☆
昨日、桜の開花が宣言されたということですが、私の周りには桜の木がないのか、咲いていないのか、または私が気がついかないだけか、残念ながらまだお目にかかっていません・・・・
さて、その桜に関する詩的なお話を一つ。
梶井基次郎 という小説家をしっているでしょうか。
近代文学を代表する人物として有名ですから、名前くらいは聞いたことあるかもしれません。
代表作は 「檸檬」。 教科書にものったりしていますから読んだことがある人もいるんじゃないでしょうか。
さて、その梶井基次郎の作品の一つに「櫻(さくら)の木の下には」というものがあります。
咲くのはまだかまだかと待っていたら、3分咲き、5分咲きになり、満開になったと思えばあっという間に風にのって舞い散ってしまう・・・・・
その儚い美しさで昔から私たちの心を魅了してきました。
日本人の大好きな花です。
しかし、この作品の語り手はその美しさに疑問を持つわけです。なんでこんなにまで美しいのかって。
そして、桜の木の下には、実は死体が埋まっていて、それを糧として桜の美しさは成り立っているのだ、そんな風に考えます。
好き嫌いはあるでしょうし、解釈も人によって色々とあると思います。
そもそも暖かくて素敵な春という季節に読む詩、小説としては、この手のものは不適切ともいえます。
のんびりしていたいこの季節に、なにもこんなややグロテスクな話題を出さなくても・・・・・と思った人もいるでしょ!?
しかし、どこか説得力があるように感じるのは私だけでしょうか??
私たちの生活も、こうやって認めたくない負の部分を押し隠しながら成り立っているのかもしれません。
便利な生活、平和な世の中、、、、
時には日常の物事の裏側について考えてみるのも悪くない。
これからますますみなさん勉強に励んでくれることと思います。ゆっくり考え事をする暇も、美しいもの、感動的なものを味わう時間はどんどんなくなっていくでしょう。
ただ、
「数学や英語はもちろん皆さんの大事な仕事ですが、
芸術や文学を愛でる心も忘れない大人になってください。」