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しかし、厚着の時期には、湿布だらけの肌も人目につかなくなる。ここに問題が生じます。
①エレベーターに乗ったとき。
他に客がいなくて階数ボタンを頼めず、痛みをこらえてボタンを押す。←激痛発動
すると、若い女性の二人連れが、するりと乗ってきます。
続いて乗り込もうと、向こうから急いで歩いてくる人の姿が見えたけれど、
私は操作パネルの前から動くことも、開ボタンを押すこともできず、ドアはそのまま閉まってしまう。
「あーあ、かわいそう!」
片方の女性が私を睨みながら、聞こえよがしに友達に話しかけます。
②通院のバスで。
二人席で、荷物を隣の席において座っている私。次第に混んできて、席を詰めたくても、私は動くことができません。
すると、後ろの席から子どもの大きな声が聞こえてきます。
「立っている人がいるのにねー!」
③優先席で。
座っている私を、ひたすら睨み続ける老人。
外部から見えない病気を抱えていると、こんな状況が山とあります。
健康な時ならば、まっさきに相手のために行動するHSPなのに、今はしたくてもできない。
私を非難する人々は、私の事情を知りません。
「病気で、身体が痛くてボタンが押せないんです」
「身体が痛くて、動くのも、荷物を膝におくのもきついんです。ごめんなさい。」
「あー痛たたた…」
すぐに、素直に、そう言えればよかったのです。一般にこういう時オバちゃんは強い
しかし、人に甘えられない私は、自分の苦しい状況を説明するのを、まるで言い訳をしているようにいたたまれなく感じてしまう。AC母とそっくり
見知らぬ他人や、誰が発したかわからない言葉に対して、自分の病気や負の状況を説明する勇気とパワーは、
痛みと孤独で疲弊しきっていた私には、残っていませんでした。
それくらいなら、自分が死ぬ気で頑張る方がぜんぜん楽…
でもね、
こんな頑なな思考と行動で、
病気が良くなるはずないんですよね。
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