それぞれの秋・・・ | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは

こんばんわ

おはようございます。(_ _)

 

本日はお日柄も佳く

どちら様も月曜日ですか?

我が輩も月曜日です。

 

ゆっくり休めた人も

そうでなかった人も

今日からまた仕事・・・

 

心も体も

スイッチ切り替わってますか?('◇')

 

「カチッ!・・・」

 

いや

もしスイッチが切り替わってない人がいたら

と、思って

切り替えてあげました。

 

いらん世話てか・・・(¯∇¯)

 

(この時期でもまだバッタがいた・・)

 

そんな我が輩ごときは

このところ

眠れない日々が続いております。(–_–)

 

布団の中で何時間もモンモンと

胸のあたりがこう

ズキズキと・・・

 

恋の病じゃろか・・・(¯L¯)

(そんなパナナ、心臓発作の前ぶれじゃね)

 

若い頃は

寝る間も惜しんで仕事して

「今夜は徹夜だぜい!」

などと粋がっておりましたが

 

今は

起きたくて起きているのではなく

寝たくても寝れないのです。

 

むははは・・・・

 

(枝を離れた枯れ葉はもう二度と戻れない・・・)

 

えー・・と

何の話でしたかね

 

あ、そうそう・・・

 

あれですよ。

最近、なぜだか急に

仕事がわんさかさっさホイサッサ♫ 

 

報酬もグ〜〜ンと上げてくれて

(こちらから要求したわけではない)

 

これはあれですよ。

物価高の影響もありますが

大きな理由は

日本潰しキシダ政権の

悪名高き「インボイス制度」

対策・・ですかね

 

我が輩は登録しなかったので

発注側が消費税を負担しないといけない

そこで日立・・

支払額から天引きというカタチにした

ので、その分、上げてくれた

そういういうわけでございます。

 

源泉徴収と合わせると

問答無用で20%引かれる

その残りが手取り・・・

ってことですから

これは大きいですよ。(¯_¯)b

 

いずれにしましても

ありがたや ありがたや♫ 

と、思わなバチがあたる

 

はい

眠れないのは

ただ単に忙しいから・・

というお話でした。

 

(秋ちゃんが来た・・)

 

そんなこんなで・・

 

もういくつ寝ると

秋・・・ですね

 

いや、すでに秋だろう・・!('□')/

という人もイルカ・・

は、サラダの国からきた娘

 

ドウドウ・・・\(- - )

 

さて・・・

 

夏も過ぎ

シルバーウィークも過ぎ

どこにいるのか、ケイン・コスギ・・

今朝の味噌汁は味濃すぎ・・

 

スポーツの秋

芸術の秋

読書の秋

八代亜紀・・・

 

いろいろございますが

なんといっても

食欲の秋・・・がええな。

 

まあ

秋だからといって

何か特別なものを食う

ってわけでもないですが・・

 

夏だろうが冬だろうが

食ってるものは同じですよ

 

で、今日の「どらメシ」

(イオンで買ったカツ重弁当と手製の塩焼きそば)

 

まあ・・

秋・・とはいいましても

こちら南国宮崎は

朝晩はちょっと冷えますが

まだまだ昼間は暑いのであります。

 

10月いっぱいは

半袖Tシャツでいけるじゃろ・・(^^)v 

 

ただ

ずい分と日が短くなりました。

5cmくらいに・・・

 

違うか・・・(–_–)

 

秋の日は鶴瓶落とし

ということわざもあるくらいで

 

え・・?

ああ・・

鶴瓶を落としちゃいけねえ

オチは落語だけで

 

落とすなら

今度の選挙で

日本を没落させるアホ議員どもを全員落としましょう。

 

しかし、今の時代

何が起きても不思議ではないので

何が落ちるかわからん!

油断できませぬ・・。

 

あ、ども・・

暑さ寒さもなんの園まり

「どら」でござる。('_')b

 

(あっしにゃ関わりのねえこって・・・)

 

先日・・・

散歩をしていたら

 

一歩でも三歩

どら散歩・・・。

 

それ!

ワンツー♫ワンツー♫

 

三歩進んで二歩下がる・・

それでは全然前に進まんではないか

 

それはともかく・・

彼岸花が咲いてました。

 

(白い彼岸花/延岡植物園)

 

「彼岸花」・・・。

 

饅頭はしゃげてないが

「曼珠沙華」とも言い・・

 

あるいは

死人花(しびとばな)

地獄花(じごくばな)

幽霊花(ゆうれいばな)

剃刀花(かみそりばな)

狐花(きつねばな)

捨子花(すてごばな)

毒花(どくばな)

痺れ花(しびればな)

天蓋花(てんがいばな)

狐の松明(きつねのたいまつ)

狐花(きつねばな)

 

と、やたら別名が多いし

しかも、どれもがおどろおどろしいのでござる。

 

まあ

あの赤い色と姿形は

どこかケバいし

火が燃えているようにも見える・・

癒し系でないことは確かです。(¯□¯)

 

それでも、花言葉は

・情熱

・独立

・再開

と、なかなか良いではござらんか

 

ただ、一方で

・あきらめ

・悲しい思い出

とも言われてますが・・・(–_–)

 

白い彼岸花は

・あなた一人を想う

・また会う日を楽しみに

だそうな・・・。

 

(影法師・・)

 

おっと・・・

もうひとつ

 

彼岸花は

「葉見ず花見ず」とも言われますが

彼岸花は

普通の花とは逆に

先に花が咲き

後から葉っぱが伸びる・・

というのが特徴で

葉と花を一緒に見ることがないので

そう呼ばれるようになった

と、申されておる。

 

秋のある日の朝焼け・・・

 

俺が昔、朝焼けだった頃

親父は夕焼けで

おふくろが胸やけだったかなぁ・・

妹がしもやけで

弟が丸焼けだった・・。

 

わっがるかな

わっがねだろな・・・

 

イェイっ♫

 

 

防虫缶あり・・・

もとい

忙中閑あり

 

あまりの猛暑と

土砂降り雨が交互に続いていたので

なかなかできなかった雑草取り・・

 

先日、ようやく

すきま時間を見つけて

できました。

 

(倉庫に埋もれていたママチャリ。サビだらけでもう乗れない)

 

最近はあまり聞かれなくなりましたが

昔、昭和の頃は

5月末から6月初旬の初夏の候を

「麦の秋」「麦秋(ばくしゅう・むぎあき)」

と呼んでいた頃があったりなんかして・・・

 

なぜ初夏なのに「秋」なのか?

それは何故?かと尋ねたら

 

秋「あき」という言葉は

もともと穀物などが熟する時期を指す言葉で

初夏であっても

麦が熟する時だから「麦の秋」・・

と呼んだそうな。

 

これに対して

米が実る9〜10月を

「米あき」と呼んでおったのでございます。

 

ちなみに

「竹の秋」・・・

という言葉もありましたが

これは竹の葉が黄ばむ晩春をいいます。

 

一方・・

仲秋は若竹が鮮やかな緑に茂るので

「竹の春」と呼んだり・・・

 

逆に・・

「麦の春」という言葉はありませぬが

麦蒔きする11月のころの暖かい陽気を

「小春日和」と呼んでます。

 

はい

秋なのに春

なのでございます。

 

(まだ終わってないけど今日はこれくらいで勘弁してやろう)

 

そんなこんなで・・・

 

春夏秋冬・・

自然の営みにはなんの邪心も下心もなく

ただあるがままに

素直に物事が推移しておるのでございます。

 

だからこそ人々は

素直な心を「自然」から学び

「ナチュラルに・・」、あるいは「自然のままに」

という言葉を使うのじゃろ

 

ちなみに

我が輩の大好きなビールは

漢字で書くと「麦酒」じゃ

むはは・・・

 

そうそう

昔の日本映画で

小津安二郎監督作品に

「麦秋」(1951年/松竹)というのがございました。

 

古都北鎌倉に見る

しっとりとした日本の情景

 

こういう日本の原風景は

いつまでも残しておきたいのう・・・

 

では、ここで一曲。

 

「それぞれの秋」(1980)

歌:アリス/作詞・作曲:谷村新司

 

また一人・・・

昭和を彩った巨星が旅立ちました。

 

谷村新司(ちんぺい)さん(享年74)

故人のご冥福をお祈りします。

 

(PHOTO by 東芝EMI)

 

実は

昨年の9月頃・・

共通の知人を通じて

ちんぺいさんとキンちゃんが

プライベーートで宮崎に来る

という話があって

その時にタイミングが合えば会えるかも知れない・・

という話だったのですが

ちんぺいさんが体調不良で来れなくなった

という連絡が・・

 

それから症状が悪化

ついに帰らぬ人となってしまったのですね。

 

ちんぺいさんは

我が輩より一つ年上ですが

同じ時代を生きた者として

常にリスペクトしていました。

 

返す返すも残念です。

 

(すり減るほどに聴いたLP「武道館ライブ栄光への脱出」)

 

大阪の人気グループ

「ロック・キャンディーズ」のリーダーだったちんぺいさんは

アメリカツアーで東京の「ブラウン・ライス」のドラマー

キンちゃん(矢沢透)と知り合い意気投合

一緒にバンドやろうということになり

1970年のことでした。

 

帰国してから早速、かねてより注目していた

神戸のアマチュアバンド

「フーリッシュ・ブラザーフッド」の

堀内孝雄(ベーヤン)を勧誘・・・

 

1971年12月25日

大阪帝国ホテルで「アリス」結成。

 

キンちゃんは諸事情で合流が遅れましたが

翌1972年3月5日。

「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー。

5月5日に奈良でのライブでキンちゃんが正式加入。

3人組「アリス」の活動開始です。

 

しかし・・

ご多分にもれずなかなか売れない日々・・

 

ちんぺいさんとベーやんは

それぞれフォークギター抱えて

キンちゃんはドラムセット持ち歩けないので

コンガを1個抱えて

デパートの屋上や地方のイベント会場

ヒーローショーのゲストなどに出演していました。

 

当時

東京の小さな広告代理店に勤めていた我が輩は

そういったイベントの販促物

フライヤーやのぼり、看板などの

デザイナー兼設置担当で・・

何度か現場で一緒になったりするうちに

時々、会話をするようになったのでございます。

(もちろん、向こうは覚えてないだろうけど)

 

(ロック・キャンディーズ時代のちんぺいさん)

 

そんなある日・・

 

デパートの屋上の催し物に

出演した時の事・・・

最後のプログラムがアリスのショーで

(とは言っても与えられた時間わずか15分)

 

しかも

ステージはなく

ミカン箱のようなコンテナが4個並べてあるだけ

PAもない音響機器もない

場内放送用のアンプとスピーカーだけで・・

(まあ、当時はどこもそれが当たり前だったけど)

 

しかも強風が吹き荒れ

お客さんはほとんど屋内に・・

客席にはわずか一家族4人だけ

そのうちの2人は子供・・・。

 

もう悲惨な状況でしたね。

それでも

アリスの3人はいつもと変わらず

一生懸命歌ったのです。

 

我が輩はすでに

プロをあきらめてましたが

これでもミュージシャンのはしくれ

気持ちは痛いほどわかったので

スタッフ席でボロボロ泣いたです。

 

(デビュー当時/PHOTO by 明星)

 

石の上にも苦節三年・・・

(アマチュア時代を含めると6年)

 

そんな苦難な日々も

ようやく報われる時が・・

 

1975年9月5日発売の

「今はもうだれも」が大ヒット!

(オリコン最上位11位)

 

ただ・・

この曲はオリジナルではなく

同じく関西出身の三人組

「ウッディ・ウー」のカバーでした。

(1969年7月10日発売)

 

原曲はアコースティックだけの

素朴なフォークソングといった感じですが

アリスバージョンは

キンちゃんのアレンジがキラリと光る

ミディアムテンポのフォークロック

 

サーチャーズの「ピンと針」風のイントロから

力強く伸びのあるツイン・ボーカル

すぐ後にブームとなる

ニュー・ミュージックの先駆的ナンバーとなったのです。

 

(1978年武道館ライブ/PHOTO by 東芝EMI)

 

一躍、ブレイクしたアリスは

ラジオのゲスト出演も増えて

 

局名も番組名も忘れましたが

ある番組でDJが

「アリス」がゲストと聞いて

てっきり

キャンディーズのような

女の子三人組を想像していたら

むさ苦しい男が三人

スタジオにドヤドヤと入ってきて

びっくりした・・・。

 

というようなエピソードは

酒の席で何回か聞きました。(笑)

 

まあ

もっとも

「アリス」の前は「ロック・キャンディーズ」

だったんだけど・・

というオチがついたりして・・。

 

ちなみに

「アリス」というバンド名は

アメリカツアーの時に

たまたま入ったレストランの店名です。

 

まだまだ話はつきませんが

ちょうど時間となりました。

今日はこれまで

 

気が向いたら

またいつの日か続きがある・・かも

 

では、最後に

もう一曲。

 

「砂の道」(1975)

歌:アリス/作詞・作曲:谷村新司

2枚目のソロアルバム「海猫」(1975年12月20日)

 

歩いても 歩いても 歩いても

振りむかず 振りむかず 振りむかず

 

休むことさへ 出来ない人生

負けない 負けない 誰れにも負けない

 

それしか出来ない 私の生き様

 

という歌詞の一節が

心に突き刺さったまま

ここまで生きてきたかな・・。

 

(「海猫」レコードジャケット)

 

十代の頃・・・

わき毛のたたり・・・

もとい

若気の至りってやつで

散々、間違いを起こし、失敗もして

早く大人になりたい、自立したいと願い

 

20歳で成人して・・

だが、いざ大人になってみると

色々としがらみが増え

楽しかった十代の頃に戻りたいと思ったり・・・

 

思えば・・・

20歳から25歳の間くらいが

いろんな事に気づき

取捨選択し

何かを決断しなければいけない

近未来のキャリアが決まって行く時期

かな・・・。

 

あれから

喜びも悲しみも幾星霜・・・

 

大人になり過ぎて

GGになってしまったが

それでもまだ

人生、旅の途中・・。

 

ただ・・

GGになってから後は

ほとんど覚えてない・・・。 (–_–)

 

まあ

いつ死んでもおかしくない歳やし

あちこちガタがきてるし・・

 

(どうせ最後は一人・・・)

 

というわけでございますから

 

「最後の言葉」ってのは

結構、大事だったりします。

 

遺言とか

そんな大げさなものでなくても

 

意識も朦朧として

正常な思考力も薄れ

ひょっとしたら

ろれつも回ってないかも知れない・・(–_–;)

 

そんな時に

うかつに何かをしゃべろうもんなら

残された遺族や関係者に

余計な迷惑をかけたりする

なんてこともあったりなかったり・・でござるよ・・。

 

「ん?今なんと言ったんだ・・」

 

「もしかして遺言か・・?」

 

「財産の話じゃね・・」

 

「いや、隠し子の事かも・・」

 

そりゃもう大騒ぎさ・・(¯∇¯)

 

こういう時は

せいぜい

 

「背中がかゆい・・」とか

「のどが渇いた・・」とか

「うどんが食べたい・・」とか

 

それくらいがよいのでは・・?

 

ですからね

もし・・・

とても大事な事を言い残したいのなら

まだちゃんとしやべれるうちに

話しておきましょう。

 

では、どちら様も

今週も元気に過ごしましょう。(^ー゜)b

 

by どら

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