延岡七万石城下町・・♫ | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは
こんばんわ
おはようございます。(_ _)

どちら様も
ご機嫌よろしゅうに・・

今日は月曜日・・
という人もいるかと思いますが
(みんなだよ!)☆\(- - )
新しい週の始まりはじまりぃ〜

しかし、なんでございますね

春・・かと思えば
また寒くなったり
桜が咲くのか・・と思えば
雨が降ったり・・・(´`)

そんな
なかなか素直になれない
春ちゃんではありますが

ふと・・・我が家の
猫のひたいよりも小さい庭に目をやりますと
いろんな花が咲いてました。(^^)v


(花の知識はないので名前はわからん・・)

雑草もいっぱい生えてます。(´`;)

「雑草のように逞しく・・・」
ってのはいい言葉ですが
雑草のようにウザいのも困る・・

我が家の雑草は
逞しくなくてもいいです。('□')

それにしても・・・
雑草の繁殖力ってスゴイですね。

我が輩の繁殖力は・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、そんなとこです。 (´`;)
(なんやねん・・)(- - )

あ、ども・・・
一寸の虫にも亀の子たわし
「どら」でござる。('_')b


(猫ハウスはぽかぽか・・・)

さて・・・

今日は「城の日」
だそうな。

わが街、延岡にも
城はもうありませぬが
城跡はあるでござるよ。(^^)b

今は公園になっていて
市民の憩いの場でもあり
災害時の避難場所でもあります。

毎年、この時期になると
城内の通路に沿って
約300本の桜が咲き誇り
大勢の花見客で賑わうはずが・・・

今年はCウィルスの影響で
閑散としてござる・・。 (`ー´)


(通路を覆う桜/延岡城趾公園)

延岡400年の歴史
七万石の城下町・・・。

延岡城は
慶長8年(1603)
時の藩主、高橋元種によって増改築。
当時の名前は「県(あがた)城」「亀井城」

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)
アメリカ軍による大空襲によって
残っていた建造物は焼失。
その後、一度も再建されていません。

現在は
「千人殺し」と呼ばれる
高さ22mの石垣が残るだけですが
歴史的にも貴重な史跡となっています。



では、今日の一曲。

「私の城下町」(1971)
歌:小柳ルミ子/作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃


そんな城山を
ちょっとご案内。


[大手門]
北口の登城門である「北大手門」。
二の丸への入り口になります。
1993年(平成5年)に復元されましたが
我が輩もプロジェクトに関わった
というプチ自慢・・・(˘_˘)b


「千人殺しの石垣」
敵が攻めてきた時
礎石をはずすと全てが崩れ落ち
千人の敵を倒すことができる・・といわれた
高さ22mの迫力ある石垣。
二の丸広場にあります。


[内藤政挙公像]
本丸跡地に立つ内藤政挙公の像。
延岡を治めた内藤家16代目藩主。
明治維新で藩が廃止され
延岡藩最後のお殿様となりました。


[鐘撞堂]
なつかしき城山の鐘
鳴りいでぬをさなかりし日
聞きしごとくに


日本を代表する歌人
若山牧水も詠んだ「城山の鐘」。
城山の最高地点にあり
明治11年から
歴代の鐘守の手によって
時を告げてきました。


[後藤勇吉の碑]
延岡出身の飛行士。
初の日本一周飛行に成功し
空の先駆者と呼ばれています。


「ヤブツバキ群」
現在、108種、3,300本のヤブツバキが自生し
「日本三大ヤブツバキ群」と呼ばれています。
延岡城跡公園の「ヤブツバキ」の特徴は
紅・白・ピンク・絞り・覆輪と色が揃っており
貴重な品種として学術研究が続けられています。


(城山より市役所を望む)

ところで・・・

「延岡」は
夏目漱石の小説「坊ちゃん」に
ちょこっと登場するでござるが

しかし・・・

日向の延岡とはなんのことだ
おれは一か月経たないうちに
もう帰りたくなった。
延岡といえば、山の中も山の中
たいへんな山の中だ。
一日馬車へ乗って、宮崎へ行って
宮崎からまた一日
車へ乗らなくては着けないそうだ。
名前を聞いても、開けた所とは思えない。
猿と人とが半々に住んでるような気がする。

という一節がござってな

何を無礼な!
延岡の悪口かよ!

まあ
大体当たってるが・・(_ _;) 

しかし
いくら明治時代だからって
猿と人とが半々・・ってこたあねえよ!(`ヘ´)



延岡に鉄道が通ったのは
大正11年(1922年)。
なので
漱石が松山にいた時から26年後やし

なにしろ
高速道路が全線開通したのが3年前・・。(–_–)
それまでずーっと・・何十年もの間。
日本一の陸の孤島(市としては)
と、言われ続けたし・・。

まあ、しかし
だからといって
それを、他人に言われたくはないっす・・・(`_´)

ただ・・・
メイン舞台の四国松山でさえ
あまり、良くは書かれてないのでございます。

そのわりには
松山では漱石は尊敬されてるようですが・・



延岡の悪口といえば

昔むかし・・・
若い頃のタモリが
あのフジの昼の名物番組で

「延岡ってところは駅前に何も無くてね
名前の通り、ノベー・・っとしてるんだよ
ワハハハハハ・・・」

と、生放送で
「延岡」をコケにした事があって
全国放送やしなぁ
さすがにあの時は
カチンときたでござる。 (- -*) 

歳取ったタモリは最近
さも文化人のような顔して
某NHKに出たりしていますが
過去の舌禍事件を
言った方は忘れていると思いますが
言われた方は忘れないよ。(¯_¯)b


(城山の桜・・)

それはともかく・・・

そもそも「延岡」は
ヨイショ正しい・・・。

もとい

由緒正しい地なのでござる。 (`ヘ´)

延岡の北、大分との境に
「可愛岳(えのたけ)」(かわいだけとも言う)
という山がありますが


(冠雪した可愛岳/1月撮影)

可愛岳は標高727m。
山岳信仰の山として
行縢山や高千穂の祖母山とともに
敬われていたこの山は
古代には「えおか」と呼ばれ
天孫降臨の尊の御陵の名。

ふもとの旧長井村俵野門に
宮内庁の「御陵伝承地」
つまり
天皇家の先祖の墓があるのでございます。


(天皇家御陵伝承地)

「えおか」は「延岡」に通ず
という事で
延岡藩初代藩主・有馬直純の長男
第二代藩主、有馬康純は城の修築にあたり
町名を「縣(あがた)」から
由緒ある「延岡」に名称変更しました。

バカにすると
逆に恥かきますよ。(゜_゜)

そんな、何もない街でも
我が輩にとっては
大事な故郷でござる。

では、どちら様も
故郷を大切に・・・。

■ひと口メモ

我が家に格子戸はなかったけれど
見上げる夕焼けの空に
城山の鐘が鳴り響いていたあの日

好きだとも言えず
東京へ行ってしまったあの娘も
今はもうお婆ちゃんだろう・・
同い年やから・・・(¯_¯)

まだ八重歯が可愛かった
小柳ルミ子のデビュー曲。
「わたしの城下町」は
1971年4月25日発売。

オリコンチャートで12週連続1位。
この記録は女性ソロ歌手としては
現在でも破られていない。

by どら