がんばれ!若大将! | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは
こんばんわ
おはようございます。(_ _)

ポカポカ陽気のある晴れた火曜日。
どちら様もお元気で波乗り・・

人生楽ありゃ
苦もある、渋もあるさ・・

人間、生きてりゃ
いろんなことがあります。
山あり谷ありモハメド・アリ・・。

ひとつ片付けば
またひとつ・・・

よくもまあ・・
次から次へと
無理難題が起きるね。

それが人生・・・。

負けそうになる
倒れそうになる
先が見えなくなる・・・。

でも
負けるな!(`ヘ´)

我輩もな
今年になってから不運続きで
それでも、老体にムチ打って
(エムではござらん・・・)
がむばっております。ハイ・・。(¯∇¯)

あ、ども・・
雨降って真田丸
「どら」でござる。('_')b


(まあ・・がんばれ・・)

不運といえば・・・

我が輩が最も敬愛する
若大将、加山雄三さんのクルーザー
あの「光進丸」が燃えてしまいました。(´`)

ライブツアーから帰ったばかりの羽田空港で
緊急記者会見に応じていましたが
かなり落ち込んでいたご様子。

そりゃそうでしょう。
「光進丸は俺の分身・・・」
と、ことあるごとに公言していた存在。
加山さんの生きてきた証
と、言っても過言ではない船です。
その心境はいかばかりでありましょうか・・


(加山雄三オフィシャルHPより)

我が輩も何度か行きましたが
[光進丸]が停泊していた
西伊豆町の安良里港は人里離れた入江で
周囲には人家もなく静かな所です。

実家のある湘南周辺の港は
使用料が高く維持費が大変なのと
安良里の環境が気に入って移転した
と、聞いておりますが

近くには堂ヶ島があり
その向いには
「加山雄三ミュージアム」もあるし
まさに
晩年の加山さんにとって
生活の中心となっている場所です。

[光進丸]は
一番近い岸から約30m。
一番遠い岸から約70mに係留されており
にもかかわらず、なぜ、燃えたのか・・

原因は捜査結果を待つしかありませんが
早く、解決して欲しいものであります。

では、その「光進丸」の歌を・・。

「光進丸」(1978)
歌:加山雄三/作詞:松本隆/作曲:弾厚作

(1983年7月2日、宝塚特別公演より)

加山さんといえば
海・・・そして船。
というのはファンでなくても
ご存知かと思いますが

特に船に対する造詣は深く
自分でCADを操作し設計をし(凄い!)
船舶免許も旧区分の[大型5級]
現在の区分では
[2級(1海里限定)+特殊+特定]に相当。
を所有しています。

この光進丸も
当然、加山さん自身の設計で
進水したのは1982年(昭和57年)
なので
一般的にはかなりの老船
ということになります。

「光進丸」としては三代目ですが
加山さん自身が造った船としては
23隻目にあたります。


(光進丸船上にて by シンコーミュージック)

加山さんが最初に船を造ったのは
中学2年生の夏休み。
それは、カヌーでした。
これがカヌー1号艇。

このカヌー製作は
毎年、夏の恒例となり
高校2年で4号艇まで造ってます。(現存している)


(カヌー3号艇。自著、湘南に愛をこめてより)

高校3年生になると
さすがにカヌーは飽きたのか
こんどはヨットを製作。


(自著、湘南に愛をこめてより)

ここまでは
趣味の延長のようなものですが
(それでも素人ばなれしている)
大学生になると
いよいよ本格的な
モーターボートの製作に取りかかります。

製作期間3ヶ月。
14フィート(4.27m)の船体に
父親の上原謙さんからプレゼントされた
中古のエンジンを換装して1号艇の完成。


(自著、湘南に愛をこめてより)

東宝に入社後の25歳の時には
さらにグレードの高い屋根付きのモーターボート
「ドカベン号」を製作しています。
(ドカベンは当時の加山さんのニックネーム)


(自著、湘南に愛をこめてより)

そんなこんなで・・

最初の「光進丸」が完成したのは
東京オリンピックの年の1964年(昭和39年)
そのオリンピック関連施設として建設された
江ノ島ヨットハーバーの登録第一号となりました。

この初代「光進丸」は
映画「海の若大将」にも登場します。


(初代光進丸。自著、湘南に愛をこめてより)

二代目「光進丸」は
1969年(昭和44年)に完成。

しかし・・・
翌年、1970年7月に
叔父の経営していた
「パシフィック・パーク・ジャパン」が倒産。
(通称、茅ヶ崎パシフィック・ホテル)


当時のマスコミの虚偽報道で
ホテルは、父、上原謙さん経営と
誤解している人も多いですが
実際の経営者は叔父にあたる人で
加山さんと上原謙さんは名前だけの役員。
(いわゆる名義貸し)
しかし、だからといって責任は免れないので
加山さんはこの時の負債、約23億円を
(現在のレートだとこの約3倍)
一人でかぶり
血のにじむような苦労の末
現在は完済しています。

このため
二代目「光進丸」は
国税局の管理物件(差し押さえ)となり
実質、所有権は失いましたが
メンテナンスという名目で
船に乗る事はできました。


(二代目光進丸。自著、湘南に愛をこめてより)

そして
三代目「光進丸」です。

加山さんが
どん底借金生活から
見事に復活を遂げた1982年。

総工費、約4億円。
本格的な宿泊施設も備えた
海の別荘とも言うべき
排水量104トン、全長30.4mの
豪華で美しい「光進丸」が完成したのです。



しかし・・・
その「光進丸」は燃えてしまいました。

最近の加山さんの
生活拠点となっていた「光進丸」には
ピアノやギター、ドラムなどの楽器類もあり
音楽スタジオとしての機能も持っていたので
作曲やライブ演出のデータなど
それらも燃えてしまったことになります。

そして、なによりも
かけがえのない加山さんの思い出
これを失くした事が一番大きいかも知れません。

年齢も、もう80歳ですが
不屈の若大将として
なんとか立ち直って
4代目「光進丸」を造ってもらいたいです。

がんばれ!若大将!

by どら

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