自分は守られているキラキラ

と深く安心した瞬間があった。

 

30代前半にアートマンという自発運動を引き出すようなワークに参加した時だった。

若い頃はある意味尖っているし、一生懸命。

キラキラする体験も多いけど、傷つくし、苦しさも目一杯。

 

でも参加している方が、私をみて

「神様に守っていただけるように祈りましょうね。」

と手を握ってくださって、ものの数秒で笑いながら

「すでに守られてるってピンクハート言われているよ。」

と仰った。

 

その瞬間だった。

涙が溢れ、そうだった、そうだった。なんだか忘れていたかも。

と心が溶けるような安心感に満たされた。

 

それ以来、その基本的な安心感を失うことはありません。

 

若い頃には思いがちな

自分を変えたいよだれとか

自分のこんなとこがすごく嫌えー 

とかも無くなった。

 

苦しいことや、辛いことは人生にはあちこちに置いてある(感じだよね)。

それは全ての人に平等だと思う。

けど、根本的な安心感があると、そんな体験も受け止めることができる。

だって、最終的には必ず守られているからね。

 

親が子供の冒険を黙って見ていてくれる感じかな。

大きな危険が迫った時だけ登場して安全を担保してくれる。

 

今は60代

以前の自分は人生60歳までと考えていた。

ところが60歳を超してからの人生がますますいい感じ。

 

完璧でない自分ウインク

長所と短所で凸凹していて、まん丸ではない自分おねがい

 

それが大きな存在のピースのあり方なんだと理解できている。

 

この凸凹のおかげで、人とのつながりが出来る事がはっきりわかる。

愛星会のメンバーが集まると

ほら、凸凹同士がくっ付いて、少し丸に近づいているね口笛

 

私たちは個では成り立たない存在。

人との関係・仏教的には因縁でしょうか?

そこに初めて世界が出現するんですね。

 

自分に与えられたピースで

凸凹のピースで

それを精一杯生きることで 世界が広がっていきますね。

 

凸凹・不完全な自分が

年々好きになってますラブラブ

そして凸凹に関係してくださる人々に

ますます感謝の気持ちが大きくなります飛び出すハート

 

年とともに世の中の成り立ちが少し見えてきたのかな・・?