ウィアン=環濠都市から見るチェンマイの成立(前編・タイ王国チェンマイ県) | 星ヶ嶺、斬られて候

ウィアン=環濠都市から見るチェンマイの成立(前編・タイ王国チェンマイ県)

‘北のバラ‘の雅称を持ち、タイ北部屈指の城塞都市として知られるチェンマイ。

かつてラーンナータイ王国の都が置かれ、南部とは異なる文化が花開いた一帯にはウィアン(wiaug)と呼ばれる遺跡が点在しています。

ウィアンとは城壁に囲まれた町、すなわち環濠都市を意味し、チェンマイ市街のほど近くにもいくつものウィアンの存在が知られています。

本稿ではそうしたウィアンを訪ねつつ、チェンマイ成立までの道をたどってまいります。

 

◎ウィアン・ジェット・リン(Wiaug Chet Lin)

チェンマイ西の霊峰、ドイ・ステープ山への道の入り口に位置し、ファイ・ケーオの滝の湧水点を押さえる場所にラワ族によって築かれたウィアンがあります。

ラワ族とはドヴァーラヴァティーやハリプンチャイ王国を建国したモン族に先行して一帯に進出した人々であり、伝説ではヴァステープといふドイ・ステープに住むラワ族の仙人(隠者)がその東麓に、後にウィアン・ジェット・リンとなるウィアン・ミサンコーンを築いたとされています。

このウィアンの特徴は直径970mのほぼ正円の土塁と環濠をもって周囲を囲繞している点であり、日本でいえば田中城(静岡県藤枝市)のやうでもある。

 

<円形のプランが浮かぶ航空写真(Yahooマップより)> 

 

タイに方形の城郭は多かれど、円形のプランもまたインドの世界観において天を表わすものであり、ミャンマーにあったピューの王都・シュリークシェトラなどが知られる所。

ラワ族は同じく南方にナヴォウッタ(後のウィアン・スアン・ドーク)という一辺が概ね570mの方形のウィアンも築いており、かなり観念的な都市を構築していたことが窺える。

しかしハリプンチャイが一帯に進出してくると次第に勢力を失い、これらのウィアンも放棄された模様です。

なおウィアン・ミサンコーンは後にウィアン・ジェッド・リンと改称されてラーンナータイによってチェンマイを守る要塞の一つとして利用され、王家の離宮なども置かれました。

今日ではチェンマイ大学やファイ・ケーオ植物園等の敷地となり、植物園内に高い土塁や堀を見ることが出来ます。

 

‹チェンマイ大学構内の堀。土塁は削平されている›

 

‹南の植物園内には高い土塁も残っている›

 

‹植物園外の堀›

 

 

 

◎ウィアン・クム・カーム(Wiang Kum Kam)

13世紀末、それまで北部タイを支配していたハリプンチャイを併呑し、チェンマイ平原に進出してきたのがラーンナータイのメンラーイ王でした。

王はビン川西岸にあったワット・カーントムの集落付近に新たな都の構築を計画し、1287年、従来の都であったチェンライから遷都します。

これがウィアン・クム・カームで、1km四方程度の不整形の方形の都市プランであった由。

ところがメンラーイ王は僅か10年たらずでこの新都を放棄し、北のウィアン・ノッブリー(後のチェンマイ)の地に新たに都を構築して遷座しています。

恐らくこの地がビン川の増水に対して脆弱であるのが予知せられたからと思はれ、雨期になると水が溜まりやすい地形だったのでせう。

とはいえ構築半ばの新都は全き廃絶した訳ではなく、その後も多くの寺院が建立せられて、ラーンナーの王も度々この地を訪れるなどチェンマイ近郊の要塞、衛星都市として存続し続けました。

しかし度重なるビン川の増水は町に七難八苦の打撃を与え続け、18世紀にはビン川の流路が町の西から東へと遷移して港湾機能も喪失、町はついに廃絶して以後は農村に姿を変えたのでした。

 

‹仏塔が再建されたワット・イーカン›

 

 

近代以降は忘れられてしまったこの旧都であるが、1984年に突如として発見されて、大きなセンセーションを巻き起こすことに―。

尤も崩れかけた仏塔などが露出して点在していた訳ですから、その存在がまるで知られていなかったわけではなく、考古学的にその存在が実証されたという辺りがより正確な表現で、新たな観光資源としての価値が発見されたといった所でせう。

現在、城内には多くの修復された寺院の跡が見られ、チェンマイ近縁において遺跡の雰囲気を味わうには格好のスポットとなっています。

南西には土塁の城壁や堀も見られますが、注意せねばならないのはビン川の土砂が一帯を埋めたとあって、現在見えている城壁はあくまでその頂部付近が見えているに過ぎない点で、本来の城壁はなお高く、堀幅はより広かったはずです(堆積した土砂は概ね1.5m程度)。

なお、この遺跡を訪ねるにあたって、私は往路はチェンマイ市街からトゥクトゥクを利用しましたが、チェンマイ―ラムプーンを結ぶソンテーオも遺跡入り口(東の幹線道路沿い)を通っているので、午前中に遺跡を見終えた後はそのままラムプーンへと移動しました。

 

後編では現在のチェンマイ市街地の基礎となったウィアン・ノッブリーを紹介します。

 

 

‹1288年創建のワット・チェディー・リアムは現役の寺院›

 

‹再現された西の城壁と堀。土塁状の城壁としては唯一、残る箇所›

 

‹南西城壁外にあったワット・クー・バトムは広く基壇が整備されている›

 

‹南の城壁ライン。堀跡には細い水路が穿たれているが、本来の遺構面は1.5mほど下›