スコータイの城壁(タイ王国スコータイ県) | 星ヶ嶺、斬られて候

スコータイの城壁(タイ王国スコータイ県)

‹スコータイ都城の中心にあるワット・マハータート›

 

さて、今回からはいささか趣向を変えてタイ王国の城を取り上げてまいりませう。

昨年もカンボジアのアンコール遺跡を取り上げましたが、実はこのタイの道行きもカンボジアと同一行程で訪ねており、訪問の順序としてはブログ掲載とは逆にタイ→カンボジアと移動しました。

 

そのタイシリーズの第1回で取り上げるのがバンコクより北へ300km、チャオプラヤー川の源流の一つであるヨム川流域の古都・スコータイ。

以前、カンボジアの記事ではアンコールのクメール王朝を主に取り上げてまいりましたが、そのクメール王朝が強勢を誇った12世紀にはタイの中原域にあたるスコータイ周辺はその支配地域の北限近くに位置していました。

ところが13世紀に急速にクメール王朝が力を失うと、その間隙をついて北方よりタイ族が進入、やがて政治権力を樹立するに至ります。

タイでは国のことを‘ムアン‘と言ひますが、こうした小国家たるムアンが各地に勃興し、当初においてそれらはクメールに従属する存在でした。

 

その一つ―スコータイ王国は1240年頃にアンコールより派遣されていたクメール太守を追って樹立せられ、やがて周囲の小国家を従属下に置き、中央の権力を周辺に照らすが如く波及させる大マンダラ国家へと成長を遂げていきます。

実は現在、国内でのマジョリティーであるタイ族が初めて国家を持ったのがこのスコータイ王国であり、故に今なおここスコータイはタイ民族にとって心の故郷のような存在であるといわれています。

 

13世紀末に在位した3代王・ラームカムヘーンの代には北部・チェンマイを中心とするラーンナー王国を除く今日のタイ全土に近い領域及びラオスやミャンマーの一部にまで版図を拡大する全盛期を現出し、他方、内政では上座部仏教を国教とし、君主はポークンと称されてその温情を治世の中心に据えていたのだそうな―。

その後、王国は消長を経て6代王・リタイ王が1362年に東方のピッサヌロークに遷都。

1378年には南部に興ったタイ族国家のアユタヤー王朝の攻撃を受けてその体制下に入り、以後、スコータイ王家は地方領主として存続することとなります。

 

さて、このスコータイ王朝の都・スコータイは世界遺産にも選定され、今日なお多くの寺院遺跡が群立して国内外から多くの観光客を集めています。

そしてスコータイのオールドシティ中心にあるのが東西1400m、南北1800mの範囲を三重に及ぶ土塁と環濠で取り囲んだ大都城。

 

‹北の城壁と濠。城壁をなす土塁の外の犬走は自動車が通れるほどの広さ›

 

北にサーン・ルアーン門、西にオー門、南にナモー門、東にカンペーン・ハク門を開き、四方から集まる道の中心に王宮寺院たるワット・マハタートを配するという、クメールの都城、アンコール・トムの形式を踏襲した構造でした。

一方でインドの世界観を基調とするアンコール・トムに対して、より上座部仏教に特化したスコータイでは相違もあり、例えば世界の中心となるメール山をアンコールの都城では大規模な寺院の主祠堂としていたところをスコータイでは柱あるいは小祠堂を建てラック・ムアンと称し、都市の中心としていました。

さらに防備面ではアンコール・トムが巨大ながら平入りの虎口と濠・土塁を有するのみの単調な結構であるのに対し、スコータイでは三重の土塁に二重ないし三重の濠を構える厳重さで、四方の門外には馬出の如き小区画を配してその外側の塁壁も外に突出させて進入動線を複雑化するなど、技術面において大きな飛躍を遂げています。

 

 

‹北の城門であるサーン・ルアーン門外の馬出状の小区画。外縁に低い土塁が巡る›

 

面白いのは最も内側の土塁のさらに内側にも堀が巡らされている点で、最近、話題となった坂本城の外郭線と同じような構造といえばそうなのでせう。

ただ、個々の濠の幅はアンコール・トムの200mには遠く及ばず、城壁も土塁でラテライトの直立した城壁ほどに登攀不能という訳ではないので、アンコール・トムよりは技術的には進展が見られるが、実際の防御においては一概により強固であるとは言い切れないキライもあります。

 

 

‹スコータイ城内図(現地案内板より)。三方の門外にある馬出状の小区画がよくわかるかと›

 

城内は先に述べた王宮寺院たるワット・マハタートの東に王宮があり、この点も王宮を北に置いたアンコール遺跡と異なる所。

他にもワット・スラ・シーやワット・トラバン・トーン、ワット・シー・サワーなどが城内にあり、城壁外の四方にも多くの寺院跡が今に残されています。

スコータイ観光のハイライトはこうした寺院遺跡を訪ねることで、恐らく多くの人がインターネット上で詳細な見聞記を公開しているものと思いますので、弊ブログではあえて城壁にスポットライトを当てて紹介した次第。

今日、オールド・シティを取り巻く城壁は馬踏上や土塁外の犬走、堀に挟まれた土塁上などを巡って概ね周回できるようになっているので、時間があれば歩いてみてはいかがでせうか。

 

‹西のオー門。唯一、ラテライトで固められた旧状を残す(他の門は拡幅されている)›

 

‹南のナモー門への導入部›

 

‹東の城濠›

 

‹サーン・ルアーン門外の濠。両側に土塁が築かれている。›

 

‹最も外にある土塁。写真は北辺外側の濠の外側›

 

‹こちらは城壁内側の濠。写真は北の城壁内›