井筒部屋の四股名⑤ 源氏山の巻(中編) | 星ヶ嶺、斬られて候

井筒部屋の四股名⑤ 源氏山の巻(中編)

今回は幕末、近代の源氏山―。



・源氏山 源蔵・・・現役:1824~40年。徳島県出身。

大坂相撲で活躍した力士で、最高位は関脇。

江戸にも1場所のみ出場して、西二段目14枚目(今の幕下)。

俳句や花道をたしなむ風流人だったそうです。

年寄・竹縄(4代)を襲名して部屋を興しました。


※源氏山 丑之助・・・大坂力士。現役:1846~47年。頭書は阿波。

出場は2場所で、最高位は前頭20枚目(幕下に相当)。


・源氏山 吉五郎(後の山分)・・・現役:1854~70(明治3)年。鹿児島県出身。

元は大坂相撲で、源氏山の竹縄門人。江戸では追手風→雷門人。

前相撲時代は白滝を名乗り、初めて番付に載った嘉永7年(1854)2月より源氏山。

文久2年11月より梶ヶ浜と改名し、後、山分を襲名(現役中)。

力に任せた勝ちみの遅い取り口で、最高位は小結。

薩摩藩お抱えで、慶応3年(1867)、大坂相撲に転じ、大関を務めました。

後、竹縄(7代)を継承。


※源氏山 源蔵・・・大坂力士。現役:1864~67年。頭書は大坂。

名乗りから推して竹縄門人でしょう。

本場所は2場所のみ出場で、最高位は二段目61(今の幕下)。

戊辰戦争の際、越後に出征し、錦旗を奉持したと言います。


・源氏山 頼五郎・・・現役:明治16~37年。青森県出身。

高砂部屋所属。初名は出身地にちなんだ今泉。

明治29年5月より源氏山を名乗ります。

力が強く、強引な相撲ぶりで、人呼んで゛白無垢鉄火(しろむくてっか)゛。

関脇・小結をよく務め、優勝相当成績も1回の実力者でしたが、私生活は奔放で、最後は除名されてしまいました。




星ヶ嶺、斬られて候 <高砂四天王の一にも数えられた源氏山 頼五郎>




・源氏山 伊三郎・・・現役:?~大正2年。茨城県出身。

元は東京相撲にいましたが、後、大阪相撲に転じて高田川部屋に。

大阪では幕内まで上がり、最高位は前頭6。


・源氏山 源右ェ門(後の源武山)・・・現役:明治42~昭和7年。山形県出身。

東京相撲の伊勢ノ海部屋より初土俵を踏み、四股名は最上川→紅葉山。

大阪相撲に転じて朝日山部屋所属となり、源氏山→最上川を経て、大正9年5月より再び源氏山に。

東京方との合併興行では東京方に源氏山(大五郎、後述)がいたので源武山を名乗りました。

昭和2年の東京・大阪の合併に際し源武山に改名。幕下5枚目より十両に躍進。

同年10月に源氏山に改名も、翌場所より源武山。最高位は十両2枚目。

引退時、44歳で長く昭和以降最高齢の記録保持者でした(近年、一ノ矢が更新)。

後援者に取り入るのが上手く、゛ゲンブ゛の語を今に残しています。  



他にも巡業の番付のみに見える源氏山常吉(1855年)、源氏山国吉(1864年)と言った下位力士もいます。


下編にて井筒部屋の源氏山群像へ―。