7月18日
黄疸、熱も出たため
急遽、胆管ステント留置しました。


そして、その夜今回の担当医師から、、、
父、私が呼ばれ説明がありました。


母の癌はかなり進行していると。
肝臓、リンパ節も癌に侵されている。
圧迫されている十二指腸の動きが悪いこと。
もう、痛みがでる頃。

脳転移の方は今はおとなしくしていると。
ただ、かなり耳が遠くなったこと。

現時点での母の状態の説明でしたショボーンショボーン


この状態では、抗がん剤治療は
終わり、、、となりましたえーんえーん
今後も母は固形物は取れなく、流動食
になるためです。


抗がん剤治療が終わるにあたり
病院 病院も「緩和ケア」の病院に転院
になります。


そして、再発してから
一度も聞かなかった
残された余命ショボーンショボーンショボーンショボーン


今回の入院の担当医師は
ズバズバ言ってきます。


母の栄養状態、進行を見て
自宅に帰らずこのまま転院を進められました。
在宅介護で高齢の父が診るのは
厳しいと、、、


私はこのまま家に帰れないのかと
思うと辛すぎて辛すぎて
まさか、こんなに速く母が衰えていく
姿を間近に見て

我慢していた涙が溢れ出してしまい
担当医師の前で声を出して泣いて
しまいましたえーんえーんえーんえーんえーんえーん


父は目を赤くして堪えていました、、、


数分、、、悲しい空間。

気を取り直して、眠っている母の
病室に戻りました。
今回のステント留置術後、誤嚥肺炎
になり酸素をして眠っている母の前でも
泣いてしまいました。


その夜は
主人に話すにも泣いてしまうと思い
子供たちが就寝してから話しました、、、


次の日
会社出勤する朝の電車新幹線真ん中でも
母のことを考えると涙が溢れてしまい
メガネをして隠していました、、、


会社でもこの状況を上司、支店長に
説明しました。
去年の手術の時に一度お話をして
いますが昨年再発してから今日までの
状態を改めて説明しました。

上記の二人、今では出世頭ですが
昔、若かった時はよく飲みに行ったり
仲良かった同僚でした、、、


会議室に入り、二人の顔を見た途端に
泣いてしましました。



会社の方は大丈夫だから、
お休み、遅刻、早退、気にしないで
母との時間を使って下さいね
と仰って頂きました。
とてもありがたいですニコ


とは言え
忙しい部署のため、厳しいところですが
気持ちはありがたいです。


金曜日夕方、母のところへ
まだ、酸素はつけてましたが熱は下がって
いました。
食事は半分も食べれません。
重湯がマズイのでしょう、、、

美味しい物を食べさせてあげたい。
退院したら大好きな鰻を食べに行く
約束をしてました。

でも、もう流動食しか食べれなくなり
その流動食さえ完食することも出来なくなり
もう、涙しか出ません。


土曜日、、、

誤嚥肺炎の方は落ち着き、
酸素も外し、点滴も終了していました。
口から少しでも食べれるなら、一度
自宅に帰らせてあげたいと父と
話してます。
まだ、緩和ケア病院は決まって
いないので決まり次第転院する前に
一度、自宅で過ごさせてあげたいですお願い