読書歳時記 -3ページ目

エッセイの会

4人で書いてきたものを読みあう。

半プロの文章。

先生とは30年越しの付き合いというわけだ。

お互いに年をとった、としかいいようがない。

これで本にしようとするのはいかにも無理。

なんか虚しい。

本気っぽく語れば語るほどに。

年老いた作家崩れのようで哀れ。

ボケ防止程度に思いたいのに。

いったい誰に読んでもらおうというのか。

そこのところが、口に出来なくて。

 

今回は母のこと。といってもきれいごとで語れるところまで。

シルバー句会

二回目の団地の句会は私も含めて7人の出席。

まずまずのすべりだし。

作ってきてもらった句は5句。

季重なりあり、孫の句ありで、初心そのもの。

それでもひとり必ずその中から一句選ぶこととする。

二時間は瞬く間であった。

俳号の提案をしたところ、ほとんどの人がつける。

つけるつもりで前もって考えていたようだ。

Nさんは一年前に癌の手術をうけ今も検査を受ける身。

顔色も悪く気になるところ。

楽しんで作句してほしい、と思うのみ。


「俳句」という雑誌や句集も心して読むようになった。

そろそろ投句を再開しようか、と思う。

どこに?が悩ましいところ。

とにかく今までのところはおさらばするつもり。

句会

日曜日、久しぶりに句会に出席。

10人のメンバーのうち、2人は連れ合いが

入院などで、欠席。うち、1人は退会。

自分のこともさりながら、夫や妻に倒れられたら、

こうした趣味は一度に不可能になるということ。

私もやめたい、とは言えぬまま。

入るのは易やめるは難し、とつくづく思う。

来月で結社誌の購読切れとなるので

かなり深刻。

新主宰がどうも、ともいえないし。


明日は団地内の句会。二回目なので

出席してくれるかどうかが心配。

俳句は作句しなければ意味がないし

作れないのに無理強いする訳にもいかない。

なるようになる、と思うことにする。


高橋睦郎の『百人一句』を読みながら寝る。

新書版なのに教えられる事多々。

シズコさん

今日から孫は幼稚園。

当分は午前保育とはいうものの、たすかる。

娘というのは、ジジババは喜んで子守するもの、

と思っているふしがある。見させてやるのも親孝行、

というわけ。冗談じゃない。でも、私も昔はそうだった。

持ち時間が少なくなってくると、見えてくることも多々。


「波」に連載中の佐野洋子の『シズコさん』、

私の母によく似ていて、ちょっとかなしい。

養老院で亡くなった事も含めて。

母もあれほど自慢だった息子に、

結局は見捨てられた、と思って無念だったろう。

ことあるごとに東大教授の息子が忘れられなかったのだから。

不出来のその他の子供のことは、

話題にもしたくなかったろう、と思う。

学歴コンプレックスは私にも一生つきまとってしまった。

私自身にもシズコさん要素がいっぱいなのだ。

ようやく

やっとやっと自分の時間が持てるようになった。

孫は来てよし帰ってよし、を実感。

と、いっても常時次女の子を預かっているので、

こちらは幼稚園の入園式が待ちどおしい。

長女は次女に私という最適のうばを奪われて

嘆くことしきり。

次女の無謀なる司法試験挑戦がいつも

わが屈託のもと、となる。

母親の苦衷を知ってか知らずか、

3歳の孫は「くるしいときのかみだのみ」

「これはママの札だから僕が取る」

などという。あわれなり。


ということで、夜が待ち遠しい。

ぐったりベッドに横たわると本を読む元気もない。

こんな時、俳句はたすかる。

短いので眠る前のちょこっと読みにぴったり。

ひいきの小澤實の句集『瞬間』などを読む。

実のところ、団地のシルバークラブの

「俳句会」をたちあげたので、真面目に

読むようにしているのだ。


蟇は蟇人は人恋ふ夜なりけり


うまい、のひとこと。

すっかりご無沙汰

ひさしぶりに開いてみる。

三月中旬、小二の孫が入院。

髄膜炎検査、CTスキャンと大騒ぎ。

結局ありふれたアデノウイルスということに。

この間一週間。天下の東大病院なのに。

でもとにかくホットする。

そして今週から、そのご当人一家が我が家へ。

勿論、娘なので大歓迎にはちがいないんだけれど。

実際のところ、何も手につかない。

 

『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』 ともに小林恭二著(岩波新書)

を読む。すでに数回以上読んでいるのに、毎回納得。

句会ってこんなにも楽しいものなのか、と思う。

私の参加している句会って何?

まあ素人の勉強会の要素が大きいので

文句はいえないのだけれど。

遊びの要素がまったくないというのもなー。

遊びは高度な知識を必要とするにしても、

真面目すぎるおばさん集団というのは

さすがにしんどい。

不良老人をめざす身としては。

不良老婦人?というべきかも。

またしても、俳句のこと

シルバー会の中に「俳句の会」も、という話が

でているので、もし始めるとしたら、どうしたものか

といろいろ考えている。誰か指導者になってくれる人

がいてくれるのが一番なのだけれど、

どの程度の人が幾人集まるかも未知数では

何ともしようがない。

もし、数人でもいたら、世話人として

あの本この本を勧めようとだけは思う。

教科書としては藤田湘子氏のものが一番

と、今のところ思っているのだが。


ネット上の今日の一句欄を楽しみにみている。6日の

坪内稔典さんのところに、湘子句についてのコメントが

あった。「俳人は無茶でもいいから思い切った新しさや

冒険をすべきだ。そうでなければ、結局、俳句史が

ふるい落とてしまう。上手くなったり、俳壇的に権威に

なったりしてもつまらない。」といったもの。

湘子氏の句に「湯豆腐や死後に褒められようと思ふ」

というのがあったのを思い出す。

俳壇の世界のあれこれがかいま見える気がする。

小説にしたらおもしろいかもしれない。

「5枚の会」のこと

11日土曜日、「5枚の会」の例会に行く。

本好きの集まりなので、それなりに話がはずむ。

原稿用紙5枚でものを書く、という趣旨も悪くない。

ただ、それを仲間内以外の人に見せるとなると、

話は別。ど素人の文章など読まされる身にもなってくれ、

という悲鳴が聞こえてきそう。

あくまでも、おばさんの読書感想文なのだ。


『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク著 松本美穂訳(新潮社)

は本当によかったので、誰彼に読んでもらいたい、と思う。

『博士の愛した数式』 小川洋子著(新潮社)

も心あたたまる話。殺伐とした世の中だからこそ

勧めたい。映画の寺尾聡はイメージ違いで

がっかり、ではあるけれど。

ともかく、図書館員だったら、目立つところに置いて、

なんとか手にとってもらいたい、と思うだろう。

その程度のことなのに。



句会欠席

今日の句会は気分が悪かった事もあるけれど、

それ以上に行きたくない病。まるで不登校のこどもの気分。

小沢昭一の「やなぎ句会」の記録を読むと

何をおいても句会第一。

あんなのがいいのに、とないものねだり。

遊びとしても、すべからく本気で遊ぶべきなのに。

不良老人?老婦人?

 

『黒い犬』 スティーブン・ブース著 宮脇裕子訳(創元推理文庫)

を、一気読み。最近途中で放棄してしまうことも多いので、

一気に読めるというのは、まあまあおもしろかった証拠。

失踪かとおもわれた15歳の少女の他殺体が発見される。

刑事は二人。ベン・クーパーとダイアン・フライ。

若いふたりの出世競争。反目と共感。

あいかわらず、の設定ながらよく書けている。

ひさびさの英国警察小説。


午後近くのブック・オフにて10冊ほど購入。

図書館より手軽。ただし思うような本にはなかなか

出会えないのだけれど。安いのだから文句はいえない。

千円で10冊なんて。

鬼の霍乱

先週の土曜日あたりから、喉の痛みはあったのだ。

あまくみていたのがいけない。

日曜の夜には36.8の微熱。平熱が35.6ぐらい

なので、ちょっとつらい。

翌日は38度。もう寝ているしかない。

気分が悪いので本どころではない、と思いつつ、

読んだり寝たり。


『天使たちの探偵』 原遼著(早川書房)

遼の字がうまくでないのだが・・・を読む。

買ったままになっていたもの。

短編集はこんな時にはいい。

『私が殺した少女』『そして夜は甦る』『さらば長き眠り』

などで、探偵沢崎のファン。

フィリップ・マーローを連想させる。

とにかく男ははしゃがないのがいい。

どの短編もこころあたたまる話で、

熱の身にはよかったのだ。