今から45年前の今日(8/31)、1978(昭和53)年8月31日は、
サザンオールスターズが、TBS「ザ・ベストテン」の「スポットライト」のコーナーに初登場し、デビュー曲の『勝手にシンドバッド』を歌い、世間に衝撃を与えた日である。
1978(昭和53)年6月25日、サザンは『勝手にシンドバッド』でデビューしたが、それから約2ヶ月ほど経った、この日(1978/8/31)に、サザンは遂に「ザ・ベストテン」に初登場した。
そして、この日を境に、サザンは「売れっ子」への道を歩み始めた。
従って、1978(昭和53)年8月31日こそ、「サザン伝説」の真の始まりの日だったと言って良い。
なお、サザンの「ザ・ベストテン」初登場の話は、既にこのブログで何度も書いて来たので、
「また、その話か…」
と思われる方も、いらっしゃると思われるが、今年(2023年)はサザンの「デビュー45周年」という記念イヤーでもあるので、改めて、「サザン史」の原点に帰る意味でも、このエピソードを書かせて頂く。
それでは、ご覧頂こう。
<1978(昭和53)年6月25日…サザンオールスターズ、『勝手にシンドバッド』でデビュー~しかし、デビュー当日は全く仕事が無かったサザン>
1978(昭和53)年6月25日、青山学院大学の「学生バンド」が母体だったサザンオールスターズは『勝手にシンドバッド』でデビューを果たした。
なお、サザンのメンバーを改めてご紹介させて頂くと、
桑田佳祐(ボーカル)・原由子(キーボード)・大森隆志(ギター)・松田弘(ドラム)・関口和之(ベース)・野沢秀行(パーカッション)…
という、6人組のバンドであるが、せっかくデビューしたのは良いものの、デビュー当日(1978/6/25)のサザンは、全く仕事が無かった。
では、デビュー当日のサザンのメンバー達は、一体どのように過ごしていたのであろうか?
遥か後年(1992年)、サザンのメンバー達が、「知ってるつもり」という番組のパロディーで、「サザン史」を振り返るという企画が有ったが、その番組で桑田佳祐らが語ったところによると、
「サザンのメンバー達は、それぞれの地元のレコード店で、『勝手にシンドバッド』のレコードを、少しでも目立つ位置に置き換えていた」
という。
そして、原由子は「18歳」と年齢詐称をして(※本当の年齢は、当時22歳)、
「山原由美子」
なる偽名を名乗り、
「ラジオ番組に、『勝手にシンドバッド』をリクエストしていた」
というのである。
いずれにせよ、デビュー当日のサザンは、仕事が無かったので、各自、そんな風にして、地味に過ごしていた。
そんな地味なスタートを切ったサザンが、後に「国民的バンド」と称されるほどの存在になろうとは、この時、誰が予想し得たであろうか?
<1978(昭和53)年6月27日…サザンオールスターズ、TBS「ぎんざNOW!」でテレビ初出演>
だが、デビューして2日後、サザンに早くもチャンスが訪れる。
1978(昭和53)年6月27日、サザンオールスターズは、
TBSの「ぎんざNOW!」という番組で、念願のテレビ初出演を果たした。
そして、この番組でサザンは『勝手にシンドバッド』を披露したが、
この時のサザンは、良くも悪くも、
「学生バンドっぽさ」
が抜けていなかったように思われる。
ともかく、初めてテレビに出たサザンであるが、この後、サザン陣営は、
「とにかく、テレビに沢山出て、インパクトを残そう」
という戦略を取るに至る。
「新人バンドなんだから、とにかく顔を売ろう」
という事を、サザンは目指した。
<1978(昭和53)年7月31日…サザンオールスターズ、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に初出演~サザンは「ジョギパン姿」で『勝手にシンドバッド』を歌う~サザンと山口百恵が「初共演」>
それから約1ヶ月後、サザンオールスターズは、
フジテレビの「夜のヒットスタジオ」に、初出演を果たした。
前述の「ぎんざNOW!」に出演した後、サザン陣営は戦略を練り、
「お揃いの衣装を着て、視聴者にアピールしよう」
という事を決めた。
そして、原宿のスポーツ用品店(?)で、
「衣装代が安いから」
という理由で、お揃いの「ジョギパン」を買い、サザンのメンバー達は、その「ジョギパン」姿で、テレビに出る事となった。
「私の事は、みんな頭に無かったようだ…。まあ別に良いけど」
と、サザンの紅一点・原由子は、当時は「ジョギパン」姿に少し抵抗が有った(?)と、後に振り返っている。
ともかく、その「ジョギパン」姿で、サザンは「夜ヒット」という栄光の番組に初登場した。
そして、サザンはスーパースター・山口百恵と「初共演」を果たし、何と、桑田佳祐が百恵の前で、何故か王貞治・長嶋茂雄のモノマネを披露し、百恵を苦笑いさせた…というのは、以前、別の記事で書いた通りである。
「何か、変な人達ね…」
この時、山口百恵は、そう思ったに違いない(?)。
だが、サザンが視聴者に本当の意味で衝撃を与えたのは、この後である。
「夜ヒット」に初登場したサザンは、デビュー曲『勝手にシンドバッド』を歌った。
『勝手にシンドバッド』は、ロック調で、とにかくテンポが速い楽曲だが、そんな楽曲を桑田佳祐が物凄い早口と巻き舌を駆使し、まるで「捲し立てる」ような調子で、歌っていた。
「何だ、この曲は!?」
この時、それまで聴いた事も無かったような、斬新な楽曲を聴いて、ビックリした視聴者も多かったに違いない。
更に、『勝手にシンドバッド』の終盤になると、何故かスタジオにはサンバ・カーニバルのダンサー達も登場し、大盛り上がりとなった。
こうして、サザンは「夜ヒット」初出演で、絶大なインパクトを残し、『勝手にシンドバッド』も、少しずつヒット・チャートを上昇して行った。
<1978(昭和53)年1月19日…TBS「ザ・ベストテン」放送開始>
さて、一旦、話はそこから7ヶ月ほど前に遡る。
1978(昭和53)年1月19日、TBSの「ザ・ベストテン」という歌番組が放送開始された。
「ザ・ベストテン」は、黒柳徹子・久米宏の「ダブル司会」の歌番組だが、
「毎週、レコード売上や視聴者からのハガキによるリクエストを元に、厳正に1~10位までのランキングを決め、その『ベストテン』に入った歌手に生出演してもらい、歌を披露してもらう」
というコンセプトの、物凄く画期的な歌番組である。
何がそんなに画期的だったのかというと、前述の「夜のヒットスタジオ」をはじめ、当時、歌番組といえば、事前に番組側が出演歌手にオファーをしており、出演者がそれを承諾して出演する…という形式が普通であった。
つまり、歌番組に出演する歌手は、事前に決まっているのが当たり前だったのだが、「ザ・ベストテン」は、
「番組が集計したランキングで、『ベストテン』に入った歌手だけが出演できる」
という、考えてみれば、物凄くシビアとも言える仕組みであった。
従って、その週になってみなければ、誰が出演するのか、わからない。
歌手の側にしてみれば、こんなに厄介な仕組みも無いが、視聴者にしてみれば、
「自分が好きな、あの歌手に出て欲しい!!」
という事で、リクエストに力が入る。
こうして、番組と出演者側が一体となり、
「その時、最も売れている歌手が出演する歌番組」
として、「ザ・ベストテン」は超人気番組に成長して行く事となる。
という事で、1978(昭和53)年1月19日に放送開始された「ザ・ベストテン」であるが、
記念すべき第1回で「1位」に輝いたのが、当時、人気絶頂だったピンク・レディーの『UFO』である。
以後、1978(昭和53)年1月~8月の間、「ザ・ベストテン」で「1位」を獲得した歌手と楽曲は、下記の通りである。
【1978(昭和53)年1月~8月の「ザ・ベストテン」の「1位」獲得の楽曲】
・『UFO』(ピンク・レディー)
・『ブーツをぬいで朝食を』(西城秀樹)
・『サムライ』(沢田研二)
・『微笑がえし』(キャンディーズ)
・『サウスポー』(ピンク・レディー)
・『宿無し』(世良公則&ツイスト)
・『ダーリング』(沢田研二)
・『林檎殺人事件』(郷ひろみ・樹木希林)
…というわけであるが、なかなか豪華な顔ぶれである。
ピンク・レディーの『UFO』から、西城秀樹が『ブーツをぬいで朝食を』で初めて「1位」を奪って以降、
沢田研二の『サムライ』が「1位」を獲得し、解散コンサートの直前で、熱烈なファンの後押しを受けたキャンディーズが、ラストソングの『微笑がえし』で初の「1位」、以後、ピンク・レディーの『サウスポー』も「1位」を獲った後、
デビュー当時のサザンのライバルとも言われた世良公則&ツイストが『宿無し』で「1位」を獲ると、
当時、これまた人気絶頂の沢田研二が『ダーリング』で、「7週連続1位」という大記録を作った。
そして、サザンが「ザ・ベストテン」に初登場した頃、「4週連続1位」と快走していたのが、郷ひろみ・樹木希林という異色のコンビが歌った『林檎殺人事件』という大ヒット曲であった。
という事で、様々な個性派歌手達が鎬を削る中、遂にサザンオールスターズが「ザ・ベストテン」に初登場する時がやって来た。
<1978(昭和53)年8月31日…「ザ・ベストテン」の「スポットライト」のコーナーに、サザンオールスターズが初登場~新宿「ロフト」というライブハウスからの生中継で『勝手にシンドバッド』を披露>
ところで、「ザ・ベストテン」では、「ベストテン」にまだランクインする前ながら、
「もう少しでベストテン入りしそうな、注目の楽曲」
という位置付けで、新人歌手などに歌わせる、
「スポットライト」
というコーナーが有った。
そして、1978(昭和53)年8月31日放送の「ザ・ベストテン」の「スポットライト」のコーナーに、遂にサザンオールスターズが初登場する事となった。
ちなみに、同日(1978/8/31)の「ザ・ベストテン」のランキングは、下記の通りである。
【1978(昭和53)年8月31日「ザ・ベストテン」ランキング】
①『林檎殺人事件』(郷ひろみ・樹木希林)
②『モンスター』(ピンク・レディー)
③『ジョニーの子守唄』(アリス)
④『銃爪』(世良公則&ツイスト)
⑤『夏のお嬢さん』(榊原郁恵)
⑥『ダーリング』(沢田研二)
⑦『サゥザント・ナイツ』(原田真二)
⑧『ヤマトより愛をこめて』(沢田研二)
⑨『Mr.サマータイム』(サーカス)
⑩『飛んでイスタンブール』(庄野真代)
この日(1978/8/31)も、黒柳徹子・久米宏の「名コンビ」が、
いつもの名調子で、「ザ・ベストテン」を滞りなく進行させていたが、そんな中、久米宏が、
「それでは、今週のスポットライトです!!」
と言うと、カメラは何処かのライブハウスの映像へと切り替わった。
そして、そこに映し出されたのは、何だか物凄い喧騒の中、今まさにライブを行なっている真っ最中と思しき、「新人バンド」である。
そう、その「新人バンド」こそ、あのサザンオールスターズであった。
その時、サザンが居たのは、「新宿ロフト」というライブハウスである。
そのライブハウスには、大勢の若者達が集まり、何やら大歓声が起こり、サザンオールスターズなるバンドを盛り上げているようであった。
そんな中、黒柳徹子が、一生懸命にサザンに向かって呼び掛けるが、ライブハウスの喧騒があまりにも凄く、ボーカルの若い男は、スタジオからの黒柳徹子の声が、よく聞き取れない様子である。
そして、その男は、「ジョギパン」を履き、上半身は裸であった。
更に、そのバンドは、ボーカルの男以外のメンバー達も皆、「ジョギパン」姿である。
「あのですね!!貴方がたは無名なんですか!?それとも有名なんですか!?」
黒柳徹子の呼び掛けに答え、上半身が裸の男…当時22歳の桑田佳祐は、
「お陰様で、ここ最近、急上昇で有名になりました!!」
と、答えた。
桑田の答えに、ライブハウスの客達から、
「ウワーッ!!」
という大歓声が起こった。
「随分と盛り上がっているようですが、その会場では、お客さんは踊れるんですか!?」
黒柳徹子からの、更なる質問に、桑田佳祐なる男は、
「踊れもします、飲めもします、芸者も来ます!!」
と答え、更に会場では歓声が起こる。
そんな桑田の、わけのわからない答えに、久米宏は爆笑していた。
なお、黒柳徹子と桑田佳祐のやり取りの間、サザンの野沢秀行がパーカッションを叩き、終始、客を盛り上げていたという事も、付け加えておく。
そして、黒柳徹子は桑田佳祐に対し、
「最後にお聞きします!!貴方がたは、アーティストなんですか!?」
と質問したところ、何と桑田佳祐は、
「いいえ!!目立ちたがり屋の芸人です!!!!」
と、堂々と答えた。
桑田佳祐の「芸人宣言」から、間髪を入れず、
『勝手にシンドバッド』
という楽曲の演奏が始まった。
「ララララララ ラララ…」
桑田佳祐とサザンのメンバー達は、まるで、がなり立てるような調子で、勢い良く『勝手にシンドバッド』を歌い始めた。
そして、「新宿ロフト」を埋め尽くした観客と一体となり、桑田とサザンは熱唱した。
なお、字幕を見ると、
「作詞/作曲 桑田佳祐」
と書いてある。
「そうか、この曲は、この上半身が裸で歌っている男が作ったのか…」
という事を、果たしてこの時、どれぐらいの視聴者が気付いただろうか…。
…というのも、この時にサザンが歌っていた『勝手にシンドバッド』は、とにかく物凄くテンポが速かった。
恐らく、レコードの音源の2倍ぐらい速かったかもしれない。
それだけ、サザンは『勝手にシンドバッド』を物凄い速さのテンポで歌った。
『勝手にシンドバッド』は、ただでさえアップテンポな楽曲なのに、ライブハウスの昂揚した雰囲気と、テレビ中継の興奮で、サザンは、まさに嵐のような勢いで『勝手にシンドバッド』を披露した。
この時に、初めてサザンを見たという視聴者も多かったと思われるが、あまりにも凄まじいテレビ中継を見て、
「何だ、こいつらは…」
と、多くの視聴者は呆気に取られていたと思われる。
こうして、視聴者に物凄いインパクトを残し、サザンの「ザ・ベストテン」初出演は幕を閉じた。
<サザンの「ザ・ベストテン」初出演の後日談①~翌日(1978/9/1)に原由子が電車で聞いた噂話とは!?>
さて、1978(昭和53)年8月31日の、サザンの「ザ・ベストテン」初出演には、「後日談」が有る。
後に、原由子が書いた自伝『娘心にブルースを』で語っていたところによると、
「ザ・ベストテン」初出演の翌日(1978/9/1)、原由子は電車に乗っていた。
すると、その電車で女子高生達が、
「ねえねえ、昨日のベストテン見た!?サザン何とかっていうの、面白かったね!!」
という噂話で盛り上がっているのを聞いてしまった。
「うわっ!!恥ずかしい…」
原由子は思わず赤面してしまったが、それと同時に、「ザ・ベストテン」という番組の影響力の大きさを知ったという。
その「サザン何とか」というバンドで、キーボードを弾いていたのは私なんだけど…恥ずかしがり屋の原由子は内心、困ってしまった。
だが、「サザン何とか」が歌った『勝手にシンドバッド』は、この「ザ・ベストテン」初出演を機に、更にヒットチャートを上昇させ、大ヒットする事になるのであった。
<サザンの「ザ・ベストテン」初出演の後日談②~実はサザンのファンなど誰も居らず、サクラ(あいざき進也のファンクラブ)で埋め尽くされていた(?)「新宿ロフト」>
だが、もっと凄い「後日談」というか、「裏話」が有る。
遥か後年(1992年)、「知ってるつもり」という番組のパロディーで、サザンのメンバー達が「サザン史」を振り返った時、関口宏に扮した桑田佳祐は、ある「裏話」を披露した。
この番組の司会者・長野智子が、
「あの生中継の前に、サザンは5回は『勝手にシンドバッド』を歌ったそうですね…」
と言うと、桑田は、
「うん、だって、それ(※『勝手にシンドバッド』)しか無いし…」
と答えた。
「それで、会場が最高潮に盛り上がった時に、ちょうど生中継が入ったんですね?」
長野智子に聞かれた桑田は、とんでもない事を言った。
「いやいや、全然、盛り上がってないんですよ。そもそも、あの客はサクラですから…」
どういう事なのかというと、原由子が補足して、暴露した所によると、
「私が聞いた話ですと、あれは、あいざき進也さんのファンクラブだったっていう話ですね…」
という事であった。
そもそも、当時のサザンに、「新宿ロフト」を満員に出来るほどの動員力は無かった。
そこで、サザンとは全く無関係な、あいざき進也のファンクラブの人達を「サクラ」にして、サザンを無理矢理、盛り上げさせていたという。
「でも凄いですね、あいざき進也さんのファン達が、あんなにサザンを盛り上げてくれて…」
長野智子が、そんな事を言うと、桑田佳祐は衝撃の暴露話(?)を披露した。
「いやいや、ライブが始まる前にね、みんなに酒を飲ませたんですよ。お客さん、みんな10代でしょ。だから、酒を盛ると、結構すぐに回るんですよ」
という事で、何とサザンはライブ前に、紙コップで、観客達に酒を飲ませ、酔った勢いのまま、盛り上げさせていた。
「何か、皆さんヨロシクーなんて、挨拶してましたよね」
野沢秀行も、そんな思い出話(?)を語っていた。
「犯罪ですか、それは…」
長野智子は、思わず苦笑いだったが、
「ええ。今だから言える…」
と、桑田は平然と(?)答えた。
という事で、サザンはデビュー前のアマチュア・バンドコンクール(「イースト・ウエスト'77」)の時と同様、得意技(?)の「サクラ大作戦」を決行した。
しかし、方法はどうあれ、サザンは、
「人気急上昇中の新人バンド」
として、世間に大いにアピールする事が出来たのだから、結果としては大成功である。
こうして、ドタバタ劇(?)の中、1978(昭和53)年8月31日、
「サザン伝説」
は幕を開けた。
そして、その「サザン伝説」は、45年も経った今も続いているというのは、皆様もよくご存知の通りである。