【今日は何の日?】1976/10/10…王貞治、ベーブ・ルースに並ぶ通算713・714号本塁打 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

本日(10/10)は、今から46年前の、1976(昭和51)年10月10日、

王貞治(巨人)が、あの「野球の神様」ベーブ・ルースが打ち立てた、通算「714本塁打」の記録に並んだ日である。

この日(1976/10/10)後楽園球場の巨人-阪神戦が行われたが、この試合を前にして、王貞治の通算本塁打数は「712本」だったのだが、この試合で王は1試合2本塁打を放ち、これが通算「713号」「714号」となって、一気にベーブ・ルースの記録に並んだのである。

 

 

私は、このブログで、今まで折に触れて、王貞治の野球人生の軌跡を描いて来ているが、

それは、私が王貞治という人物を、大変尊敬しているからである。

私は、王貞治をリアルタイムで見た世代ではないが、とにかく王さんという方は、長年にわたり、ファンの期待に応え続け、誰よりも沢山のホームランを打ち続けた偉大な選手であり、私は、そんな王さんという方に魅了されている。

という事で、今回は王貞治「通算714号」本塁打の話を書く。

それでは、ご覧頂こう。

 

<1976(昭和51)年7月23日…王貞治、通算「700号」本塁打を達成~突然、降って湧いた「700号」フィーバーの重圧に打ち勝つ>

 

 

1975(昭和50)年、長嶋茂雄監督率いる巨人は、球団史上初の「最下位」に沈むという屈辱を味わったが、

捲土重来を目指す長嶋巨人は、日本ハムから張本勲、太平洋から加藤初を、それぞれ獲得するなど、大補強を行なった。

そして、王貞治・張本勲「OH砲」を結成し、チームを引っ張ったが、

この「OH砲」の猛打が炸裂し、長嶋巨人は前年(1976年)から一転して、快進撃を続け、長嶋巨人と、吉田義男監督率いる阪神タイガースは、激しい首位争いを繰り広げていた。

 

 

ところで、王貞治は、前年(1975年)が終了した時点で、通算ホームラン数は「667本」だったのだが、

この年(1976年)王貞治は前年(1975年)の不振から脱し、快調にホームランを打ちまくった。

ところが、王貞治の通算ホームラン数が「700本」に近づいた頃、突然、ファンとマスコミが、

「王の700号達成は、いつになるか!?」

と、一斉に騒ぎ始めた。

突如、降って湧いた「700号フィーバー」に、王も戸惑ったのか、

7月3日の中日-巨人戦で、王はこの年(1976年)の「32号」ホームラン、通算「699号」ホームランを打って以降、パッタリとホームランを打てなくなってしまったのである。

今まで経験した事が無いような重圧に、王も苦しんだが、それでも、王は遂にその壁を乗り越えた。

 

 

 

 

1976(昭和51)年7月23日、川崎球場の大洋-巨人戦で、

王貞治は、鵜沢達雄(大洋)から、遂に通算「700号」ホームランを放った。

長い道のりの末、ようやく重圧から解放された王は、ご覧のような、ホッとした表情を見せていたが、

「後から思えば、この時の経験が、後の『715号』や『756号』の時に役立った」

と、後に王は振り返っている。

大きな重圧に打ち勝ち、通算「700号」を打つ事が出来たというのは、王にとって、何よりの財産となったに違いない。

なお、王の通算「700号」についての詳細は、以前、別の記事にも書いたので、宜しければ、ご覧頂きたい。

 

<通算「700号」ホームランを達成した王貞治~次に目指すのは、ベーブ・ルースの通算「714」ホームラン!!~ベーブ・ルースの大記録に迫る、王貞治>

 

 

 

 

 

さて、王貞治が通算「700号」ホームランを達成した後、

今度は、ファンもマスコミも、王に対し、次なる大記録の達成に、期待をかけていた。

それは、「野球の神様」ベーブ・ルースが残した、通算「714」本塁打という、大記録である。

ベーブ・ルースといえば、もはや「伝説の人」であり、野球界にとっては「雲の上の人」であるが、

王貞治は、このベーブ・ルースの記録に、あと「14本」と迫ったという事になる。

「まさか、日本のプロ野球の選手が、あのベーブ・ルースの記録に迫るなんて…」

という感慨が、当時のファンには有ったものと思われるが、

王に対し、「さあ、早く714号を達成してくれ!!」と、ファンは大きな期待をかけていた。

王にしてみれば、「やれやれ、やっと700号を打ったというのに…」という心境だったかもしれないが、

王は「700号」達成の時の経験を活かし、とにかく目の前の1打席に集中するようになっていた。

 

 

 

そして、あの通算「700号」以降、王はまた、快調なペースでホームランを打ち続けた。

 

【通算700号以降の王貞治のホームラン】

1976/7/31…阪神-巨人戦(甲子園)で「34号」「35号」…通算「701号」「702号」

1976/8/8…広島-巨人戦(広島)で「36号」…通算「703号」

1976/8/13…巨人-ヤクルト戦(後楽園)で「37号」…通算「704号」

1976/8/19…広島-巨人戦(広島)で「38号」…通算「705号」

1976/9/14…巨人-阪神戦(後楽園)で「39号」…通算「706号」

1976/9/19…巨人-中日戦(後楽園)で「40号」…通算「707号」

1976/9/25…中日-巨人戦(ナゴヤ)で「41号」…通算「708号」

1976/9/26…中日-巨人戦(ナゴヤ)で「42号」…通算「709号」

1976/9/30…巨人-広島戦(後楽園)で「43号」「44号」…通算「710号」「711号」

1976/10/1…巨人-広島戦(後楽園)で「45号」…通算「712号」

 

 

ご覧のようなペースで、王はホームラン数を積み重ね、

王貞治の通算ホームラン数は「712本」となり、ベーブ・ルース「714本」まで、あと「2本」と迫った。

だが、ここから5試合、王はホームランを打つ事が出来ず、王は少し足踏みをしていた。

そして、その間、シーズン終盤を迎え、巨人と阪神は激しい優勝争いを繰り広げていた。

どちらが優勝してもおかしくない、僅差のデッドヒートであり、当時の巨人ファン、王ファンは、

「巨人の優勝と、王の通算714本塁打達成」

を、ひたすら熱望し、連日、球場で大声援を送っていた。

そして、1976(昭和51)年10月10日~12日に、巨人の本拠地・後楽園球場で、

「巨人VS阪神」

という、優勝をかけた大一番の、首位攻防3連戦を迎えたのである。

首位・巨人を2位・阪神が追いかけるという展開だったが、

ここで、この年(1976年)の優勝の行方が決まるという、最後の決戦であった。

ちなみに、この時点での巨人の残り試合は「6試合」である。

 

<1976(昭和51)年10月10日…「巨人VS阪神」の首位決戦の1回裏、王貞治は通算「713号」ホームランを放つ~遂にベーブ・ルースの「714本塁打」に王手!!>

 

 

 

さてさて、1976(昭和51)年10月10日、秋晴れの後楽園球場で、

「巨人VS阪神」

の、首位攻防の大一番の火蓋が切って落とされた。

後楽園球場の観客席は、立錐の余地も無い、超満員である。

1回表、阪神が2点を先制した後、1回裏の巨人の攻撃を迎えた。

 

 

 

この試合、阪神の先発投手は、古沢憲司である。

1回裏、巨人は一塁にランナー・張本勲を置き、4番・王貞治が打席に立った。

王は、いつもの「一本足打法」で、古沢に相対(あいたい)したが、

巨人サイドとしては、試合展開から見ても、ここはどうしても、王には打って欲しい場面である。

 

 

 

 

 

そして、王貞治のバットは古沢憲司が投じたストレートを捉え、

打球は右中間の方向へ、高々と舞い上がった。

阪神のライト、ラインバックが懸命にこの打球を追いかけ、ジャンプしたが、僅かに及ばず、

王の打球は、右中間スタンドのギリギリに飛び込むホームランとなった。

その瞬間、大歓声が上がったが、打たれた古沢は、マウンドの土を蹴り上げ、悔しそうな表情を見せた。

 

 

 

 

これが、王貞治のシーズン「46号」、通算「713号」ホームランとなり、

王は遂にベーブ・ルース「714本塁打」「王手」を掛けた。

王は嬉しそうな表情でベースを一周し、ホームで張本に出迎えを受けたが、

チームメイトもファンも、誰もが「打って欲しい!!」と願うようなこの大事な場面で、本当にホームランを打ってしまった王は、やはり凄い。

さあ、王はこの試合で、「あと1本」を打つ事が出来るであろうか!?

 

<1976(昭和51)年10月10日…「巨人VS阪神」の首位決戦の7回裏~王貞治、古沢憲司(阪神)から、遂にベーブ・ルースに並ぶ、通算「714号」ホームランを放つ!!~「713号」「714号」の1試合2本塁打で、遂に「野球の神様」に肩を並べた、王貞治>

 

 

この試合、王の第2打席は四球に終わったが、王に四球を出してしまった、マウンド上の古沢には、

後楽園球場の観客席から、一斉に大ブーイングが起こった。

「王と、勝負しろ!!」

観客からは、古沢に対し、容赦ない野次が飛ばされたが、古沢とて、

「絶対に、王さんには打たれたくない」

と、必死の形相であった。

何しろ、阪神としても優勝がかかった大一番であり、負けるわけには行かず、従って、王に簡単に打たれるわけにも行かなかった。

そして、阪神が4-2と2点をリードした7回裏、王の第3打席を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

7回裏、王貞治の第3打席を迎えたが、古沢憲司-田淵幸一のバッテリーは、

王のタイミングを外そうと、初球、フワリとした、緩い変化球(カーブ)を投げたが、これは失投であった。

王は、その失投を見逃さず、思いっきりバットを振り抜くと、王の打球はライト方向へ高々と舞い上がった。

その瞬間、後楽園球場からは大歓声が起こり、一塁手・ブリーデンは、ただただ、上空を見上げていた。

それは、打った瞬間にわかる、大ホームランであった。

 

 

 

 

王貞治の打球は、後楽園球場のライトスタンド中段辺りに飛び込む、大ホームランとなった。

これが、王貞治のシーズン「47号」、通算「714号」ホームランである。

この瞬間、王貞治は遂に、ベーブルースの通算「714本塁打」大記録に肩を並べたのであった。

後楽園球場全体から、凄まじい大歓声と大拍手が起こったが、王は余韻を楽しむかのように、ゆっくりとベース一周をしていた。

なお、「714号」の記念ボールを巡り、ライトスタンドの観客の間で、争奪戦(?)が繰り広げられていたようである。

 

 

 

 

 

 

王は、ゆっくり、ゆっくりとベース一周をした後、チームメイトが待つホームへと帰って来た。

そして、ホームベース付近で、「714号」を記念するプレートを渡されたが、

それは、あのベーブ・ルースの写真パネルであった。

ベーブ・ルース「714号」ホームランを打ったのは、1935(昭和10)年の事だったが、

それから41年の時を経て、遂に王貞治が、ベーブ・ルース「714本塁打」に肩を並べるという偉業を達成したのである。

 

 

 

しかも、私が本当に凄いと思うのは、この首位攻防戦の大一番で、

王は「713号」「714号」という、「1試合2本塁打」で、一気にルースに並んでしまったという、その「集中力」「勝負強さ」である。

多くのファンも、これには驚いたのではないだろうか。

なお、王の「713号」「714号」が大きく物を言って、この試合は4-4の引き分けとなったが、

首位・巨人を追いかける阪神としては、痛恨の引き分けとなってしまった。

阪神としては、この3連戦を全勝すれば、一気に優勝に近付ける所だったが、好投の古沢が王に打たれ、手痛い引き分けとなった。

という事で、ベーブ・ルースと並んだ王貞治に、当然ながら、ファンは今度は「715号」ホームランを期待していた。

果たして、王はその期待に応える事が出来るであろうか!?

 

(つづく)