三谷幸喜と『鎌倉殿の13人』⑥ ~『新選組!』燃えよ剣~映画とテレビドラマで描かれた「新選組」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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2004(平成16)年、三谷幸喜は、遂に念願叶って、自身初のNHK大河ドラマの脚本を手掛ける事となった。

それが、NHK大河ドラマの通算第43作となる、『新選組!』である。

この『新選組!』で、主役の近藤勇を演じたのが、SMAP香取慎吾であった。

香取慎吾は、それまで何作品か、三谷作品に出演しており、そこで俳優としての才能を三谷に買われ、大河ドラマの主役に大抜擢された。

 

 

さて、三谷幸喜が書いた『新選組!』を語る前に、

前回の記事では、実在の「新選組」と、「新選組」を描いた諸作品について描いたが、

今回は、「新選組」を題材にした、映像化作品の歴史について、ご紹介させて頂く。

それでは、ご覧頂こう。

 

<「新選組」を題材にした映画・戦前編>

 

 

 

「新選組」を題材にした映画は、これまで多数製作されて来たが、

まずは戦前における、「新選組映画」について、ご紹介させて頂く。

1928(昭和3)年、初めて「新選組」を題材にした映画が作られたが、それが『維新の京洛 竜の巻 虎の巻』(1928)であり、池田富保監督作品で、主演の近藤勇役は大河内伝次郎であった。

その後、『新選組悲歌』(1934)という映画が有り、1937(昭和12)年には、木村荘十二監督、河原崎長十郎近藤勇役で、『新選組』(1937)という映画が撮られた。

当時は、実在の「新選組」の時代から、数十年後の頃だったが、その頃から既に「新選組」は伝説的な存在となっていた。

 

<「新選組」を題材にした映画・戦後編①…1950年代「日本映画黄金時代」における「新選組映画」>

 

 

 

 

 

戦後、日本は暫くの間、GHQに占領されており、その間は時代劇の製作は厳しく制限されていたが、

1951(昭和26)年に「サンフランシスコ講和条約」が締結され、日本が独立と主権を回復させると、

ようやく、日本映画界も活況を取り戻し、時代劇も自由に作れるようになった。

そして、1950年代に、空前の「日本映画黄金時代」が訪れたが、その頃には「新選組映画」も沢山作られた。

1952(昭和27)年、「東映オールスター時代劇」として、

『新選組 第一部京洛風雲の巻、第二部池田屋騒動、第三部魔剣乱舞』(1952)が、三部作として公開されたが、月形龍之介・片岡千恵蔵ら、大スターが共演する、華やかな映画であり、観客を熱狂させた。

この三部作では、片岡千恵蔵近藤勇を演じていた。

 

 

片岡千恵蔵は、1954(昭和29)年の東映映画『新選組鬼隊長』(1954)でも、近藤勇を演じているが、

中村錦之助・東千代之介・月形龍之介らも出演し、この映画も東映オールスター時代劇の一つである。

東映は、更にこの後も、片岡千恵蔵の主演で、「新選組映画」を次々に世に送り出して行く。

 

 

1958(昭和33)年は、日本の映画人口が「年間11億人」を記録した、

まさに「日本映画黄金時代」のピークの年だったが、

この年(1958年)に、東映はまたしても、片岡千恵蔵近藤勇役を演じた、

映画『新選組』(1958)を公開したが、

「一体、東映は何本、同じ題材で映画を作るのか」

と、ツッコミを入れたくなってしまう。

だが、それでも当時の観客は、喜んで「新選組映画」を見ていたし、それだけ片岡千恵蔵近藤勇役は魅力的だったという事だろう。

だが、この年(1958年)を頂点として、日本映画界の観客数は激減して行き、日本映画界は「斜陽」の時代を迎えて行く事となる。

 

<「新選組」を題材にした映画・戦後編②…1960年代~1970年代「日本映画の斜陽の時代」の「新選組映画」>

 

 

1960(昭和35)年、東映は、またしても片岡千恵蔵近藤勇役で、

映画『壮烈新選組 幕末の動乱』(1960)を公開した。

片岡千恵蔵の他、大川橋蔵・里見浩太朗・若山富三郎らの新鋭も出演していたが、

結果として、これが片岡千恵蔵の最後の「新選組映画」となった。だが、

「近藤勇=片岡千恵蔵」

というイメージは、当時の多くの日本人に定着しており、

近藤勇という人物像を、観客に強烈に印象付けた、片岡千恵蔵の功績は非常に大きかった。

 

 

 

 

 

 

前述の通り、日本映画界は、1958(昭和33)年をピークに、観客動員数が激減し、

1960年年代~1970年代にかけて、日本映画界は「斜陽の時代」を迎えていた。

しかし、そんな中でも「新選組映画」は、根強い人気が有ったため、続々と作られて行った。

1961(昭和36)年、東宝の労働争議によって分裂した新東宝で、嵐寛寿郎近藤勇を演じた『風雲新選組』(1961)が公開されたが、東映以外での「新選組映画」は、戦前以来の事である。

1963(昭和38)年には、大映市川雷蔵が主演の『新選組始末記』(1963)が公開されたが、

この映画は、子母澤寛『新選組始末記』を原作としている。

同年(1963)、「新選組映画」の本家本元の東映が、市川右太衛門の主演で『新選組血風録 近藤勇』(1963)を公開したが、この映画の原作は司馬遼太郎の同名小説(短編集)である(※市川右太衛門は、北大路欣也の父親)。

翌1964(昭和39)年、東映大川橋蔵・河原崎長一郎らが主演した『幕末残酷物語』(1964)を公開したが、この映画のタイトルは大島渚監督の映画『青春残酷物語』(1960)を意識した物であろう。

この頃になると、「新選組映画」にも、虚無的な匂いが漂っている。

そして、1966(昭和41)年には、松竹映画で、栗塚旭土方歳三を演じた『土方歳三 燃えよ剣』(1966)が公開された。

言うまでもなく、この映画の原作も、司馬遼太郎の同名小説である。

 

 

1969(昭和44)年、大スター・三船敏郎「出演100本記念映画」として、

三船プロダクションが製作、東宝が公開した映画『新選組』(1969)が公開されたが、

三船敏郎が、最初で最後の近藤勇役を演じている。

だが、もはや「新選組」だけでは客は呼べず、加山雄三主演の『ブラボー!若大将』との二本立てで公開された。

 

 

1974(昭和49)年、東宝で草刈正雄が主演の映画『沖田総司』(1974)が公開された。

その名の通り、草刈正雄沖田総司役を演じているが、この映画の後、暫く「新選組映画」は作られなくなってしまった。

時代劇は莫大な予算がかかる上、観客も見に来てくれないのでは、もはや映画を作り続けるわけには行かなくなっていた。

だが、そんな中、数年後に、異色の「新選組映画」が誕生し、大ヒットを記録する事となる。

 

<1982(昭和57)年…「新選組映画」を作る人々を題材にした映画『蒲田行進曲』が大ヒット!!~「池田屋事件」の「階段落ち」の場面が話題に>

 

 

 

 

 

劇作家の、つかこうへいは、1980(昭和55)年、『蒲田行進曲』という舞台劇の脚本を書き、上演されたが、

『蒲田行進曲』は、『新選組』の映画撮影が行われている、京都の映画撮影所が舞台の物語である。

主な登場人物は、土方歳三を演じる、大スター俳優の倉岡銀四郎(銀ちゃん)と、彼を慕う大部屋俳優のヤス、そして銀ちゃんの恋人の女優・水原小夏の3人だが、銀ちゃんは、小夏が自分の子供を身ごもったと知ると、その子供をヤスに押し付け、何処かへと去って行ってしまう(※酷い奴である)。

ヤスも、小夏に惚れているが、小夏のお腹に居る子供が自分の子ではないと知りながら、ヤス小夏と結婚する。

そして、ヤス小夏のために、お金を沢山稼ごうと、体当たりで危険なスタントをこなして行く。

小夏も、当初は銀ちゃんの事が忘れられずにいたが、そんな健気なヤスに、徐々に惹かれて行く。

そんな中、ヤス『新選組』映画のクライマックスである、「池田屋事件」の、危険な「階段落ち」のシーンのスタントに挑む事となるが、その時、銀ちゃんが帰って来る…というようなストーリーである。

1980(昭和55)年、舞台劇の『蒲田行進曲』が上演された時は、

 

・銀ちゃん(銀四郎)=加藤健一

・ヤス=柄本明

・小夏=根岸季衣

 

という配役だったが、

『蒲田行進曲』は大ヒットとなり、映画界でも注目された。

何しろ、古き良き映画撮影所が舞台の物語であり、しかも、かつてのドル箱「新選組映画」が出て来る話なのだから、映画界がこの題材を放っておく筈もなかった。

そして、つかこうへいが創造した、上記3人のキャラクターが、とても魅力的だったという事が、映画界がこの作品に食い付いた、最大の要因であろう。

 

 

 

 

 

 

1982(昭和57)年、『蒲田行進曲』は、深作欣二監督で映画化されたが、

撮影所として使われたのが、松竹撮影所だったのだが、「角川映画」として製作された、異色の映画である。

そして、主演の3人の配役は、映画版『蒲田行進曲』(1982)では、

 

・銀ちゃん(銀四郎)=風間杜夫

・ヤス=平田満

・小夏=松坂慶子

 

という配役となった。

舞台劇の『蒲田行進曲』で、チョイ役として出演していた風間杜夫が、主役の銀ちゃん役に抜擢され、

ヤス平田満、小夏松坂慶子が、それぞれ演じている。

松坂慶子は、2人の男の中で揺れ動く女性を好演したが、この映画は、この3人の代表作となった。

 

 

 

 

『蒲田行進曲』のクライマックスといえば、やはり、「新選組」の「池田屋事件」の「階段落ち」の場面だが、

このスタントシーンは命懸けであり、「階段落ち」をやってしまうと、下手すれば命を落とす可能性もあり、半身不随になってしまう人も居た。

そんな「階段落ち」に、ヤスは命懸けで挑んで行くわけだが、「新選組」といえば、この場面を連想する人も多いのではないだろうか。

という事で、古き良き映画界の舞台裏を描いた『蒲田行進曲』は大ヒットを記録し、映画界で久々に「新選組」が存在感を示したと言って良い。

 

<テレビドラマで描かれた「新選組」①(1960~1970年代)>

 

 

映画界が、1960~1970年代にかけて、「斜陽」の時期を迎えた事は、既に述べたが、

それは何故かといえば、新興メディアであるテレビに、客が奪われたという側面も大きかった。

テレビというメディアは、1960~1970年代にかけて急成長したが、

その中で、「新選組」を題材にしたテレビドラマも、数多く作られた。

1961(昭和36)年、TBSで放送された『新選組始末記』(1961)は、中村竹弥近藤勇を演じ、大評判となったが、これを機に、多数の「新選組ドラマ」が作られて行く。

 

 

 

 

1965(昭和40)~1966(昭和41)年に、NET(テレビ朝日)で、全26話で放送された、

司馬遼太郎・原作の『新選組血風録』(1965~1966)で、栗塚旭土方歳三を演じたが、

栗塚旭は、更に1970(昭和45)年に、NET(テレビ朝日)で全26話で放送された、

同じく司馬遼太郎・原作の『燃えよ剣』(1970)でも土方歳三を演じ、

「土方歳三=栗塚旭」

というキャラクターが、視聴者に強烈に印象付けられた。

勿論、それは三谷幸喜とて同様であり、少年時代の三谷は、栗塚旭が演じる土方歳三に、強烈な憧れを持った。

 

 

 

1973(昭和48)年、フジテレビで、鶴田浩二近藤勇役を演じた『新選組』(1973)が、全19話で放送されたが、何と、このフジテレビ版の『新選組』でも、栗塚旭土方歳三を演じている。

この頃、土方歳三役は、栗塚旭以外には考えられないほど、ハマリ役だったという事であろう。

違うテレビ局でも、同じ役を演じるというのは、今見ても、かなり凄い事である。

 

 

1977(昭和52)年、TBSで全26話で放送された、『新選組始末記』(1977)は、

近藤勇(平幹二朗)・土方歳三(古谷一行)・沖田総司(草刈正雄)

というメンバーで、放送された。

草刈正雄は、映画でも沖田総司を演じており、それを意識したキャスティングとなった。

 

<テレビドラマで描かれた「新選組」②(1980~1990年代)>

 

 

 

 

1982(昭和57)年、TBSで放送された『沖田総司 華麗なる暗殺者』(1982)では、

郷ひろみ沖田総司役を演じていたが、このドラマは沖田総司にスポットを当て、

近藤勇が登場しないという、異色の「新選組」物であるが、

当時、人気絶頂だった郷ひろみの主演という事で、話題になった。

 

 

 

1983(昭和58)年、NHK土曜ドラマとして、全23話で放送された、

『壬生の恋歌』(1983)は、異色の「新選組物」であった。

近藤勇(高橋幸治)・土方歳三(夏八木勲)・沖田総司(利倉亮)ら、

「新選組」の「ビッグ3」は、勿論、登場するが、

『壬生の恋歌』の主役は、架空の「新選組」隊士・入江伊之助(三田村邦彦)である。

その他、架空の平隊士にスポットを当て、「新選組」の青春群像が描かれた。

 

 

 

 

 

 

また、『壬生の恋歌』は、前述の三田村邦彦の他、

若かりし頃の、内藤剛志・遠藤憲一・笑福亭鶴瓶・渡辺謙・秋吉久美子らが登場し、

この人達が、一斉にスターへの階段を上り始めた、記念碑的な作品でもあった。

「新選組物」は、いつしか、若手の登竜門のようになっていた。

なお、三谷幸喜は、当時、そろそろ新進気鋭の脚本家として、活躍し始めていた時期である。

 

 

 

 

1984(昭和59)年、日本テレビで放送された、

『燃えて、散る 炎の剣士 沖田総司』(1984)では、

田原俊彦沖田総司を演じ、その他、土方歳三(柴田恭兵)・近藤勇(若林豪)らが脇を固め、

沖田総司(田原俊彦)が思いを寄せる遊女役で、石原真理子が出演している。

前述の郷ひろみもそうだが、どうやら沖田総司役は「若手イケメン枠」(?)になりつつあった。

 

 

 

 

 

1987(昭和62)年、テレビ東京の大型時代劇として放送された『新選組』(1987)では、

近藤勇(松方弘樹)・土方歳三(竹脇無我)・沖田総司(東山紀之)が、

それぞれ「新選組」ビッグ3を演じているが、このドラマでも、やはり沖田総司は「若手イケメン枠」である。

そして、近藤勇は重厚な大物俳優、土方歳三も華の有る大物俳優が演じるのが、もはや「お約束」であった。

 

 

 

1990(平成2)年、テレビ東京の大型時代劇として、

司馬遼太郎・原作の『燃えよ剣』(1990)が、またしてもドラマ化された。

土方歳三役は役所広司、近藤勇役は石立鉄男が演じ、その他、個性派俳優達が脇を固めている。

「一体、『燃えよ剣』は、何回、映像化されているのか」

と思ってしまうが、それだけ魅力的な題材という事であろう。

 

 

1992(平成4)年、TBSで単発ドラマとして放送された、

『新選組 池田屋の血闘』(1992)は、「池田屋事件」にのみ、スポットを当てた作品であり、

里見浩太朗(近藤勇)・土方歳三(地井武男)・沖田総司(野村宏伸)が、

「新選組」ビッグ3として登場している。

もはや、「新選組物」は映像化され尽くした観も有ったが、色々と視点を変えながら、まだまだ映像化は続いていた。

 

 

 

1998(平成10)年、テレビ朝日の開局40周年記念ドラマとして、

司馬遼太郎・原作の『新選組血風録』(1998)が全10話で放送され、

近藤勇(渡哲也)・土方歳三(村上弘明)・沖田総司(中村俊介)が、

それぞれ「新選組」ビッグ3を演じている。

なお、余談だが、村上弘明法政大学OBである。

 

<1991(平成3)年…映画『幕末純情伝』公開~つかこうへい・原作、「沖田総司は女だった!?」という設定の、異色の「新選組映画」>

 

 

 

 

1991(平成3)年、異色の「新選組映画」が公開された。

それが、あの『蒲田行進曲』を書いた、つかこうへい・原作の『幕末純情伝』という映画であるが、

何と、「沖田総司は女だった!?」という設定の下、

沖田総司(牧瀬里穂)・坂本龍馬(渡辺謙)・土方歳三(杉本哲太)「三角関係」が、描かれている。

「沖田総司は、若手イケメン枠」

というイメージが定着して久しかったが、つかこうへいは、

「沖田総司=美少年」

というイメージを逆手に取り、沖田総司を女性にしてしまうという、斬新な発想の作品を生み出した。

これが、久々の「新選組映画」だったが、この後、「新選組映画」復権の時代が到来し、

三谷幸喜が書く事となる、『新選組!』登場の舞台が整えられて行った。

 

(つづく)