【当ブログ誕生6周年】2013/5/22 当ブログ誕生の日~2013年春「法明V決戦」の思い出~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

本日(5/22)は、今から6年前の2013(平成25)年に、当ブログが開設されてから、ちょうど丸6年が経過した。

 

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2013(平成25)年5月22日、私は当ブログを書き始めたが、以前、別の記事でも書いた通り、当ブログを始めたのは、

 

2013(平成25)年春の東京六大学野球で、法政と明治の両校が「勝ち点4」同士で激突する事が決まり、

その優勝をかけた法明戦を記録する事が、当ブログを始めた、最大の目的であった。

 

 

この優勝をかけた大一番の法明戦は、1勝1敗1分の後、4回戦にまでもつれ込む死闘であった。

私は、この優勝をかけた「法明4連戦」の死闘を、全て神宮球場で見たが、両校の激闘は、今もなお、鮮明に脳裏に焼き付いている。

最後は、法政が一歩及ばず、明治に惜敗し、誠に残念ながら、法政が優勝を逃すという結末で終わってしまったが、

今回は、当ブログを始めた頃の思い出と、この「法明V決戦」について、振り返ってみる事としたい。

 

<2012年秋、金光監督率いる法政野球部が優勝!!三嶋が法明戦で「2日連続完投勝利」で、法政を優勝に導く>

 

 

 

 

2012(平成24)年秋、法政はエース・三嶋一輝投手を中心とした強力チームで、2009(平成21)年春以来、6季振りの優勝を達成した。

金光興二監督は、三嶋を1年生の頃から積極的に起用していたが、その三嶋がデビューした1年春(2009年春)以来の優勝であり、

まさに、金光監督が手塩にかけて育て上げたチームの、集大成とも言えるシーズンであった。

 

 

2012(平成24)年秋は、法政は最終カードの法明戦を前にして、「法明戦に連勝すれば優勝」という状況であったが、何と、金光監督は、三嶋を2日連続で先発投手としてマウンドに送り、その期待に応え、三嶋2日連続監督勝利(スコアは、3-2、6-1で、法政が連勝)という見事な投球で、法政を優勝に導いた。

 

1回戦で完投勝利を挙げた三嶋が、2回戦でも投げるという事で、当時、私は本当にビックリしたが、

その三嶋が、何と2日連続で完投勝利を挙げたというのには、もっと驚いた。

金光監督も、相当な勝負師だと思ったが、こんな化け物じみた投球をしてしまった三嶋も、本当に凄かった。

この事を見ても、私が三嶋神様のように崇めている理由がわかって頂けるのではないだろうか。

 

ともあれ、法政の優勝が決まった時、私は法政側の応援席に居たが、法政優勝が決まった瞬間、法政側の超満員の応援席から大歓声が起こり、一斉に、スクールカラーのオレンジ色の紙テープが、グラウンドに向かって投げ入れられた。

あの時の優勝の感激は、あれから7年が経った今でも、ハッキリと覚えている。

 

<2013年春、金光監督が「クーデター」により失脚…法政野球部で、まさかのゴタゴタが発生。神長英一・助監督が、後任監督に昇格>

 

 

ところが、翌2013(平成25)年春の開幕直前、法政野球部で、前代未聞の大騒動が起こった。

金光監督が、当時の選手達のボイコットに遭い、シーズン開幕1週間前で、まさかの辞任に追い込まれたのである。

選手達の言い分によると、「金光監督のパワハラが酷かった」というものであったが、ともかく、選手達によるクーデーターにより、金光監督は失脚した。

しかし、「何故、開幕直前の、こんな時期に…」と、私をはじめ、この騒動には不可解な事が多すぎて、首を傾げざるを得なかった。

 

後任の監督には、当時の助監督・神長英一が昇格したが、

開幕前の時期に、こんなクーデーター騒ぎが起こっているようでは、今年の法政はダメだろうなと、当時の法政ファンは皆、諦めムードであった。

 

<神長監督率いる法政、まさかの開幕8連勝!!「勝ち点4」で法明戦を迎える>

 

 

 

ところが、開幕前のゴタゴタが、良い方向に作用したのか、法政は破竹の快進撃を続けた。

何と、法政は開幕から東大、慶応、立教、早稲田を、4カード連続で、全てストレートで破り、

法政は、8戦全勝の「勝ち点4」で、「完全優勝」に王手をかけた状態で、最終カードの法明戦を迎える事となった。

その4カードのスコアは、下記の通りである。

 

法政○10-1●東大 船本

法政○9-3●東大 石田

法政○6-3●慶応 船本

法政○4-0●慶応 石田

法政○10-1●立教 船本

法政○2-1●立教 石田

法政○9-2●早稲田 石田

法政○9-3●早稲田 船本

 

(※スコアの右横の人名は、法政側の責任投手)

 

恐らく、「ここで結果を出さないと、周りから何を言われるかわからない」という危機感が、上手い具合に、良い方向に転がったのではないかと思われるが、私も、まさか、このシーズンの法政が、ここまで強いとは想像もしていなかったので、本当にビックリしたものである。

 

<明治も、「勝ち点4」で法明戦へ…3カードを2勝1敗で制す、「粘りの明治」の不気味さ>

 

 

 

一方、法政のライバル・明治も、4カード連続で「勝ち点」を奪い、法政と同じ「勝ち点4」で、法明戦を迎える事となった。

善波達也監督率いる明治は、エース・山崎福也(現・オリックスバファローズ)や、安打製造機・高山俊(現・阪神タイガース)らの大活躍で、実に粘り強い戦いを見せていた。

その2013(平成25)年春、明治が法明戦を迎えるまでの試合結果は、下記の通りである。

 

明治○5-3●立教 山崎

明治●0-1○立教 関谷

明治○1-0●立教 山崎

明治●1-10○早稲田 山崎

明治△2-2△早稲田

明治○9-1●早稲田 山崎

明治○5-1●早稲田 関谷

明治○10-0●東大 山崎

明治○2-0●東大 関谷

明治●3-5○慶応 山崎

明治○4-0●慶応 関谷

明治○2-0●慶応 山崎

 

(※スコアの右横の人名は明治側の責任投手)

 

明治は、法政とは対照的に、苦戦の連続であった。

明治は、東大戦こそ、ストレートの連勝で下したものの、それ以外のカードは、全て2勝1敗という際どい勝負を制しており、特に、早明戦は2勝1敗1分という大激戦を制していた。

つまり、明治は法明戦を迎える前に、「勝ち点4」を取っていたとはいえ、既に3敗もしていたのである。

 

こうして見ると、勢いから見て、法政が有利ではないかと思われたが、

逆に言えば、明治には逆境を何度も乗り越えて来たという強さが有った。

今にして思えば、このシーズンは、実に明治らしい粘り強さ、しぶとい強さが有ったのだが、当時の私としては、それでも法政が勝つ事を信じて疑わなかった。

 

<2013年5月22日(水)…当ブログ「頑張れ!法政野球部」開設!!…法政野球部の優勝の「前景気」を煽りまくる>

 

 

 

 

そして、「勝ち点4」同士の法明決戦が遂に実現する事が決まり、

2013年5月22日(水)、私は当ブログ「頑張れ!法政野球部」を開設した。

私が法政に入学して以来、法政と明治が、最終カードで「勝ち点4」同士でぶつかるというのは、実は初めてであり、

「いつか、実現したら良いな」と、長年思っていた事が、とうとう実現してしまったのである。

私は、その事がとても嬉しく、その勢いのまま、このブログを始めてしまった。

 

その事は、当ブログを始めた初日の記事にも書いているが、

ともかく、当時の私としては、「勝ち点4」同士の法明戦は、本当に面白い勝負になる事は間違い無いし、

素晴らしい試合が見られそうだという事に、とてもワクワクしていた。

なお、本音を言えば、恐らく法政は最後には明治を倒し、優勝してくれるだろうから、

その法政優勝を祝福する記事を書こう、そのために、このブログで、思いっきり「前景気」を煽っておこうというようなつもりであった。

 

ちなみに、当時の法政野球部の主将は、2009(平成21)年夏の甲子園で、中京大中京が優勝した時の主将でもあった河合完治であり、ショートの西浦直亨も、打ちに打ちまくっていたが、彼らを中心とした、法政の強力打線が明治を粉砕するであろうと、私は信じて疑わなかった。

 

 

ところで、全くの余談であるが、今年(2019年)の5月は、2013年と、日付と曜日の進行が全く同じである。

つまり、5/22というのは、2013年も水曜日だったし、今年(2019年)も水曜日なのだが、

6年前の5/22(水)の夜、私は、このブログを書き始めたのであった。

当時は、本当にワクワクしていたなあと、当時の心境は、ハッキリと思い出す事が出来る。

 

<そして、伝説の2013年春「法明V決戦」の死闘…法政が明治の粘りの前に力尽き、惜しくも優勝を逃す>

 

 

 

そして、5/25(土)、遂に運命の「血の法明戦」の時を迎えた。

両校ともに優勝をかけた最終決戦という事で、法政側も明治側も、応援席はギッシリ超満員に埋まっていた。

私も、「法政の優勝を見届けたい!!」という一心で、朝早くから神宮球場に行った。

その2013年春の法明戦の詳しい試合経過については、6年前に既に書いているので、敢えて繰り返さないが、

法政は、それまで、あまり出番が少なかった4年生の左腕・納富秀平が、法明戦で突如、覚醒し、目の覚めるような快投を見せてくれた。

そして、当時3年生の石田健大(現・横浜DeNAベイスターズ)も、力投を見せた。

 

しかし、結論から言えば、法政は下記のスコアで、最後は明治の粘りの前に屈してしまい、惜しくも優勝を逃してしまったのであった。

 

5/25(土) 法政〇9-5●明治 納富

5/26(日) 法政△5-5△明治

5/27(月) 法政●3-6〇明治 石田

5/28(火) 法政●2-3〇明治 石田

 

(※スコアの右側の人名は、法政側の責任投手)

 

法政は、初戦で打線が爆発し、明治を圧倒して勝利し、開幕9連勝で、遂に優勝に王手をかけた。

法政打線の威力は本当に凄まじく、私は初戦を見た段階で、「法政の優勝、間違い無し!!」と思った。

当時、その事については、当ブログにも書き記している。

 

 

しかし、法政は2戦目に、逆転のチャンスが有りながらも、惜しくも逆転する事は出来ず、5-5の引き分けに終わると、ここから法政の運命は暗転してしまった。

特に、明治の左腕・山崎福也を打ち崩す事が出来なかったのは、本当に痛かった。

 

 

 

そして、1勝1敗1分で迎えた4回戦、5/28(火)の4回戦で、法政は明治に2-3で敗れてしまった。

この結果、明治が「法明4連戦」の死闘を制し、遂に、明治が粘りに粘って、優勝を勝ち取ったのであった。

法政の最後の打者、皆川がレフトフライに打ち取られ、ゲームセットになった後、明治の選手達が一斉にマウンドに集まり、明治側のスタンドで、一斉に、スクールカラーの紫の紙テープが投げられた瞬間を、私は今でもハッキリと思えている。

 

<戦いが終わり…明治の応援団長に対し、大きく手を振り、祝福の合図を送った、法政の応援団長。試合が終われば「ノーサイド」の、学生野球の素晴らしさ>

 

 

 

勝者と敗者の差は、あまりにも歴然としていた。

法政側スタンドでは、明治の歓喜の瞬間を、皆、呆然とした表情で眺めていた。

私の応援仲間である女性の方は、悔し涙を流していた。

 

法政側の応援席では、初戦に勝った後、毎試合、応援団により、優勝した時に投げられる筈の、法政のスクールカラーの紙テープが、観客達に配られていたが、それは遂に投げられる事なく、終わってしまったのであった。

法政の選手達も、足取り重く、試合終了の整列に並んだが、それでも、精一杯、戦った選手達に、法政側スタンドからは、大きな拍手が起こった。

 

平日の火曜日にも関わらず、法政側も明治側も、応援席には多くのファンが詰めかけていたが、最後は、両校の応援席から、選手達の健闘を称える大拍手が起こっていた。

そして、両校のエール交換が全て終わった後、当時の法政の応援団長は、反対側の明治の応援団長に対し、「優勝、おめでとう!!」というように、大きく手を振っていた。

明治の応援団長も「有り難う!!」というように、大きく手を振り返していた。

 

その爽やかな姿は、今でも鮮明に目に焼き付いているが、実は、前年(2012年)秋の法明戦、法政が優勝した後、歓喜のセレモニーが終わるまで、明治側の選手達は皆、引き上げずに、ずっと待ってくれていたのであった(すぐに帰っても良い状況だったにも関わらず)。

 

こういう所が、学生野球の素晴らしさであり、私が、東京六大学野球が大好きな所以である。

ともあれ、当ブログの歴史は、かように歴史的な、「法明V決戦」を記録する所から始まったのであった。