2019年春 横浜散歩②…2019/3/30 横浜DeNA-中日戦の観戦記と「法政コレクション」 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

3/30(土)、私は友人のAさん(横浜DeNAベイスターズのファン。男性)と、その奧さんのBさん(北海道日本ハムファイターズのファン)のご夫妻と、横浜スタジアムに、横浜DeNAベイスターズ中日ドラゴンズの開幕2戦目を見に行った。

 

 

前回の記事でも述べた通り、私は運良く、この試合のライトスタンドのチケットを手に入れたのだが、

前日(3/30)の開幕戦で、今永昇太完封勝利で、8-0という快勝を飾ったDeNAは、当然の如く、連勝を狙っていた。

そして、勿論私達も、ベイスターズの連勝を期待して、横浜スタジアムにやって来たのである。

 

<DeNAの先発は京山将弥、中日の先発は「DeNAキラー」山井大介>

 

 

 

DeNAの先発は、昨年(2018年)、プロ1年目で6勝を挙げた京山将弥である。

プロ2年目を迎えた京山に対し、アレックス・ラミレス監督も大きな期待をかけており、

開幕2戦目という大事なマウンドを託した。

 

 

 

 

 

一方、中日の先発は、今年(2019年)、41歳を迎える山井大介である。

山井大介といえば、名うての「DeNAキラー」として有名であるが、

2013年6月28日のDeNA戦では、山井見事にノーヒットノーランを達成しており、

昨年(2018年)5月22日のDeNA戦でも、自身4年振りの完封勝利を挙げ、

プロ野球史上9人目の「40代勝利投手」を達成している。

 

このように、ベイスターズは何度となく山井に煮え湯を飲まされて来ており、

そんな相性の良さを買って、中日の与田剛・新監督は、山井を先発投手に起用した。

 

果たして、両監督の思惑や如何に!?…といった所であったが、

私もAさんも、「横浜、良い加減に、そろそろ山井を打ち崩せよ…」というような会話をしていた。

いくら何でも、山井にやられっ放しでは情けないというものである。

 

<2回表、思わぬアクシデントにヒヤリ…ソトと楠本が激突>

 

 

 

そんな中、始まった試合であるが、2回表、思わぬアクシデントが有った。

2死から、中日の6番・高橋周平が、セカンドの後方にフラフラっと上がる打球を打ち上げたが、

この打球を、DeNAの二塁手・ソトと、ライトの楠本泰史が、共に追い掛けた。

そして、この打球を捕ろうとした2人は、そのまま激突してしまったのである。

 

「あっ!!」

私は、思わず声を上げたが、ライトスタンドを埋めたベイスターズファンからも、一斉に悲鳴が上がった。

激突したソト楠本は、その場で倒れ込み、暫く動けなくなってしまった。

横浜スタジアム全体は、一気に騒然となったが、ソト楠本も、一旦、治療のためにベンチへと退いた。

スタンド全体は、暫くはザワついていたが、やがて二人ともグラウンドに姿を現し、再び守備に就くと、

DeNAファンからも、中日ファンからも、一斉に拍手が起こった。

 

どうやら、大事には至らなかったようであり、

私も、AさんBさんご夫妻も、まずはホッと胸を撫でおろした。

 

<DeNAの京山、期待に応えられず、ノックアウト…。>

 

 

 

しかし、DeNAの京山は、3回表、中日の1番・平田良介に、レフトへの先制のタイムリー二塁打を浴びてしまった。

更に、京山は4回表に、堂上直倫、高橋周平、大野奨太3本のタイムリー二塁打を打たれてしまい、この回、3点を失った。

為す術なく、中日打線に捕まってしまった京山は、結局、4回表の途中でノックアウトとなったが、

京山の残念な投球内容に、ベイスターズファン全体から、大きな溜息が漏れた。

 

「やっぱり、京山じゃダメだと思ったよ」

一緒に見ていたAさんは、京山をバッサリと切り捨てた。

「もっと早く代えれば良かったのにね」

Bさんも、京山には容赦無かった。

確かに、この日の京山の投球内容を見れば、そう言われても仕方ないような出来であった。

ともかく、DeNAは4回までに早くも中日に0-4とリードされる、苦しい展開となった。

 

<三上朋也・三嶋一輝の法政コンビが登場!!>

 

 

 

 

こうして、期待に応えられず、先発の京山は降板してしまったが、

3番手としてマウンドに上がった三上朋也は、4回表の1イニングを無失点とピシャリと抑えた。

また、6回表に5番手のとして登板した三嶋一輝も、1点を失ったとはいえ、まずまずの投球を見せた。

 

言うまでも無い事だが、三上朋也三嶋一輝は、

かつて法政大学のエースとして大活躍した、言わば「法政コンビ」である。

どういうわけだか、ベイスターズは法政出身の投手が大好きなようで、

今まで、法政OBの投手が、多数入団している。

 

<ベイスターズの「法政コレクション」とは!?>

 

 

 

 

横浜ベイスターズの、法政出身の投手で、まず思い出されるのは、

1999(平成11)年、ドラフト2位で横浜に入団した、矢野英司である。

矢野英司(横浜高校出身)は、法政では山中正竹監督の秘蔵っ子で、大エースとして活躍し(1994~1997年。六大学通算22勝)、

大きな期待を受けて、横浜ベイスターズに入団した。

 

背番号も、球団の伝統のエース番号「17」を背負い、新人ながら開幕戦でいきなりデビューを果たしたが(延長戦で登板)、

その開幕戦で、矢野は不運にも敗戦投手となってしまった。

その後、矢野は怪我も有って、残念ながらプロでは大成出来ず、実働4年で通算4勝7敗、防御率6.24という成績に終わった。

矢野には、私も期待していただけに、非常に残念であった。

 

 

 

次に、法政から横浜ベイスターズに入団したのは、加賀美希昇(桐蔭学園出身)である。

法政では、通算16勝10敗(2007~2010年)の成績を残した加賀美は、

2011(平成23)年、ドラフト2位で横浜ベイスターズに入団し、背番号「21」を貰うなど、大きな期待をかけられていた。

しかし、加賀美もまた、故障なども有り、プロではあまり活躍出来ず、実働4年で通算5勝10敗 防御率4.32という成績に終わり、

2015(平成27)年限りで戦力外通告を受け、そのまま引退した。

 

 

 

次に、法政投手陣として、プロの世界に飛び込んだのは、三上朋也(県岐阜商出身)であった。

三上朋也は、法政では加賀美希昇が1年先輩で、三嶋一輝は1年後輩にあたる。

三上は、法政時代に通算10勝8敗(2008~2011年)という成績を残した。

 

その後、社会人のJX-ENEOSを経て、2014(平成26)年、三上はドラフト4位でDeNAに入団し、

その後、三上は主にリリーフとして大活躍し、DeNA投手陣を支えているというのは、周知の通りである。

 

 

 

 

 

そして、法政の大エースとして、1年春(2009年春)と4年秋(2012秋)という、一番美味しい時期に優勝し、

法政では通算13勝8敗の成績(2009~2012年)の成績を残した三嶋一輝(福岡工出身)は、

法政投手陣の真打登場といった趣で、2013(平成15)年にドラフト2位でDeNAに入団し、背番号「17」を背負った。

私も、三嶋は大好きな投手なので、かなり期待していたが、当初はプロの壁にぶち当たり、なかなか思うような投球が出来なかった。

 

しかし、三嶋は昨年(2018年)、リリーフに転向し、ようやく大活躍を見せてくれた。

そして、引き続き今年(2019年)も、ベイスターズの勝利の方程式の一翼を担っている。

三嶋には、今後も頑張って頂きたい。

 

 

 

そして、法政では三嶋の2年後輩で、左腕のエースとして法政の4年間で通算19勝(8完投3完封)16敗(2011~2014年)の成績を残したのが、石田健大(広島工出身)である。

石田健大は、2014(平成26)年にドラフト2位でDeNAに入団し、背番号「14」を背負い、2017~2018年には2年連続開幕投手を任されるなど、大いに期待されているが、2016(平成28)年に9勝4敗の数字を残して以来、成績は下降気味である。

まだまだ、石田の力はこんな物ではないと思うので、一層奮起して頂きたい。

 

なお、石田の入団により、一時期、ベイスターズの投手陣には、加賀美、三上、三嶋、石田と、法政出身者が4人も揃い、

「ベイスターズの法政コレクション」と称されていたのであった。

勿論、私としても、彼らの事は、大いに期待して、応援している次第である。

 

<3番手・国吉佑樹が滅多打ちに遭い、試合をぶち壊し…>

 

 

 

 

 

さて、この試合についての話に戻ると、6回表に4番手として登板した国吉佑樹が、

中日打線の滅多打ちに遭い、この回に4点を失ってしまい、試合をぶち壊してしまった。

これで、DeNAは中日に1-8とリードを広げられ、この試合は勝負あった、という感じになってしまったが、

Aさんは、国吉には全く期待しておらず、「やっぱりな。こうなると思ったよ」と、またしてもバッサリと切り捨てていた。

 

聞けば、Aさんもかつては国吉には大いに期待していたのだが、毎年、不甲斐ない投球が続き、遂には見限った、との事であった。

私も、この試合の国吉の投球にはガックリさせられたが、それはともかく、この試合はベイスターズとしては、殆んど良い所は無かったのだが、それでもベイスターズのファンは大いに盛り上がり、試合を楽しんでいるといった風情であった。

 

<中日の与田剛・新監督が初勝利!!>

 

 

 

結局、ベイスターズは、またしても中日の山井に翻弄され、そのまま、為す術なく1-9で完敗を喫した。

そして、中日の与田剛・新監督は、2試合目にして、嬉しい初勝利を挙げたのだった。

 

 

 

与田剛といえば、かつて、中日に入団したプロ1年目の1990(平成2)年に、当時の星野仙一監督に、抑えの切り札として大抜擢され、

その期待に応えた与田剛は、ルーキーながら、50試合に登板して、4勝5敗31セーブ 防御率3.26という大活躍を見せた。

与田の剛速球と、派手なガッツポーズは、多くのファンを魅了したが、与田結局はこの年ぐらいしか大活躍は出来なかったものの、人々に鮮烈な印象を残し、そして、遂には中日の監督の座に上り詰めたのである。

 

 

 

こうして、試合は中日が9-1で勝利と、一方的な内容に終わったが、

夕闇迫る横浜スタジアムの景色は、大変美しかった。

そして、私としても、それなりに楽しめたといったところであった。

 

(つづく)