2014(平成26)年10月13日に、当ブログに掲載させて頂いた、十勝花子さんのインタビュー記事について、
前編に続き、後編を再掲載させて頂く事とする。
私としては、紆余曲折を経て、7年振りに法政野球部の現場に復帰する、金光興二氏に、是非とも、この記事を捧げたい気持ちである。
そして、このインタビューの2年後(2016年8月21日)に亡くなった十勝花子さんには、
是非とも、また金光氏が法政野球部の指揮を執る姿を見て頂きたかったなと思っている。
そして、改めて、このインタビューを受けて頂いた十勝花子さんには、心からの感謝の気持ちと、哀悼の意を捧げたい。
(金光興二氏(左)と、十勝花子さん(右))
<金光監督就任を後押ししたのは、十勝さんだった!?>
(2003年、法政野球部監督就任当時の金光興二(中)と、盟友・江川卓(左))
十勝さん「(金光さんが)家を買って、私とパパが、
広島に遊びに行ったのが、(2002年の)夏だったのよ」
私「はい」
十勝さん「その年の11月ぐらいに、彼から、ウチに電話が来たのね。
『実は、法政の野球部の監督に、ならないか?』という話が、来てると」
私「ほう!」
十勝さん「『でも、広島に家も買っちゃったし、会社の仕事も有るし…』とか、彼も言ってたわけ」
私「はい」
十勝さん「その年にね、ウチの車に乗せて、コーちゃんを、
会社まで送って行った事が有ったわけ。で、『じゃ、またね~』って、
見送ったんだけどさ…。その時に、コーちゃんが、
背広を着て、鞄を持って、会社に向かって歩いて行ったの」
私「ええ」
十勝さん「その、コーちゃんの後ろ姿を見て、私が、パパに言った言葉。
『似合わないよね~!やっぱり、コーちゃんは、背広じゃなくて、ユニフォームに、グローブでしょうよ!』ってね、そう言ったの!」
私「なるほどね~!」
十勝さん「でさ、コーちゃんが、『橋の件は、どうとか、こうとか』って、言ってたんだけど、そんなのよりさ、やっぱり、この人には、野球の神様が付いてる筈なんから、
コーちゃんは、野球の素晴らしさを広めるために、この世に生まれてきた人なんだから、(背広姿なんて)似合わないよね~!って、実は言ってたの。
それで、その年の秋に、パパに電話が有ったの」
私「そうだったんですね!」
十勝さん「その時に、パパが、
『コーちゃんが色々、悩んでるみたい』
って言ってる、っていうから、私はパパに、
『何言ってるの!法政大学の監督に、なりたくてもなれない人なんて、何千人、何万人、居ると思ってんの!それを、向こうから、やって下さいっていうんだから、是非ともやるべきだよ!男冥利に尽きるでしょうよ!パパ、コーちゃんに、そう言ってやんなよ!』
って、私は実は、その時に言ったのよ」
私「そうだったんですね!確かに、そういう話が来たなら、
もう、やらない手は無いですよね」
十勝さん「ね!その時は、彼の奥さんも、最初は反対してたみたいなんだけどね…。家も買ったばかりだし、会社も休んで行くわけでしょ?帰って来ても、自分の机が有るかどうかなんて、わからないわけだしね」
私「そうですよね」
十勝さん「でね、私が言った事を、パパが、コーちゃんに伝えたかどうかなんて、そんな事は、私は知らないよ。でも、何か有ったら、
『ウチの十勝が、そう言ってた』って、言って良いからって(笑)。
まあ、それはともかく、結局は、彼本人の、監督をやってみたい!
っていう気持ちが、勝ったと思うのよね。
私「なるほどね~」
十勝さん「で、金光さんが東京に来た時に、
一生懸命、荷解きして、色々と手伝ったりしたのは、
私と旦那だったんだよ」
私「そうだったんですね!」
2002年秋、金光氏が、法政野球部の監督の就任依頼が来た時、
その決断の後押しに、一役買っていたのは、
十勝さんだったというのは、非常に興味深いエピソードであった。
金光氏と、十勝さん・加藤さんご夫婦の、
強い信頼関係が伺い知れるような話である。
そして、法政野球部の歴史の重要な1ページに、
十勝花子さんが絡んでいたというのは、
今回のお話を聞いて、初めて知る事が出来た。
この事は、私にとっても、望外の喜びであった。
<天皇杯を持った芸能人、十勝花子さん>
(法政野球部時代の、大引啓次(現・東京ヤクルトスワローズ))
(法政野球部時代の、三嶋一輝(現・横浜DeNAベイスターズ))
十勝さん「で、まあ贔屓目じゃなくて、見た時に、
最初はなかなか勝てなかったじゃない?
で、松浦さんがキャプテンの時(2005年秋)と、
大引さんがキャプテンの時(2006年春)に、優勝したでしょ?
あの時に、大引君が、ショートで泣いてたのを、覚えてるんだけどね」
私「はい、はい」
十勝さん「でね、これは、どんどん書いてもらって良いんだけど(笑)、
大引さんは、金光さんが監督になった時のに、1年生で、
それから、ずっと使ってもらってたでしょ?」
私「そうでしたね」
十勝さん「それなのに、あんなボイコット事件(※2004年)に、加担したりしてね。
その時にね、私、天下のビッキー(大引)と、彼のお父さんに、
『貴方ね、1年生の時から使ってもらってて、一体、何が不満なの?』
って、言ってやったわよ!」
私「そうだったんですね(苦笑)」
十勝さん「まあ、彼も今は頑張ってるけど、今、法政出身で、
頑張ってるのは、彼ぐらいなもんだからねー。三嶋も、バカバカホームラン打たれたりしてさー」
私「うーん、まあ…」
十勝さん「とにかく、プロに行って欲しかったなー、っていう選手も、
沢山居たんだけどねー」
私「やっぱり、選手は可愛いですか?」
十勝さん「それは、勿論そうよ!あとさ、法政が日本一になった時(※2009年)は、嬉しかったわよねー」
私「はい、あれは僕も嬉しかったですねー!」
十勝さん「ね!あの時、キャプテンの石川さんのお母さんにね、
『十勝さん、本当に有り難うございます!』って言ってもらったりしてね…凄く印象に残ってるわね。
その石川さんに、六大学の優勝の天皇杯を持たせてもらったりしたけど、
芸能界広しといえど、天皇杯を持たせてもらって、写真を撮ってもらった芸能人って、私ぐらいなもんじゃないの?(笑)」
私「そうですよね(笑)」
十勝さん「でね、石川さんのお母さんがね、『ウチの子は、野球の名門校出身じゃないのに、こうして日本一にならせてもらって…本当に、幸せです』って、言ってた。それが、本当に思い出深いわね」
私「そうですかー」
十勝さん「あと、法政といえば、やっぱり名門校出身の子ばっかりじゃない?
だから、みんな大変だと思うんだけど、だから、1年生の時は、目をキラキラさせてたような子達が、2年、3年と進んで行って、試合に出れなくなってくると、
段々と、フテ腐れて行ったりするのを見ると、
『あー、可哀相だなー』って、思ったりもするわね」
私「なるほどね」
十勝さん「まあ、私なんかは、監督のコーちゃんと仲が良いからね、
よくお話もするけど、選手の中にはね、監督と4年間、一度も話さないで、
卒業して行く子も、沢山居ると。
だから、ウチのパパなんかは、そういう子の親御さんは、
私(十勝さん)の事を、あまり面白くない、と思ってる人も、居るかもしれないよ、
とは言ってるね」
私「そうですかー。でも、十勝さんは、お立場としては、あくまでも、
一ファンですよね」
十勝さん「そうよ、法政が勝とうが負けようが、応援席でも、『フレフレ法政!』『フレフレ明治!』っていう、
最後のエール交換まで、ちゃんと居て、それでスタンドから出るようにしてるしね」
十勝さんは、芸能人ではあるが、
法政を応援する時は、あくまでも、一人の法政ファンとして、
法政の応援席から、法政に声援を送っている。
あと、法政野球部の選手について、
本当に、お詳しいのである。
その辺のファンよりは、断然、詳しい。
そして、十勝さんが、法政の選手達を応援する気持ちは、
非常に強いのだなと、私は感じたのであった。
その事は、是非とも強調しておきたいと思う。
<十勝さんが思う、野球界の現状と未来について>
(若き日の、十勝花子さん)
十勝さん「あと、私は、子供の頃から、野球は大好きだったのよ」
私「そうだったんですね!」
十勝さん「そうよ。私は、北海道なんだけど、北海道は、
テレビでは巨人の試合しか放送しないから、それでずっと巨人ファンだったんだけど、ウチのパパが、南海ホークスのファンだったもんでね、
それで、今はソフトバンクホークスのファンですね」
私「そうなんですね!南海ファンという事は、ご主人は、大阪の方だったんですか?」
十勝さん「ううん、九州の人。で、自分の持ってた自動車整備工場も、
<南海自動車>なんて名前にするぐらいの、熱烈なホークスファンだったわけよ。
で、パパは王監督が好きだったんだけど、
パパの影響で、井口さんとか、城島さんとか、どんどん選手も覚えて行ったわね」
私「そうだったんですね!」
十勝さん「あとね、私が一番言いたい事はね、早稲田のファンの方とか、
明治のファンの方とかがね、恐る恐る(笑)、
『十勝さん、私、法政じゃないんですけど、写真撮らせて頂いても宜しいですか?』
って言われたりもするんだけど、勿論、喜んで!って、お答えしてるわけ」
私「はい」
十勝さん「ほら、早稲田に斎藤佑ちゃんが居た時とか、凄い盛り上がったじゃない?あんな風に、六大学全体が、盛り上がって欲しいわけ。
今、六大学も、ちょっと盛り下がり気味でしょ?」
私「まあ、そうですよね…」
十勝さん「ウチの近所なんかでも、子供達は、キャッチボールじゃなくて、
みんな、サッカーをやったりしてるわけよ。
ああいうのを見てるのとね、子供達にね、野球の素晴らしさを広めるような取り組みを、野球界全体の課題として、やって欲しいと思ってるのよね」
私「そうですよね!」
十勝さん「だからね、私は、本当に危機感を持ってますよ。
それこそね、早稲田だ明治だ、セ・リーグだパ・リーグだって、
言ってる時代じゃねえだろ!って、思ってるわね。
未来の、お客さんを獲得するために、野球界として、やって行かなきゃね」
私「僕も、そう思います!」
十勝さん「あと、あれって知ってる?パリーグ全体で、ウルトラマンの会社と組んで、球場全体で、みんなで踊ったりとか、そういう企画も、やったりしてたけど、
そういうのを、どんどんやって欲しいわね」
私「そうですねー」
十勝さん「貴方が書いてくれるならね、何も、金光さんだけの事じゃなくてね、
そういう、野球の未来についての事も、是非とも書いて欲しいわね。
私、野球は大好きだからね。だから、それこそ、法政の選手達が、
子供達に野球を教えに行くとかね、そういうのって、凄く素晴らしいと思うのよ」
私「そうですね!」
十勝さん「あとは、さっきも言ったけど、OBというのは、
現場から、是非とも教えて下さい、って言われた時は、喜んで、指導に行く、
という風にして欲しいわね。そんな、中曽根さんじゃないけど、
政治の世界みたいに、グチャグチャ後ろから操るような、
そんな事はして欲しくないわねー。やっぱり、現役を終わったら、
キッチリと一線を引いて、あとは、監督と助監督に任せると!
そうであって欲しいかな」
十勝さんは、法政野球部のみならず、
野球がお好きで、野球界には、これからも発展して行って欲しいという、
願いを持っているとの事である。
だからこそ、金光監督の退任騒動も、
(ご自分が、金光氏と親しい間柄という事は、抜きにしても)
野球界の、嫌な体質が出てしまった事件だと、
その事が、余計に残念であると、十勝さんは思っているのかもしれないと、
私は思った。
<今の法政野球部は…>
十勝さん「私ね、天下の法政の学長さんに、言った事がありました。
『金光さんを、開幕1週間前に、あんな辞めさせ方をして、納得行きません!何故、金光さんにだけ、責任を負わせるんですか?』
ってね。去年は、結構、文句言ってたね。
でね、正直言って、金光さんの居ない法政は…ハッキリ言って、何か、つまんない」
私「やっぱり、そうですか」
十勝さん「うん。今までは、100%、『かっ飛ばせー!』って応援してたけど、
今は、正直、60%ぐらいね。『あー、はいはいはい』みたいな…。
よくわかんないけど、今は何か、コロコロ選手が代わったりしてねー。
何なのかしらねー」
私「そうですよねー…(苦笑)」
この後、十勝さんは、今の法政野球部の不甲斐なさを嘆き、
十勝さんからは、各選手に対しての、叱咤激励(?)が、続いたのであった…。
私「十勝さんから、ご覧になって、今の神長監督は、いかがですか?」
十勝さん「まあ、野球の事はわかりませんけどね、
金光さんの時は、メンバーが固定されてなかった?
それが、今は、選手がコロコロ変わってるじゃない?
それに、ハッキリ言って、私、神長さんには、
良い感情は持ってないんですね」
私「そうですか…」
十勝さん「うん。神長さんは、金光さんが監督の時に、助監督だったでしょ?
まあ、本当の事は知らないんだけど、金光さんが辞めさせられた時に、
神長さんが絡んでたなんて、噂も聞くしね。
神長さんは、負けても良いなんて事は、思ってはいないけども、
私が神長さんに言いたい事はね、
『監督に、お成りになって、金光さんの苦労が、少しはおわかりですか?』
っていう事かな」
私「うーん、ですよね…」
十勝さん「神長さんもね、青木さん(助監督)もね、
試合に負けて、整列するのは、辛いと思うんだよ。
どういう気持ちなのかしらねー」
私「そうですよね…」
十勝さん「あとね、これも是非とも書いといて。
私の所にね、法政ファンのおじ様方が来てね、
『何で、金光さんを辞めさせたんですかね?こんなんだったら、金光さんを、辞めさせる必要は、無かったじゃない?』
『OB会は、野球を辞めた、爺様どもなんだから、引っ込んでて欲しいよね』
っていう事を言って来る人が、非常に多いんだよねー」
私「そうですかー…」
十勝さん「あー、やっぱり、私と同じように思ってる方が多いんだなー、って思ったね。金光さんと、OB会は、色々と揉めてたみたいだけど、そもそも、OB会には、何の権限も無いわけでしょ?
この後、十勝さんのお話は、
法政野球部の試合を見ていて、
楽しかった事、悔しかった事、
そして、愛するソフトバンクホークスが、
先日、松田の劇的なサヨナラ安打で、
最終戦で優勝を決めた時の事など、
野球が本当にお好きなんだなあという事が伝わってくるような、
こちらが、思わず笑顔になってしまうような、
楽しい話題に移って行った。
そして、金光監督時代の、感激の優勝の思い出について…。
<十勝さんの、法政優勝の思い出>
(2005年秋、法政野球部は金光監督が就任以来、初めての優勝。金光監督の、感激の胴上げ)
(2006年春、法政野球部は連覇を達成し、金光監督が胴上げされる)
私「十勝さん、せっかくですから、金光監督時代の、
良い思い出についても、お話して頂けますか?」
十勝さん「良い思い出ね!金光さんが、苦労の末に、やっと優勝した時ね(※2005年秋、就任6シーズン目にして、金光監督は監督として初めての優勝)、
金光さんが胴上げされてるのを見た時は、流石の私も、泣きましたね!」
私「うーん!やっぱり、あれは感動しましたよね」
十勝さん「ね!それと、胴上げの前に優勝して、
みんなで紙テープを投げたでしょ?私、優勝なんて見たの初めてだったから、
涙がジワーッと出てきてね、あれは本当に感激したわねー。
あの、ボイコット事件も有ったりしたから、
『金光さん、やっと勝てたなあ…』って、思ったわね」
私「本当に、そうでしたよね」
十勝さん「結局、金光さんは、何回優勝したんだっけ?」
私「4回ですね」
十勝さん「4回か!あー、そっか、そっか!最初の、松浦君の時(※2005年秋)と、
大引君(※2006年春)の時と…」
私「あとは、今井がサヨナラホームランを打った時(※2009年春)と、最後に、三嶋が投げた時(※2012年秋)ですね」
十勝さん「あー、はいはい!有ったわねー。まあ色々な選手が居たわよね。
さっきも言った通りね、
1年生の時にキラキラしてたような子がね、段々とフテ腐れたようになって行くのを見るのは、本当に辛いのよねー」
私「あとは、印象的な選手は、居ましたか?」
十勝さん「金丸君とか、須藤君とかねー。今井君も、今はミャンマーに行って、頑張ってるらしいよー」
私「そうなんですねー!」
十勝さん「あとは、三嶋ね!上背はないけど、球は速いしね、
三嶋には、もっともっと、頑張って欲しいわね。
あとは、斎藤佑ちゃんもね、六大学で活躍してた人には、
みんな頑張って欲しいと思ってるわね」
(十勝花子さんインタビュー 完)