今日はプロ野球誕生の日 ~私の野球ファン遍歴について~ファミスタと「キヨハラくん」と「童夢くん」 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

<小さい頃は巨人ファンだった!…私の野球ファン遍歴について>

 

好きな野球チームは?

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普段、アメブロのブログスタンプなどは使わないのだが、
今日(12/26)は、プロ野球が誕生した日(巨人軍が創立された日)という事もあり、使わせて頂く事にした。
 
私が好きなプロ野球チームは、当ブログで再三書いている通り、横浜DeNAベイスターズであり、
また、東京六大学野球では、かつて私が通っていた法政大学の野球部を応援しているが、
私が野球を見始めた小さい頃は、巨人ファンであった。
 
当時は、テレビで毎日、巨人戦がゴールデンタイムで放送されており、
日本国民は、ゴールデンタイムには巨人戦を見る家庭が多く、
必然的に、巨人ファンになってしまうような環境だったわけである。
 
 
従って、私も御多分に漏れず、自然と巨人ファンになっていたのだが、
小学校の頃は、「コロコロコミック」で連載されていた『かっとばせ!キヨハラくん』という漫画も大好きで、
その影響で、西武ライオンズも好きであった。
 
 
なお、『かっとばせ!キヨハラくん』では、キヨハラ(清原)のライバルのクワタ(桑田)の方が、色々と悪さをする悪役(?)として、非常にキャラが立っており、途中からは、クワタの方が人気が出て、『がんばれ!クワタくん』という姉妹編(?)も登場した。
 
当時は、小学生の間では、巨人と西武が人気を二分していたような印象が有るが、
テレビで連日放送されている巨人と、当時は黄金時代を築いていた西武が、小学生達の心を掴んでいた。
 
<大人気だった、「初代ファミスタ」>
 
そして、当時はファミコンも大ブームで、『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットしていたが、
私が、『スーパーマリオブラザーズ』と同じぐらい好きだったのが、
『ファミリースタジアム』、通称ファミスタという野球ゲームである。
 
 
所謂、「初代ファミスタ」の発売は1986(昭和61)年であるが、
前年(1985年)に優勝した阪神タイガースが、初代ファミスタでも、異様に強く設定されており、
バース(ファミスタでの表記は「ばあす」)は、バットに当たればホームランという、最強打者であった。
 
 
また、セ・リーグは全球団が出て来るのだが、
容量の関係か、パ・リーグは単独チームは西武のみで、
南海・阪急・近鉄の関西の鉄道系のチームは「レイルウェイズ」という連合チームで、
ロッテ・日本ハムの食品会社は「フーズフーズ」という合同チームとして登場していた。
阪神と並び、「レイルウェイズ」「フーズフーズ」も異様に強く、ファミスタをやる時は、大体、阪神レイルウェイズフーズフーズのどれかを選択する人が多かったと思われる。
 
なお、後年(2004年)、阪急が身売りしたオリックスと、近鉄が本当に合併してしまったので、
初代ファミスタをやっていた人は、「レイルウェイズが本当になった!」と思ったのではないだろうか。
 
そして、初代ファミスタでは、ファミスタを製作しているナムコの人気ゲームのキャラクターがメンバーになっている「ナムコスターズ」もあり、
エースの「ぴぴ」や、足が異様に速い「ぴの」などが、人気を集めていた。
 
<石ノ森章太郎が原作の『童夢くん』が大人気!>
 
1989(平成元)年、石ノ森章太郎が原作の『童夢くん』が、日本テレビ系列でアニメ化された。
『童夢くん』は、元々は学研の学年誌で連載されていた野球漫画で、
かつて、巨人の投手として活躍していながら、若くして亡くなった新城夢人の息子で、小学生の新城童夢が、
巨人に入団し、魔球を駆使して大活躍するという物語である。
 
 
小学生が、プロ野球に入って大活躍するという、まさに夢のような物語であるが、
『童夢くん』は、巨人をはじめ、各球団の実在の選手達が登場し、
そこに、童夢くんのライバルとなるオリジナルキャラクターも登場し、ストーリーを盛り上げていた。
 
(小学生投手・新城童夢が、巨人に入団し大活躍する『童夢くん』
 
なお、『童夢くん』で一番人気が有ったキャラクターだったのは、美少女のメロディであった。
本当は、富豪の令嬢で、天才少女ピアニストというメロディが、その正体を隠してアンディという天才野球少年に成りすまし、
広島に入団して、童夢くんのライバルとして戦うのであるが(言わば、メロディ=アンディは、ピアニストと野球選手の二刀流だった)、
本来は女の子でありながら、正体を隠して、男の子に成りすまして野球選手になるという、その二面性の有るキャラクターが、当時の小学生の視聴者達を夢中にさせたのである。
 
『童夢くん』で一番人気が有るキャラクターだった、メロディ
 
(天才少女ピアニスト・メロディは、正体を隠し、天才野球少年・アンディとして広島に入団)
 
ちなみに、原作の方では、メロディは中日に入団し、別に正体も隠す事なく、女の子の投手として童夢くんと対決しているのだが、
アニメ化にあたり、上記のような設定に変更され、その設定変更は、見事に成功したと言って良いであろう。
童夢くんは、美少女のメロディが大好きで、メロメロなのだが、実は、そのメロディが、童夢くんのライバルであるアンディの正体だという事は、童夢くんも周囲も、全く気付かない(確か、メロディの二重生活の秘密について知っているのは、メロディのお手伝いさんだけだったと思われる)。
 
メロディアンディの正体だとは全く気付かず、メロディにデレデレの童夢くん
 
(しかし、遂にある日の試合でアンディの正体がメロディだと発覚、童夢くんは激怒するが…)
 
「童夢くん」には、色々なキャラクターが登場したが、私は、童夢くんとメロディ(アンディ)のくだりが、最も印象に残っている(今から30年ぐらい前に見たアニメなのに、鮮明に覚えている)。
ともかく、童夢くんは、私とちょうど同年代ぐらいの小学生だったので、それだけ、思い入れもあり、私は実在の巨人以上に、『童夢くん』が好きであった。
 
<大洋ファンに転向!その理由とは…>
 
1990(平成2)年、横浜大洋ホエールズの新監督に、巨人の二軍監督だった須藤豊が就任した。
須藤豊監督は、巨人の二軍監督として、巨人(二軍)をイースタン・リーグ4連覇、ジュニア日本選手権3連覇に導いた名将で、
前年(1989年)、ダントツ最下位に沈んでいた大洋の再建のために、1990年に巨人から大洋にヘッドハンティングされたのである。
 
(1990(平成2)年、横浜大洋ホエールズの監督に就任した、須藤豊
 
須藤監督は、かつては毎日(現ロッテ)や巨人の内野手として活躍し、
引退後は巨人のコーチや、大洋の二軍監督なども務めたが、一時、野球界からは全く離れ、サラリーマン生活を送った事も有った。
しかし、前述の通り、巨人の二軍監督として球界に復帰すると、若手の育成と、勝つという事の両立を果たし、注目を集めた。
 
そして、1990年に大洋の監督に就任した須藤豊は、若手を積極的に起用し、
開幕から7勝3敗という快進撃で、前年最下位だった大洋を、首位に立たせた。
大洋は、5月頭まで首位を走り、その後は巨人に抜かれたものの、大洋は7月頃までは2位で、首位の巨人に食らいついた。
 
須藤大洋の快進撃は大いに話題になり、こんな本も出版された)
 
須藤監督は、ダントツ最下位だった大洋を建て直し、
「もしかしたら、優勝も有るかも!?」と、期待を抱かせるほどの快進撃を見せた。
大洋の快進撃は大いに話題になったが、7月の巨人との首位攻防戦に3連敗した後は、大洋は力尽きてしまい、優勝は絶望的となった。
しかし、その後も大洋は粘り強く戦い、最終的には3位を確保し、大洋は7年振りのAクラスとなった。
 
この年の大洋の戦いぶりに、私はすっかり惚れ込んでしまい、
「大洋って、何か面白いかも!?」と、どんどん好きになってしまった。
それ以前は、大洋ホエールズというチームは知ってはいても、特に興味は無かったのだが、
気が付けば、大好きになってしまったのだから、不思議である。
思えば、チームを好きになるのも、人を好きになるのも、理由などは無く、理屈を超えた何かが有るという事であろうか。
 
それはともかく、私は巨人ファンから大洋ファンに「転向」し、
それ以来、今日に至るまで、横浜(DeNA)のファンを続けている。
そういう意味では、私を横浜ファンの道に導いたのは須藤監督という事であり、今でも忘れられない監督である。
 
野村弘樹(右)谷繁元信(左)の若武者バッテリー。1998年の優勝時にも主力として活躍)
 
なお、この年(1990年)の大洋の主力は、巨人キラーとしてブレイクした野村弘樹谷繁元信という、まだ二人合わせて40歳という若武者バッテリーと、須藤監督が高知商業の後輩として目をかけた中山裕章投手、ベテランの斉藤明夫や、アキレス腱断裂の大怪我から、抑え投手として復活した遠藤一彦も健在であり、
野手の方では、首位打者となったパチョレックと、パチョレックと最後まで首位打者を争った高木豊、相撲のの従兄のマイヤー、更に、若手の成長株の横谷彰将宮里太などであった。
 
(1990年、首位打者を獲得したパチョレック
 
(1990年、パチョレックと最後まで首位打者争いをした高木豊
 
(1990年、後に「ハマの大魔神」と称された佐々木主浩が大洋に入団)
 
中山は色々有って退団したが、野村谷繁は、後に1998年の横浜ベイスターズ優勝の際にも主力として活躍し、
後に「ハマの大魔神」と称された佐々木主浩も、この年(1990年)に入団している。
今思えば、この頃から、1998年に優勝するまでのホエールズ⇒ベイスターズが、見ていて一番面白かったが、
今のベイスターズにも、また優勝して欲しいと強く願っている次第である。
 
そして、その後は縁有って私は法政大学に入学し、東京六大学野球法政野球部にドップリとハマってしまったが、
それは、また別の機会にでも述べる事としたい。