タイトルまんまな事をそれだけじゃ解らん。という人の為に、丁寧に事細かく事例もあげながら、説明しているという内容。自分がしてきた努力こそが自分の人生を作る。で合っているのか? では、惨めな生活を強いられている人は、努力していないから惨めな人生なのか?という話。
 

マイケル・サンデルと言えば、ハーバード大学での講義を日本語吹替でNHKでも放送した、ハーバード白熱教室というのがすんごい面白くて、ファンに成ったんだけど、同氏の書いた「これからの正義の話をしよう」を読んだ時は、理解が追いつかなくて、大変であったw そもそも哲学とは何ぞや?そんな学問はいるのか?行動が伴わないことを必死で考えたって、お腹は膨らまんぞ?と以前には思っていたので、スタートラインが遅め(^^;まあ、すべての学問についても、遅かったりできなかったりするのだけどもが(^^;


なんとなくな雰囲気で、アメリカって学力偏重とか、大卒にあらずんば人にあらず。とは一歩引いた位置にいる国だと思っていたのだけど、ところがどっこい何だなぁ。と「SUIT」ってドラマを観てて思ったんですよねぇ。やたらハーバードロースクール卒で無ければ人間としての価値がない。みたいな話を絶対ハーバードロースクールを出てないだろう?な役者が演技してはいるのだけどw 少なくとも、大卒かそうでないかで、がっつりその後の人生の、あるいは収入の高止まりが決まってしまうような感さへあるのだなぁ。アメリカって。まあ、有名大学を出ても仕事が見つからない韓国よりは、マシなのかもだけど(?)

この本に書いてあることは、国によって、ことに日本と比較した場合には、適応出来ない内容もあるので、参考ぐらいにしかならない内容も多いのだけど、twitterとかやってても(2ちゃんの時からいるにはいたが)、時々、大卒でないという理由だけで、小ばかにした対応をする人というのはいるにはいるなぁ。という印象。特別な才能や技術が無くても、大学を出たというだけで、エリートだと思い込むのは、胆略的だと思うし、そのエリートの筈の自分が、相当の栄誉に欲せないでいるのは社会のシステムがおかしいからだ。と思考した結果が、新興宗教の毒ガス散布事件にまでなったとかね。
或いは何らかの才能に恵まれて、その才能が社会から評価され、巨万の富を手に出来たとして、その評価はする人がいて初めて成り立つわけで、才能が社会のニーズにハマってなかったら、ただの変人なわけで、それは本人の努力でどうにかなることなのか? という意味での「実力も運のうち」ということになる。読んでいると、もしかして共産社会主義を密に奨励している? と思えそうな部分もあるけど、著者はコミュニタリアンなので、待遇や収入について、全ての人が平等であるべきだ。という主張がしたいわけではなく、少なくとも、自分がそこにいられて、有利な立場を維持できているのは、その他大勢の存在が有る事も忘れないでね。ということじゃないかな?と思ったりする。(wikiでは、著者は「共和主義者を名乗ることも増えている」とあるのだけど、ホント?)
 

本来、聖書が言わんとしている正しさとは違う解釈としての、聖書的な物の見方として、二つの特徴をあげている。「ひとつは人間の主体性の協調、もうひとつが不運に見舞われた人に対する厳しさ」「神は自分の時間の大半を費やして、催促に応じているーーつまり、人間の善に褒美を与え、罪を罰する」「神は逆説的ながら人間に対して義務を負うことになり、公正であるかぎり人間が勝ち取った待遇を“もたらさざるおえない”。褒美や罰を与える立場にありるにもかかわらず、神は自分の好き勝手にではなく、人々の功績に応じてそれを行う。よって、神がいたとしても、人間は自分の運命を勝ち取るのであり、・・・」というのが、西洋のキリスト教者の聖書理解だとするなら、著者が上げる、ヨブ記の事案をどう受け止めているのだろうか?と思わざるおえない。

一生懸命に自分や周りの人が祈り努力したのに、それでも願った通りには叶わない事なんて幾らでもある。そういうことも受け入れないと、邪な人に付け込まれて、陰謀論をぶち上げることになる。