古代から中世にかけての哲学の変遷というか、歴史というか、宗教と哲学の相互干渉とか、そんな感じの話がメインなのだけど、正直、途中途中、結構頻繁に「ん?」「何?」「どういう事?」「何を説明してるんだっけ?」という箇所があって、これを書いた人は、自身で何を書いてるのか理解したうえで出版したんだろうか?と思わずにはいられない感じだった。用語や人物名など、何の説明もなく、いきなり誰それがそう言っている。みたいな書き方も散見されて、これ、授業で教授だかがちゃんと注釈入れてくれてんのかな?と気になる程。「だから〇〇は〇〇である」的な文章も、その「だから」にかかる場所が何処なのかさっぱりわからなくて、何処まで読み戻ればいいのかさへ判断がつかない。それでもなくても、普通に書いても難しい哲学の話を、よりまどろっこしく回りくどく煙に巻くように書いてるのは、著者は自己陶酔しすぎではないのか?とさへ思えて来る(^^;

それと、哲学の萌芽をギリシヤやマケドニアに求めるのって、なんか違くない?とも思える。紀元前18世紀に発布されたとされるハンムラビ法典はその時すでに哲学的考え方が有ったから、出てきた決め事だと思うのだが、違うのだろうか? ギリシャを起源にする考え方は、哲学はヨーロッパから始まった。という願望が全面に出て無いか? ちょうどキリスト教が、ヨーロッパに起源があるみたいになっているのに似ている気がする。