2月中、
ガンで余命一ヶ月
と余命宣告された
親父が、

(がん告知は、
昨年8月にあった)
27日、
「話しておかないと
いけないことがある」
と電話してきたので、
何事か?と思って、
親父に会いに行った。


もしかして、
実は僕は、
橋の下で拾った子か?
とか、
母親が違うとか、

そんな話かと思うじゃん(^^;

僕が子供の頃、
車に酔いやすく、
すぐゲーゲー吐いてたので、
親父が二回ほど、
家に置き去りにして
遊びに行ったことを
告白してきた。
まあ、色々悔いは
あるんだろうけど、
その話、
どうしても言わないと
いけないような、
呼び出してまでする話?(^^;
どんな顔で
聞けばいいん?(^^;
当時は僕も
すぐ車に酔うので、
遠い場所には
行きたくないと
思ってはいたんよねぇ~。
というのも、
例によって酔って
車内でゲーゲー吐いてるときに、
親父から
「お前はもう遊びに
連れて行かん!」と
怒鳴られたことがあって、
僕もそれがいいと
思ったからなんだよねぇ。

 

その翌日、2月28日。

午前中、親父が、天に召された。
がん告知からは、
思った通りの約半年(7ヶ月)。

どんどん弱っていっては
いたけど、最後はあっけない感じ。

逝った親父より、
残された母が大丈夫か、
それが、三兄弟の
最大の心配事となるはずだった。
あと、親父が自分の部屋に
大量に残したゴミなんだか、
使えるモノなんだか
わからない、
得体の知れないモノたちの処分。
 

僕を含め、
三人の息子の誰も
涙のひとつ
(涙声さへも)も
出さないという、親不孝者(^^;

ただ、母だけが、
60数年の長きにわたって
夫婦であったという
縁だけで、涙を流していた。

まあ、今日の今日だから、
実感がわかない
というのもあるかもと
その日は思ったり、

さすがに、火葬場で、
母が号泣すれば、
貰い泣きはするんだろうな、
とは予測していた。

 

強がっているわけじゃなくて。
もう、暴言も妄言も
聞かなくて済むし、
無理難題を押し付けられる
こともないので、
むしろ、ホッとした。

生前、無茶苦茶な論理で、
幾人もの人をやり込めたのを、
天国で健康な状態に
なったものだからって、
先に凱旋してる人に対して
再び無茶な議論を
やってるんじゃないかと、
それで神様が
手を焼いてないか、
それがちょっと心配w

親父より年上の母は、
27日夜半から
28日の朝まで
かけての親父の看病に
疲れ果てて、
臨終の場に立ち会っていない。

 

3月1日の午後に
火葬だけど、
三人息子の誰一人、
喪服を持っていないし
サイズの合うスーツもないので、
普段着で焼却場へ
行こうとなった(^^;

 

そして、火葬。

火葬場、祖父母の時は、
長い歴史の有りそうな
風情(婉曲的揶揄w)の
建物だったけど、
今回は、新しいところだった。
すんげぇシックでおしゃれで、
洗練されてる感じの
火葬場だったなぁ。

係の人たちの
変に悲しみを盛り上げない
抑制された喋り方も、
よいなぁ。と思った。

骨壺に入れるのも、
祖父母の時は、
係の人が、

「こっちが頭で、
こっちが足です。」

と教えてくれるだけで、
親族が手前勝手に
骨を拾う状態だったのだけど、
今度のは、
いちいちパーツを説明しなら
別のトレーに移して、
それを親族が箸で拾って、
骨壺に入れる。
という親切設計。

 

焼く前の最後のお別れで、
親父の亡骸を見るのは
初めての母が、
60数年の積年の思いが
溢れて、泣きじゃくっていて、
案の定、
貰い泣きをしてしまった。
焼却して骨を
骨壺に入れた後は、
ケロッとしてたけど(^^;

結局、三兄弟と母は、
2月28日は、
残された家族の解放記念日
という認識で、一致したし(^^;
 

病院のベッドに
横たえているときの肌は、
土気色だったのに、
火葬前の最後の顔見では、
肌色が綺麗になっていて、
呼んだら起きてきそうな
雰囲気。
エンバーミングしたのかな?
予算に無かったと
思うが。光の関係かな?

生前の親父は、
自分の体には、
手榴弾の破片や、
弾が残っている。
と、しきりに自慢して
やたらいっぱい
出て来るだろうと
言っていたのだけど、
焼いた後のそこにあった
金属と言えば、
棺の組み立てに使われた、
釘とかホッチキスばっかりw
死人に口なしのはずなのに、
死してなお、嘘がバレるとか、
どんだけ~(^^;

 

祖父母の火葬の時、
葬儀屋から、
火葬場の係員に付け届けを
出すように言われた。
と母が言い出したので、
葬儀屋に確認したら、
そういうことはされてない。
との返答。
「付け届けなしだと
ミデアムレアに
焼かれたりしてw」
とか冗談を飛ばしてみたw

 

火葬場を去り際、
総合の係員さんが
母に話しかけていたのだけど、
自分の妻も25年前に
亡くしている。
悲しみは時間が
解決してくれますよ。
とか言ってたのだけど、
この人、火葬を終えて
帰る家族に、
いちいち、
それ言ってるのかな?(^^;
とは、ちょっと思って、
ほほえましかった(^^;

 

葬儀後の諸手続き一覧
というのを、
葬儀屋から貰ったのだけど、
やること多過ぎ(^^;
親父、死ぬ前に
全部自分でやっとけよ!
(無理な話

被爆者だと役場から
葬祭費として、
219,000円ももらえるんだってよ。
今からだったことに
出来ねぇかなぁ?(不謹慎

 

3月3日、世間一般は
ひな祭りでお祝い中なんだけど、
僕は、親父の
遺品整理をしていた。
服のポケットといい、
棚の中といい、手帳の中といい、
ありとあらゆるところに、
親父の写真が入ってて、
どんだけ自分が
好きだったんだよ(^^;
ってなったw
親父の部屋の天井近くにも
何枚も額に入れた
自分の写真を飾っているし。
やっぱ虚栄心の塊だったなぁ。

 

にしても、スーツとネクタイ、
クソ多いw
しかもスーツは全部、
釣るしじゃなくて
オーダーだから贅沢w
高齢になる前は、
仕事以外で外に出るとなったら
必ずスーツを着ないと
気が済まない人で、
山だろうが海だろうが、
スーツだったのを思い出したw
あと得体の知れない
勲章や、軍隊のチャプレンを
やっていた時のバッチが出土。

 

そしてなぜか、スーツの中から、
近藤務さんがふたつ。
母に気づかれないように、
そっと取り出して、
僕のポケットに入れたよ(^^;
母に見つかっていたら、
ブチ切れ間違いなし
だったYO!😱
信者がいた頃、
手を出してる噂を
聞いてはいたけど、
まさかねぇ~
って思ってたんだけど、
こんなタイミングで
確信に変わるとか、
死してなを、
混乱を呼ぼうとする男w
勘弁して(´;ω;`)

 

一応、知らない人の為に。

 

お家で親族の看取りを
しようという場合、
必ず、もうすぐ
逝くなと思ったら、
担当の医師の
立ち合いをしてもらおう。

これは逝ったな
という場合でも、
救急車は呼ばず、
まず往診の先生に
来てもらおう。

逝った後で、
慌てて救急車を呼ぶと、
救急隊員は
遺体の搬送を行わず、
その代わりに
警察を呼びます。
そして、
そこにいる家族全員が
容疑者となっての、
長い長い事情聴取が
始まり、
遺体は解剖に回され、
切り刻まれます。

というわけで、
自分、もう駄目だなと思ったら、
家で死のうなんて思わずに、
救急車を呼ぶか
家族に呼んでもらって、
病院に入院した方が、
残される家族にとっても、
絶対に便利はいい。

うちは、ギリギリヤバかった。
親父は救急車の中で、
病院へ移動中に死亡。
病院で死亡確認がされた。