旧約聖書の
士師記 7章16節~22節で、

ギデオンという男を
総大将とした、

300人のイスラエル人による、

奇跡譚が叙述されている。

数万人いた戦闘可能な民を、
神の命令で、家に帰し、

精鋭の300人だけを連れて、

ミデアン人を主格にする
連合軍に立ち向かう

というストーリーだ。

 

ギデオンは300人全員に
壷と松明と角笛を持たせ

100人ずつの三隊に分け、

夜陰にミデアン連合軍が
宿営する谷の上部に

宿営地を囲うように配置し、

一斉に、角笛を吹かせ、
また持っていた壷を割らせ、

さらに松明を掲げさせた。

不意を突かれた
ミデアン連合軍は、

混乱し、同士討ちまでして
逃げ延びようとした。

 

結果、連合軍は
完膚なきまでに撃破され、

再起に数十年を要する
事態にまでなった。

連合軍といっても、
正規の軍隊は、

普段は王直属の
護衛程度が数百とか
数千人いるだけで、

あとは、農奴や奴隷に
武器を持たせただけの、

にわか兵士・傭兵が
殆どというのが、

当時の常識だった。

 

もちろん、ギデオン軍側も
条件は同じではあるが。

このギデオンの作戦の妙は、

まず、部隊を300人に
押さえたことにある。

千単位や、万単位の
部隊を連れていては、

無線機等の
遠隔連絡システムの
無い当時では、

命令伝達は滞りがちだし、

スパイが潜入しやすい
という面も生じる。

しかし300人では、
知れた顔ばかりになる。

スパイの潜入は難しい。

その300人全員に、
角笛を持たせ、吹かせたのも、

効果的である。

角笛は、基本、
部隊に行動を知らせる
ために用いるもので、

だから、100人とか
1000人とか、いるうちの一人が

持って吹くのが、普通である。

つまり、300の角笛が
鳴ったということは、
敵からすれば、

3万人を越える敵に包囲された

と思い込い込むのに
十分だったし、

一斉に壷を割ることで、

大人数の武具の鳴る音だと
思わせることができた。

しかも、谷の上からの
音だから、音は反響して、

正確な数など掌握する
余裕はなかっただろう。

訓練し、戦闘慣れしていれば、
凌げたかもしれないが、

何しろ、本来は
百姓に奴隷にアウトローだ。

連合軍内は一機に
混乱して当然で、

軍装も統一されていない
連合軍は、

夜陰でもあることから、

剣を持った連中が
敵か味方か判断もできない。

逃げるために走っている者が
自分に向かってくれば、

敵だと思って、攻撃する。

攻撃される側も、
包囲されていると思っているから、

同士討ちになる。

ギデオン軍は自らは
剣を振らずして、

敵を殲滅できてしまった。

と言うわけだ。

 

聖書では、このことは、
奇跡として記されている。

僕は、日ごろから、
科学と聖書は
反発しないと考えている。

だから奇跡は、
起こるべくして起こるもので、

上に書いたギデオンの例も、

冷静に見れば作戦勝ち
ということになる。

 

ただ、ここで勘違いして
欲しくないのは、

科学的=神の存在の否定
ではないということ。

この科学や、必然こそが、
神のされていることだ。

と言うのが僕の
主張だということ。