スタッフのSORAです
今回は保坂院長が出演された、
テレビ番組『おら、痛いのやんたぜ』の感想となります
感想
ディレクターが東日本大震災をきっかけに一緒になった、
夫の広志さんの1年半に渡るがんの闘病生活を淡々とした口調で語った番組です
国立がん研究センターに掲載(1)されている、
早期(がん告知時)から希望すれば緩和ケアを受けられる案内があります
しかし、広志さんたちは早期から緩和ケアの受診に踏み切れなかったのはなぜか?
という問題について考えさせられました
がんと告知されたとき
主治医から
生きられるのかな、いつ死ぬのかな
この段階で、自分たちだけで抱え込まずに緩和ケアを受診して相談すべきだったと思われますが、踏み切れなかった事情がありました
なぜ相談できなかったのか?
番組では初期の患者のケアは主治医などが担当していることが紹介されています
しかし、広志さんは主治医に心の中に抱いている不安を相談することができませんでした
相談できなかった背景には『医者(主治医)』と『患者・その家族』では足並みが揃えられず、主治医は患者の治療・治療方針・再発のケアなど多くの事を考えており、そのスピード感に患者側がついて来られないことが語られていました
たしかに、保坂院長の書籍でも主治医に遠慮して自分の意見をうまく伝えられない患者さんの相談例が紹介されており、リアルに医者と患者の乖離を感じられた場面でもありました
色々質問を用意していたディレクターでしたが、
本当に知りたかったことは恐怖の乗り越え方だった
と、述懐のシーンで語っており、早期での心のケアの大切さを実感しました
心の痛みは薬剤ではとれない
広志さんの症状がだんだんと進行していくなかで、がん患者さんの心のケアをサポートできる複数の事例の1つとして、当クリックと患者さんが紹介されていました
特に印象的だったのは、取材を受けたある訪問看護の看護師の話です
身体の痛みは薬でとれても、心の痛みは薬では取れない旨の話があり、
当クリニックのような患者の心のケアを行う存在の重要性を再認識しました
再発と緩和ケアの受診
再発が判明した広志さんは、検査の為に東北大学病院、抗がん剤治療の為に地元の気仙沼市立病院に通うことになりました
東北大学病院に通院したある日、広志さんは体調不良で急遽入院することになってしまいました
抗がん剤も効いていなかったこともわかり、体力的に治療継続は難しく、余命宣告を受けました
どう心を保てばいいのか
誰か彼の心を支えてくれる人をつけてほしい
ディレクターのお願いから、東北大学病院の緩和医療科の先生による緩和ケアを受けることができました
広志さんは緩和医療科の先生に心のうちを話すことができたものの、
ディレクターは『どうしてもっと早く受診することはできなかったのだろうか?』と思い悩むことになりました
地方病院の限界
気仙沼市立病院(2)
(画像引用:気仙沼市立病院)
広志さんは終末期に入り気仙沼市立病院に入院しました
地方病院では、病床数の問題などから様々な症状の患者が同じ部屋に入院しており、
現代医療の課題とも言える現状が紹介されておりました
その後、広志さんは地元が見える病室で家族に看取られて亡くなりました
なぜもっと早く緩和ケアを受診しなかったのだろうか?
ソーシャルサポーターの問題
(画像:保坂院長の講演会資料)
番組冒頭では被災した気仙沼の復興作業に仲の良さそうな仲間とともに従事する広志さんの姿が紹介されており、一見するとソーシャルサポーターには困らなかったように思われます
しかし、闘病生活に入ってからは仲間の存在は一切示唆されず、
広志さんの孤独に喘ぐ状態が強調されていたように感じられました
『震災』には協力して乗り換えた仲間は、
『病気』には協力できなかったのはなぜだろうか?
と考えた時に、キューブラー=ロスの『死の受容』にヒントがあるように思いました
エリザベス・キューブラー=ロス
エリザベス・キューブラー=ロス(1926~2004)
(画像引用:Elisabeth Kübler-Ross Foundation)
アメリカの精神科医で「死ぬ瞬間」の著者として知られる
上記著書で「死の受容」のプロセスである「キューブラー=ロスモデル」を提唱した
また、グリーフケアの先駆者でもある
死の受容のプロセス
死の受容のプロセス
キューブラー=ロスが提唱した、人が死に直面したときに辿るプロセス
- 第1段階:否認と孤立
- 第2段階:怒り
- 第3段階:取り引き
- 第4段階:抑うつ
- 第5段階:受容
(参考サイト①:E. キューブラー=ロスの思想とその批判)
否認と孤立
第1段階の否認と孤立において、
余命僅かな事実を否認したい患者と受容する周囲での考え方の違いがおこり、
事実を認めたくない患者は周囲と距離を取る行動を取ってしまう
このプロセスに基づいて、震災の時には協力し合った仲間と距離ができてしまったのだろうか?と推察しております
さいごに
逃げない存在を求めて・・・
広志さんたちは、自分たちを見てくれる『逃げない存在』を求めて終末期まで孤軍奮闘することになってしまいました
広志さんが安心して心を開ける存在がいないのであれば、
せめて身近で支える妻をサポートする他人が必要であったのではないのでしょうか
家族は第二の患者
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家族は第二の患者です 大切な人を失いつつある患者的側面と 大切な人を支えていく治療的側面をもっており、 家族の方が傷ついていることもあります |
特に、患者的側面をもった妻(ディレクター)の予期悲嘆は印象的であり、
患者さんとその家族に寄り添い安心できる存在として、サイコオンコロジーをもっと社会に普及していきたいとより一層思わせる番組でした