いつもありがとうございます

スタッフのSORAです

本書は現代社会の問題を、

『空海の生き方』から学ぶべきものがないか

著者の保坂院長が精神科医の立場で取り上げています

 

本記事は2回目の紹介となります

 

前回の記事

 


※本書の引用元は『空海に出会った精神科医』となります


 

 書籍情報

 

空海に出会った精神科医
その生き方・死に方に現代を問う
【著者】
保坂 隆
【出版社】
大法論閣
【発売日】
2017年1月10日
 

購入サイト:Amazon

 


 

 本書の内容紹介

 

著者が新たな説として提起している、

空海が『うつ病』だったことについて紹介致します

 

空海の3回のうつ病

空海はその人生で3度、うつまたは、うつ病になっていたと考察している

  1. 39歳の頃 ← 前回の記事にて紹介(リンク)
  2. 48歳の頃
  3. 58歳の頃 ← 今回の記事にて紹介

 


 

 3回目のうつ病 58歳の頃

 智泉の死

最澄との訣別や2回目のうつ病を乗り越えて、要職にも就いた空海であったが、

空海が52歳の頃、高弟の 智泉 ちせん (甥でもある)が亡くなった

空海は悲嘆の涙を流すも、うつ病にはならなかった

 

要因

空海がうつ病にならなかった要因として、

筆者の見解では『メランコリー親和型性格』では

なかった為だとしている

 

その為に、喪失体験はストレスにはならなかったようだ

更に言えば、空海はもう一つのうつ病になりやすい性格の『執着気質』であった。

 

執着気質はストレスに強い特性であり、

実際にその後の空海は休むことなく精力的に活動している

 


 

 3回目のうつ病の発症

天長8年(831年)6月14日、空海が58歳の頃、

空海は淳和天皇への「疾に嬰って上表して職を辞する奉状」にて

『然るに今、じ月の心日に心瘡艦に己って口相ぜず。

両榴 りょうえい 夢に在り、三泉 たちま ちに至る。

 

<中略>


しょしきをるいうれ伏して乞ふ。

永所職を解いて吊に描累にばん。

但愁ふらくは、幸に輪王に逢ひたてまって所願を遂げざらんことを。

いちげこしょう伏して請ふ。』

(引用:最晩年の空海 武内孝善)

 

要約としては、

『5月30日に悪瘡 が出て(6月14日である今も)2週間経っても良くならない。

そのため、何とぞ大僧都の職をお解きいただきたい。

さらなるお願いは、密教をお捨てにならないようお願い申し上げる。

(本書P122)

 

筆者の見解では、以下の言葉に3回目のうつ病が隠されているとしている

解説

両榴 りょうえい 夢に在り、三泉 たちま ちに至る」

(本書P122)

(空海の)夢の中に2本の柱が出てきて、その後三泉(黄泉の国)に行き着く

つまり、死を予感させる(希死念慮)内容である

 

 


うつ病の要因

悪瘡が先か、うつ病が先か?

悪瘡が体に出たからうつ病になったのではなく、

先にうつ病が発症していたと言えるだろう

 

うつ病が発症して、その経過で悪瘡が体に出たり、

希死念慮が生じたと考える方が時間的・医学的には合理的である

(本書P122)

 

発症原因は過重労働

僧侶の管理のような仕事をするのは空海の性分に合わず、

小僧都の地位に就いた際にも職を辞する進言を行っている

 

しかし辞する事は認められず、空海は小僧都や大僧都の地位に就いたが、

執着気質が災いし、職を全うしたことが、かえってうつ病の原因となった

 

その結果、免疫機能が弱ったところに悪瘡が合併した、

と考えるのが合理的である

 

(本書P237)

 

悪瘡 あくそう

たちの悪い腫物のこと

現代医学では「皮下深部の筋膜炎を伴う局所性ブドウ球菌性皮膚感染症」と言う

現代では治療法があるが、当時は治療法がなかった

 


 

 その後の空海

死を意識した空海であったが同年9月下旬には、

活動を再開しており、悪瘡はその後は増悪せずに、

うつ病も軽快したと考察している

しかし、死期を予測させる後遺症は残ったものと推測される

 

(本書P123)

 

以降の空海は、死を意識しながら、

自身の人生設計を修正し、死をプロデュースしていくのであった

 


 

所感

空海のうつ病はその人生で3度あったとされるが、

発症要因は全てが過重労働によるものであった。
 

3回目のうつ病では悪瘡を発症しており、自身の死期を悟る要因ともなった。

死期を悟った空海は現代でいう余命宣告を受けた状態であり、

残された時間の中で、死の恐怖を乗り越えて人生設計を修正し、

やるべきをことをやり遂げた人物であったと言える。

 

空海のように死をプロデュースすることができなくても、

著者の見解と同じく、エンディングノートを作成することは良いと思う。

※書く内容のポイントは本書P200~P202参照

 

遺言状のような形式ばったものではなく、

私的かつ気楽にノートに書き出してみることで、

「自分の考え」や「やりたいこと」を整理することに期待できるからだ。

 

早速、今年の年末にもエンディングノートの作成にとりかかってみたいと思うが、

遅筆の私には著者の勧める家族が揃った正月に披露するのは間に合わなそうだ。

 


 

保坂サイコオンコロジー・クリニック公式サイト 

 

診療案内は当クリニックの公式サイトをご確認ください

バナー

 

 

院長のブログも是非ご覧ください

バナー