西洋占星術を勉強していると「自己表現」というワードに出会います。
どのように解釈すればよいのだろう???という感じでした。
1ハウスは自我(これも難しい)、2ハウスは所有、3ハウスはコミュニケーション、
4ハウスは家。
そして、5ハウスは自己表現となるのです。
人間の成長にあてはめて雑にいうと、1ハウスで生まれて、2ハウスで自分の手足を動かし、
3ハウスで喋って近場で冒険、4ハウスで休息と情緒を育む。
そして、5ハウスで恋愛といった感じです。
恋愛、趣味、レジャー、ギャンブルなどを例に自己表現と説明されるのですが、
なにかわかるような、わからないような。
ところが、先日の講座でなるほど!と腑に落ちたのです。
「自己表現とは、似合うものではなく、好きなものを着る」というような感じであると。
周りにギョッとされようがお構いなし、自分が着たいから着る、そういう感覚。
人の目を気にする、周りに合わせるといったものを一切除いたもの。
言い換えると、突き抜けたようなオープンな感じ。
なるほど。
好きな人や自分の子供と手を繋いで歩くのは、
見せびらかすことをメインの目的としているわけではないけれど、
その人との関係性を大っぴらにしている表現、行為です。
だから、恋愛などが説明の例として使われるわけか。
ちなみに、恋愛でも大っぴらにできないようなものは、隠れた場所の12ハウスと関係します。
趣味、レジャー、楽しむことを目的としたギャンブルも、これは楽しいから、これが好きだから
ということで大っぴらにして行動します。
内容が仕事や見返りを求めるものに変わると、自己表現とは違うことになってきます。
そういう意味で、自己表現というのかと。
エゴの場ですね。
このエゴの場である5ハウスカスプのサインもまた、大変重要なことを教えてくれます。
これは前にも書きましたが、自分が一番ポテンシャルを発揮できるのは、どういう場かがわかります。
また、好きになるピンポイントも出るそうです。この人のここが好きっていうポイント。
講座内で、さぁ、さぁっ、みなさん思い出してみてください、なかったことにしたことも思い出してみてください!と先生が詰め寄ります。笑
私の恋愛経験に興味はないと思いますが、ちょっと思い出してみました。
好意を感じた人に共通していたのは、物事をフラットに見るということかもしれません。
女はこうあるべきとか述べるタイプは全くいませんでした。
実際にそのような発言を聞くと、私はスッと気持ちが冷めてしまいます。
ちょっと変わった人が多かったというのも共通したポイントかも。
学生時代、「あの人をいいと思っている」と友人に打ち明けても、
「大丈夫ライバル絶対いないよ!」と力強く言われ。
何とも微妙な気分になることが多かったです。
皆さまは、共通性がありましたか?
過去好きになった人は全員違うタイプだったという方は、天王星の無軌道さが効いているそうです。