「待つ」という行為は、現代人は苦手な人が多いのではないでしょうか、私は苦手です。
でも、何か楽しい事が起きるのを心待ちにするというのは、
事が起きるまでの間にあれこれ考えたり、想像したり、期待したりという心の状態が続くので、
幸せの一つかもしれないと思います。
例えば本。
皆さんは、発売を今か今かと心待ちにする本はありますか。
5/23発売の「クスノキの女神」を、私は楽しみにしています♪
(この記事書いているのは5/15、投稿するときには発売されてるはず)
東野圭吾さんは人気作家ですし、きっと同じように心待ちにしている人は多いでしょう。
さて、恥を忍んで書きますが。
2019年10月12日、この日ほど待ち望んだ日はなかったと思えるほど、
私はこの日を待っていた。
十二国記シリーズの続刊が発売される日でした。
続刊を楽しむために、今までのシリーズを読み返す。
同僚や友人とも意見や感想を交わし、かなり前から盛り上がっていました。
十二国記を読んでいない人、興味のない人にまで、
いかに自分が待っていたか、楽しみにしているかをしつこく語り、迷惑がられていました。
でも、私みたいな人、日本全国あちこちにいたはずです。
発売当日、大型台風が関東を直撃することがほぼ確定となっていました。
交通機関も運休が予定され、もちろんお店も閉店です。
ここにきて1日でも先延ばしにされるなんて耐えられない・・・
取り乱した私は「無理に決まっている」と同僚が止めるのも無視。
会社からの帰宅時に書店へ駆け込み、発売日前日ではあるが状況を考慮して1日早く売ってくれるようお願いしました。
同僚の予言通り、店員さんは丁寧に販売できない理由を説明し、
更に、本は逃げない、大量に確保してあるから台風明けに手に取れないという心配はないと。
涙目になる私(子供か・・・)に、
「お客様、私も大ファンなのでお気持ちお察しします、これは“蝕”です!」と、
十二国記用語を使って慰めてくれました。
そして、台風が去るであろう日曜日に「ご来店、お待ちしておりますっ!」と私を店から送り出したのでした。
詳しくは十二国記シリーズを読んでいただきたいのですが、
「蝕」とは簡単にいうと、向こう側とこちら側の世界が重なることで大きな力が働き天変地異が起こることです。
発売日は、十二国記の世界と現代の日本が重なり合い、大型台風という蝕が起こる。
ここに一般市民はどうすることもできないのです。
発売日当日、新宿だったか都内のどこかは夜中0時のカウントダウンをしていたように思います。
都民であれば・・・、いやいや新宿へ行けばよかったか・・・でも、そこから帰宅できなくなる・・・
次々にあがるツイートに羨望をいだきつつ、台風が去った発売日翌日、新刊を手にすることができました。
しかし、ここで終わらないのです。
新刊は全部で4冊の大作。
10月に前半2冊、約1か月後の11月9日に後半2冊が販売されることになっていました。
前半2冊を読み終えた私は、また振り出しに戻るというより状態は悪化しました。
今は死ねない、絶対死ねない、後半2冊を読むまでは。
11月9日までは身の安全を第一に行動するしかないと思い詰めました。
普通であればそんな心配はしませんが、念には念を押し、もし、万が一自分が何らかの事情で死んだら墓だか仏壇だか(ないけど)の前で、私に向けて音読するよう、夫に頼み込みました。
後半2冊を読むまでは、死んでも死にきれない。
絶対に自分はこの世に残っているはずだから、音読を頼むと。
今思えば、もはや病気の域です。しかし、当時は真剣に考えていました。
周りの友人も呆れ顔でしたが、新刊は読めたのか、楽しかったのかと聞いてくれたり、
どこどこの本屋にパネルがあったとか、特設コーナーがあったとか写真を送ってくれたり。
掲載された新聞をくれた友人もいました。
11月に入ると、もうすぐだねと優しい言葉すらかけてくれたり。
ありがとう友よ。
11月9日まで無事に生き延びた私は、後半2冊も読むことができ、今は落ち着いて続刊を待つ身です。
台風当日、「1日くらい待ちなよ」などと呆れ顔で私を諭した彼女は、数年後、十二国記の虜となり、発売日前日の私の取り乱し様は正当で理解できるものであったと告げることになるのです。
振り返ると、相当痛い感じではありますが、これほどまでに待ち望める本に出会えた事、
発売まで楽しみに待つ時間を持てたこと、生き延びて続刊を読むことができたこと。
そして、「こぼれ話をまとめた本」を待てるのは、幸せな状態の一つなのかもしれません。