西洋占星術で使用する天体には、それぞれの年齢域という考え方があります。
月 0歳~7歳頃 生存や感情の土台を発達させる時期
水星 7歳~15歳頃 知性を発達させる義務教育の時期
金星 15歳~25歳頃 社交性、感性を発達させる時期
太陽 25歳~35歳頃 自分の人生を主体的に、自ら切り開く時期
火星 35歳~45歳頃 対外的に、精力的・積極的に活動していく時期
木星 45歳~55歳頃 色々と寛容になっていく時期
土星 55歳~70歳頃 不要なものを削り、やるべきことを洗練させ、安定させ、確実にしていく時期
現在、木星期真っただ中の私が、火星期を振り返って思う事は、尖っていたなという事です。
私は30代後半で体力がガクンとおちたと感じました。
20代後半でも、ご飯減らしても痩せないな・・・歳だなとか感じましたが、そんな比ではない。
今までと同じ生活していても疲れが取れないとか、そういう感じ。
火星期の頃も、もう若くはないとは思っていましたが、今思えば、全然若かったし体力もあった。
もちろん太陽期ほどではないけどエネルギーはありました。
ただ、太陽期ほどではないので、何かをするときには集中する、絞るということをしていたように思います。
エネルギーを集中し、絞るということは、尖るということでもあります。
会社で働いている時も、定時に上がるために猛烈に集中して仕事し、強めに意見もしていました。(元気だったな・・・)
様々な経験も積み、ある意味自信も出てきていたからかもしれません。
そういう意味で、火星期を振り返ると、色々と尖っていたなと感じるのです。
木星期に入り、いよいよ、本当に心身のエネルギーが落ちてきて
色々忘れちゃうので、尖っていた分は削れていきます。
そういう自分にイライラもしますが、イライラも疲れてくるため、
そのうち、それすらも「まいっか・・・」が増えていきます。
これが続くと、他人へも自分へも寛容になっていくのだと思います。
火星期よりも、できないことが増え、忘れることも増え・・・
許せなかったことが、受け入れられるようになってきます。
そしてそんな風になると、若くないと思っていた火星期は若かったなぁ、なんだかんだ元気だったなぁと。
これは土星期に入ったら、同じように木星期は若かったなぁと感じるのかもしれません。
木星期の今、あの火星期の生活はとてもできません。
いったい、どうやって、仕事、家事、プレイベートをまとめてきたのだろうか。
頭もまわって、エネルギーもあり、集中して取り組めたから、それだけ色々できたのでしょう。
今、無理。
本当に、無理。
同時進行とか、そもそも無理だし、いくつも集中とかスピード勝負とかできない。
色々緩んでしまったのです、もうあの精神状態にはもっていけない。笑
寛容っていうより、一番ぴったりくるのが「色々緩んだ」です。
体型もそうだし、変なこだわりや矜持もゆるくなり、「それもありかもね」という気持ちなのです。
まだ木星期中盤ではあるのですが、
「できなくても仕方ないかも」「これもありかも」、まいっか人生期真っただ中です。
寛容になり、可能性を広げる時期である木星期、火星期と違うのが自然なのかもしれません。
木星期で広げたふろしきをまとめていく土星期に向けて、
まずは、いろいろと可能性を広げ、鷹揚に人生を楽しむ姿勢でいいのかも、などと呑気に思うのです。
みなさんは、それぞれの年齢域で、どんな変化がありましたか。