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「感謝をもって中今を生ききりましょう」

矢作先生はずっとこう言われてきている。


そこでここでは、改めてざっくり「中今」について。

「中今」とは、お釈迦様がいわれる「刹那」と同じで、「今を生きる」
つまり「過去や未来に意識を向けずに、今、この瞬間に合わせる」という意味。

先生のご両親世代(大正生まれ)は日常的に使っていた言葉であるという。


「私たちの肉体は3次元ですが、肉体を脱げば次元が上がるという仕組みになっています。
そのなかで、高い次元にまで一致できるのは、この「中今」だけです」
(※緑文字は先生の書籍の引用。以下同)

高い次元と繋がるとどうなるのか。

「高次元につながるということは、ひらめき・直観があったり、運動ならいわゆるゾーンに入ったり、瞑想やヨーガ、あるいは座禅を組んでいる人が至福に入った状態〜〜」

たしかにこの私でも、ずっと疑問に思い続けていたようなことへの答えや指針が、フッと降りてくるような瞬間はある。
あ、今のは中今だった!と。


先生のある動画(下に添付)での弓道の研究者のお話も参考になる。

その研究者が弓道の達人にどうしたら矢が的に当たるのかを聞いたところ、

矢が的にあたるのではなく、
的を見て、矢が当たった瞬間が見えた時に手を放すと。

つまり達人は、的を前に集中すると中今状態になる
高次元と繋がる
時間の概念がなくなり未来が映像としておりてくる。

こういうことみたいだ。




そしてこの中今意識、

実は縄文時代の人たちが共有していた意識でもあると。

私達の先祖である縄文人は高次元といつも繋がっていたのだ。

そして「縄文人は1万7000年前あまり前から3000年くらい前までというスパンの中で進化」し、
日本から世界に散り、方々で文明を伝えていったという。

その一方で、
大陸からは海ルート山ルートで日本列島に様々な人達が入ってきたために、縄文人の高次元と繋がる力は次第に落ちていったのだ。


その後は、今の日本以外の各国にある「力こそ正義」な世の中へ。

「「カこそ正義」、弱い相手に乱暴な力を使う人たちが世界を造り上げていくという、別の進化の段階が始まるわけです」と。

なぜ矢作先生がこのようなあまりにも遠い縄文人達の生き方をご存知なのかは、また別な機会に。